今日は華金!今週もお仕事終わり!!
みなさん、1週間お疲れさまでございました。
Charは、先月に引き続き
11/16(日)から、中国の蘇州へ
出張に行って参ります。
さて、今回の出張ですが、
Charにとっては、とっても思い入れのある
お仕事なんです。
ある意味、社会人になってから、
20代の仕事の集大成といっても
過言ではないかもしれません。
今回の蘇州出張の経緯ですが、
昨年のドイツ出張まで遡ります。
2年越しで進めていた、某ヨーロッパ
自動車メーカー向けのプロジェクトが、
佳境を迎え、2007年7月にドイツに飛びました。
初日は、フランクフルトに入り、そこから
ICE【Inter City Express】にのり、
南に下り、Karlsruheという町へ。

Karlsruheは、ドイツでは南西に位置しており、
ほとんど、フランスとの国境沿いにある小さな町です。
ここから、さらに車で南へ下り
Karlsbadという村に入りました。
この地域は、黒い森(シュヴァルツヴァルト)と
呼ばれている森林地帯で
「ウィリアム・テル」はこの森を舞台にしている
と言われてます。
本当に深い深い森林地帯の中に、オレンジ色の家が
点在しており、グリム童話の世界に入り込んだような
錯覚を覚える、そんな美しい村でした。
そんなKarlsbadに滞在すること、4日間。
現地メーカーのドイツ人スタッフ3人と、
昼夜、議論を交わす日が続きました。
ドイツ人のイメージ通りの厳格な紳士達でした。
ドイツの夏って、なかなか日が暮れない。。
夜の22時近くまで、外が明るい。
この写真、21:40を指してますが、外はまだ、、

だから、遅くまで仕事して、オフィスを出ても
空の明るさは日本でいうと、夕暮れのような感じ。
そのまま、ホテルに帰る訳ないですよね。。
Karlsbadに滞在中は、日本人はおろか
アジア人を一人も見かけることはありませんでした。
要は、観光地ではないんですね(笑)
当時、ユーロが180円くらいでしたので
それの影響もあったのかもしれませんが、、
しかし、この村に日本人として滞在し、
僕は本当にドイツという国が好きになりました。
路面電車の駅で、ホテルのロビーで、
早朝のカフェで、、
「君は日本人か?」と
よく声をかけられました。
そして、親しげに話し掛けてくる
彼らに接しながら、不思議な気持ちになりました。
みんな、本当に親切だったんです。
このような場所に、アジア人がいること自体が
珍しいというのもあったのかもしれませんが、
それだけではないと思います。
彼らは決して、
「君は韓国人か?」 「君は中国人か?」
とは話し掛けてきませんでした。
周知の通り、ドイツは戦時中は
日本、イタリアとは同盟国であった国です。
彼らは、日本人と同じく
世界を読みきれず、
世界を敵に回した業を背負っている国民です。
だから、彼らは今も、どこかで、
心に負い目を感じている。
他の欧州各国に対しても、
日本が、アジア各国に対してもっている
後ろめたさのようなものを少なからず
彼らは持っているように感じます。
そのような中で、
やはり彼らは日本人に対して、
仲間意識のようなものを持っている。
極東の小さな島国が
大東亜戦線なる、東の最後の戦線を支え、
ムッソリーニ、ヒトラーが降伏したのちも
最後まで、世界と戦ったということに対して
彼らは敬意を頂いているのだと言います。
戦争と過去の過ちは忌むべきものですが、
時間と距離を超えて、
このKarlsbadという小さな村で
僕は、戦争の残した、
別の何かに触れた気がしました。
少し、話を戻します。
で、そんなドイツの片田舎の
Karlsbadでの仕事もようやく終盤を迎えると
4日目には、ドイツ人スタッフ達全員と
堅く握手をして、現地を後にしました。
彼らの手が、本当にごっつくて
なぜか、涙が出そうになったのを
覚えてます。
またICEに乗り、田園風景を抜け東へ。

