「人は何かと比べる事でしか物事を判断できない」について | リサイクルショップKOKI

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人というのはなにかを決断し、判断する時一体なにを指標に次の行動を起こしているのか。
このテーマは突き詰めると人間の行動原理に関する理論になってくる話になるので、
硬い話が苦手な人はつまらん話になるかもしれん。


当たり前だけど、人間ってのは「すげームカつく事」とか「涙がでるほど感動した事」が
あってもいったん少し時間を置いて考えてから「ああこれはムカつくな」とか
「これはかなりうれしいな」とかを判断してその感覚を感じている訳ではない。
なにかの物事が起こった瞬間に心が即座に反応してムカついたり喜んだりしている。

ぶちきれる行動を我慢したり言いたい事を言わないで我慢したりってのは理性で持って
自分の行動を制限しているので人間社会ってのはある程度平和に保たれているが、
基本的に直観で心が受けるストレスからは逃がれる事など不可能である。でも、この
心が本能的に受けるあらゆるストレスってのはどんな理由であれ、「何かと比べる事でしか
反応する事はない」って理論を思いついたので、テキトーにそれを書いてみようと思った。



まず、以下のような時このように考える事ができるって例をあげてみた。




1、俺は頭が悪い。

→ 頭が良いなんとか君と比べて、自分の頭が悪いと判断している。



2、私はブサイクで、ダサくて、もてない。

→ テレビに出てくる美人な芸能人や、クラスにいるモテモテの女の子と比べて、
  自分がブスだと思っている。



3、金がなくて生活が苦しい。遊びにも行けないし、おいしい物も食べられない。

→ 過去「お金があった時の自分」と比べて、お金がなくて、遊びにも行けなくて、粗食だと
 考えている。実際見ると誰かから比べればずいぶん贅沢な暮しをしている事が多々ある。




4、俺はゲームの天才だ。このゲームで誰にも負けた事がない。

→ 近くにいる数人(多くても10人程度)の知り合いの中で一番なだけ。世の中には
 少なくても自分と同じレベルの実力、又は数段かなわない相手が存在するはず。




5、交通事故にあって肋骨を骨折した。なんて不幸なんだ。痛くてなにもできない。

→ 普段健康な人は、不健康になった時に初めて健康である状態のありがたみが再確認できる。
 しかし、それでも生まれつき目が見えないとか手足を事故で失った人と比べれば、
 まだまだ幸せで幸運な状態である。普通の骨折くらいなら1年もたてば痛みなんかもう
 忘れてるだろう。が、自分が障害を持った訳ではないので障害者の気持ちは理解のしようが
 ない。



生きていれば身の回りで何かがいつも起こっているのが人間だが、あらゆる刺激で心が感じる事というのはあくまで「本能的な事」であり、「ムカつく」「うれしい」「悲しい」「楽しい」と
いう感情というのは波のように心の感情を常に支配している。

でも、例のように「なぜ?」と、物事に対して普段どう思っているのかの理由を考えてみると、今まで生きてきた自分の人生経験の中で感じた「何か」と比べて物事を判断していると
言えるはずだ。まさにこれが「先入観」。言い方を変えれば


「なにかと比べなくては全ての物事に対しての判断はできない」とも言える。



ちょっと例を書いてみると↓



1、なにもない全てが真っ白な世界で車を運転していても動いているのか
  止まっているのかさえも判断ができない。(景色が動くから速度を実感できる)


2、人間の顔や体がみんな同じ顔で同じ体型だったらブスも美人もなくなり、
  デブも痩せているもなくなってしまう。(自分と比べる人間がいなくなる)


3、人間が「リンゴしか食べない動物」だった場合、若干腐ったとか新鮮だとかの違いは
  あっても「食べ飽きた」とか「好き嫌い」とか「肉の方がうまい」とかを思う事はない。


4、今「幸せだ」と感じている人は「不幸だった時」が存在しない限りそれを感じる事はない。
  また、「幸せ」が持続するとその地点が自分の基準になり、その基準より悪くなれば
  「不幸」。良くなれば「幸せ」を感じる。つまり、永遠なる「幸せ」はありえない。又、
  不幸な状態が持続すると同じ論理になるので逆に永遠なる「不幸」もない。



あらゆる刺激や物事に対する判断が全て「今までの経験や知識」によって本能的に一瞬で
判断して感情や次の行動までも支配されているって考えてみると、ちょっと不思議に
思えてくる。「自分で考えて行動していたつもりなのにいつの間にか誰かの思い通りに
動かされてしまっている」みたいな。どこかで聞いた事があるトリック、マジシャンみたいだ。


最後に、こんな不幸を感じている人っているんだろうなあと、その面白い例を書いてみる。


1-1 

ああ、俺は結婚ができないおちこぼれだ。人生終わってる。このまま1人でさびしく
生きていくんだろうなあ。人生真っ暗だ。

1-2

結婚した事によって最悪な鬼嫁と子供に人生を取られてしまった。俺は家にいたら邪魔者で、
金を稼いでくれば良いATMと化している。結婚なんてするんじゃなかった。人生真っ暗だ。


2-1

またテスト50点。再テストだ。なんて俺は馬鹿なんだ。人生終わってるよ。
いつも成績優秀な人は本当に羨ましい。

2-2

またなんとか今回も100点とれた。学年でも3位以内に入って親の期待にも応えた。でも、
また次のテストのために明日から毎日夜遅くまで塾行って勉強しなくちゃならない。
なんでこんなつまらない勉強を毎日毎日やらなくちゃいけないんだ。毎回再テストでも
●●君のように毎日友達と遊んで夜までゲームやってそれでも親に怒られない日々なんて
本当に夢のようだ。なんて羨ましい。


3-1

ああ、なんで俺は金がないんだ。せこい車とケチなパチンコ。金がなくなりゃ実家で
メシ食って、どーせ旅行も行かなきゃ仕事終わった後の用事もない。宝くじでも
当たんないかなあ。当たるわけねえけど。

3-2

普通の家庭だったのに宝くじで1億円当たってから家族がおかしくなった。
遠い親戚のあやしいおじさんにだまされて、いらない土地をつかまされてパパはおかしく
なって仕事もやめちゃうし、ママは派手な服着てブランド物身に付けてホスト狂いに
なっちゃった。それなりに贅沢はできなくても幸せな家庭だったのに。
1億円なんて当たらなければ良かった。



それぞれ、自分を不幸だと思っている。「何か」が足りないと思っているから不幸を
感じている。その「何か」を得ても結局は不幸なのかもしれないのにね。結局は心が豊かで
ないと、「何をしてても」「何を得ても」幸福にはなれないって事だな。比べる相手がだめ。


「自分より上」から比べたら自分がどういう状態であっても不幸。でも、
「自分より下」から比べれば自分がどういう状態であっても幸福。この差だ。


でも実際生きてれば先入観と言うのは消す事ができないし、何かと比べる以外に
物事を判断する方法がないので「今幸福」なのか「今不