次の目的地は、芸術の都「ミュンヘン」です。
しばらく、人混みをから無縁の生活をしていたため、
ミュンヘン駅に到着したときは、
人の多さに圧倒。。
九州の田舎から、東京へ上京してきたときのことを
思い出しました(笑)

ミュンヘンはバイエルン州の州都になりますが
この街は、美術館やオペラホール等がおおく、
ストリートパフォーマーはバイオリンやチェロを奏で、
本当に芸術の都という表現がぴったりの街です。


バイエルンの人々は、自由都市バイエルン人を自負しており、
ドイツからの独立意識が非常に高い人々です。

彼らは地理的にも、自国の他都市よりも
同じ芸術の都ウィーンに対して、
対抗意識を持っているというような
話も聞いたことがあります。
彼らは他のドイツ人からは、「ちょっと変わった人たち」と
見られがちだそう。
日本で言うと、「風流な京都人」のようなものでしょうか。
しかし、僕がミュンヘンで出会った
パートナーであるバイエルン人達は、
本当に仕事に対して真摯に向き合う
職人気質のドイツ人達ばかりでした。
本当に信頼できる仲間達でした。
ミュンヘンは、あるメディアの調査で、
世界で住みやすい都市の、No.1に選ばれていた
街でもあります。(ちなみに東京は5位)
街はきれいで、気候も最高、
警察のモラルが非常に高く治安もいい。
住んでいる人々も表情に余裕があります。
あとは、やっぱりバイエルンといえばビールですね!!
でも、、、
Charは、あまりビールが好きじゃありません(笑)
なんで、かなり勿体無い。。
言ってみたかっただけです。。
ミュンヘンでの仕事が片付くと
帰国の日は、早起きして
まだ薄暗い早朝の街を、歩きました。

早朝の教会のミサを見学し、
そのまま英国庭園を散歩したあと
美術館の近くにある、カフェで
あつあつのコーヒーと、
ミュンヘン名物白ソーセージと、
分厚いパンの朝食をとりながら
今回の、ドイツでの自分の仕事について
振り返りました。
そして、あのドイツ滞在から
1年と4ヶ月が経った今日。
ドイツから一枚の封筒が
会社のデスクに届きました。
ドイツで一緒に、額を擦りあわせながら仕事をした
メーカーからでした。
彼らが満を持して中国に進出し、
新工場をオープンすることは知っていましたし、
オープニングセレモニーにも、参加して欲しいとの
打診は既にうけていたために、
その招待状だというのは、すぐに察しがつきました。
中を空けてみると、
やはり、1枚の招待状が入っていました。
Dear Mr. Char
It's our great honor and pleasure to invite you.....
その招待状の宛先には
Charの会社名も、部署名も一切何も記されてなく、、
ただ、招待状にはDear Mr.Charと..
そして、同封された紙には手書きで
「あのときの仕事が形になるときがきたんだ。」
と。
本当に嬉しくて
涙がでました。
彼らは、僕の会社ではなく
僕自身と仕事をしてくれていたんだなと。
1年4ヶ月前、
ミュンヘンのカフェを出て、
朝日に虹をうつす噴水のしぶきが
やわらかく舞う、中央広場を歩きながら、
澄み切ったミュンヘンの青空を見上げると、
不思議な爽快感と、
この空の色が、未来永劫続くのではないかいう、
そんな心地よい錯覚に包まれながら
ある昂揚感が沸きあがってきたことを
思い出しました。
大げさな言い方かもしれないけど、
日本人たった一人でも、
こんな自分でも、
この広い世界に、ほんの少しかもしれないけど
影響を与えることができる。
何も、スポーツ選手や政治家ばかりが
世界と戦ってるわけじゃない。
僕みたいな普通の29歳のサラリーマンだって、
日の丸を背負って世界と戦っている。
踵を返し、マリエンプラッツに向かい
歩を向ける自分の足取りは
いつもより、少し軽快で、、、
その石畳に響く足音が、
もう振り返らずに、前へ進めと
僕の背中を押してくれているようでした。
みなさん、1週間お疲れさまでございました。
Charは、先月に引き続き
11/16(日)から、中国の蘇州へ
出張に行って参ります。
さて、今回の出張ですが、
Charにとっては、とっても思い入れのある
お仕事なんです。
ある意味、社会人になってから、
20代の仕事の集大成といっても
過言ではないかもしれません。
今回の蘇州出張の経緯ですが、
昨年のドイツ出張まで遡ります。
2年越しで進めていた、某ヨーロッパ
自動車メーカー向けのプロジェクトが、
佳境を迎え、2007年7月にドイツに飛びました。
初日は、フランクフルトに入り、そこから
ICE【Inter City Express】にのり、
南に下り、Karlsruheという町へ。

Karlsruheは、ドイツでは南西に位置しており、
ほとんど、フランスとの国境沿いにある小さな町です。
ここから、さらに車で南へ下り
Karlsbadという村に入りました。
この地域は、黒い森(シュヴァルツヴァルト)と
呼ばれている森林地帯で
「ウィリアム・テル」はこの森を舞台にしている
と言われてます。
本当に深い深い森林地帯の中に、オレンジ色の家が
点在しており、グリム童話の世界に入り込んだような
錯覚を覚える、そんな美しい村でした。
そんなKarlsbadに滞在すること、4日間。
現地メーカーのドイツ人スタッフ3人と、
昼夜、議論を交わす日が続きました。
ドイツ人のイメージ通りの厳格な紳士達でした。
ドイツの夏って、なかなか日が暮れない。。
夜の22時近くまで、外が明るい。
この写真、21:40を指してますが、外はまだ、、

だから、遅くまで仕事して、オフィスを出ても
空の明るさは日本でいうと、夕暮れのような感じ。
そのまま、ホテルに帰る訳ないですよね。。
Karlsbadに滞在中は、日本人はおろか
アジア人を一人も見かけることはありませんでした。
要は、観光地ではないんですね(笑)
当時、ユーロが180円くらいでしたので
それの影響もあったのかもしれませんが、、
しかし、この村に日本人として滞在し、
僕は本当にドイツという国が好きになりました。
路面電車の駅で、ホテルのロビーで、
早朝のカフェで、、
「君は日本人か?」と
よく声をかけられました。
そして、親しげに話し掛けてくる
彼らに接しながら、不思議な気持ちになりました。
みんな、本当に親切だったんです。
このような場所に、アジア人がいること自体が
珍しいというのもあったのかもしれませんが、
それだけではないと思います。
彼らは決して、
「君は韓国人か?」 「君は中国人か?」
とは話し掛けてきませんでした。
周知の通り、ドイツは戦時中は
日本、イタリアとは同盟国であった国です。
彼らは、日本人と同じく
世界を読みきれず、
世界を敵に回した業を背負っている国民です。
だから、彼らは今も、どこかで、
心に負い目を感じている。
他の欧州各国に対しても、
日本が、アジア各国に対してもっている
後ろめたさのようなものを少なからず
彼らは持っているように感じます。
そのような中で、
やはり彼らは日本人に対して、
仲間意識のようなものを持っている。
極東の小さな島国が
大東亜戦線なる、東の最後の戦線を支え、
ムッソリーニ、ヒトラーが降伏したのちも
最後まで、世界と戦ったということに対して
彼らは敬意を頂いているのだと言います。
戦争と過去の過ちは忌むべきものですが、
時間と距離を超えて、
このKarlsbadという小さな村で
僕は、戦争の残した、
別の何かに触れた気がしました。
少し、話を戻します。
で、そんなドイツの片田舎の
Karlsbadでの仕事もようやく終盤を迎えると
4日目には、ドイツ人スタッフ達全員と
堅く握手をして、現地を後にしました。
彼らの手が、本当にごっつくて
なぜか、涙が出そうになったのを
覚えてます。
またICEに乗り、田園風景を抜け東へ。

次の目的地は、芸術の都「ミュンヘン」です。
しばらく、人混みをから無縁の生活をしていたため、
ミュンヘン駅に到着したときは、
人の多さに圧倒。。
九州の田舎から、東京へ上京してきたときのことを
思い出しました(笑)

ミュンヘンはバイエルン州の州都になりますが
この街は、美術館やオペラホール等がおおく、
ストリートパフォーマーはバイオリンやチェロを奏で、
本当に芸術の都という表現がぴったりの街です。


バイエルンの人々は、自由都市バイエルン人を自負しており、
ドイツからの独立意識が非常に高い人々です。

彼らは地理的にも、自国の他都市よりも
同じ芸術の都ウィーンに対して、
対抗意識を持っているというような
話も聞いたことがあります。
彼らは他のドイツ人からは、「ちょっと変わった人たち」と
見られがちだそう。
日本で言うと、「風流な京都人」のようなものでしょうか。
しかし、僕がミュンヘンで出会った
パートナーであるバイエルン人達は、
本当に仕事に対して真摯に向き合う
職人気質のドイツ人達ばかりでした。
本当に信頼できる仲間達でした。
ミュンヘンは、あるメディアの調査で、
世界で住みやすい都市の、No.1に選ばれていた
街でもあります。(ちなみに東京は5位)
街はきれいで、気候も最高、
警察のモラルが非常に高く治安もいい。
住んでいる人々も表情に余裕があります。
あとは、やっぱりバイエルンといえばビールですね!!
でも、、、
Charは、あまりビールが好きじゃありません(笑)
なんで、かなり勿体無い。。
言ってみたかっただけです。。
ミュンヘンでの仕事が片付くと
帰国の日は、早起きして
まだ薄暗い早朝の街を、歩きました。

早朝の教会のミサを見学し、
そのまま英国庭園を散歩したあと
美術館の近くにある、カフェで
あつあつのコーヒーと、
ミュンヘン名物白ソーセージと、
分厚いパンの朝食をとりながら
今回の、ドイツでの自分の仕事について
振り返りました。
そして、あのドイツ滞在から
1年と4ヶ月が経った今日。
ドイツから一枚の封筒が
会社のデスクに届きました。
ドイツで一緒に、額を擦りあわせながら仕事をした
メーカーからでした。
彼らが満を持して中国に進出し、
新工場をオープンすることは知っていましたし、
オープニングセレモニーにも、参加して欲しいとの
打診は既にうけていたために、
その招待状だというのは、すぐに察しがつきました。
中を空けてみると、
やはり、1枚の招待状が入っていました。
Dear Mr. Char
It's our great honor and pleasure to invite you.....
その招待状の宛先には
Charの会社名も、部署名も一切何も記されてなく、、
ただ、招待状にはDear Mr.Charと..
そして、同封された紙には手書きで
「あのときの仕事が形になるときがきたんだ。」
と。
本当に嬉しくて
涙がでました。
彼らは、僕の会社ではなく
僕自身と仕事をしてくれていたんだなと。
1年4ヶ月前、
ミュンヘンのカフェを出て、
朝日に虹をうつす噴水のしぶきが
やわらかく舞う、中央広場を歩きながら、
澄み切ったミュンヘンの青空を見上げると、
不思議な爽快感と、
この空の色が、未来永劫続くのではないかいう、
そんな心地よい錯覚に包まれながら
ある昂揚感が沸きあがってきたことを
思い出しました。
大げさな言い方かもしれないけど、
日本人たった一人でも、
こんな自分でも、
この広い世界に、ほんの少しかもしれないけど
影響を与えることができる。
何も、スポーツ選手や政治家ばかりが
世界と戦ってるわけじゃない。
僕みたいな普通の29歳のサラリーマンだって、
日の丸を背負って世界と戦っている。
踵を返し、マリエンプラッツに向かい
歩を向ける自分の足取りは
いつもより、少し軽快で、、、
その石畳に響く足音が、
もう振り返らずに、前へ進めと
僕の背中を押してくれているようでした。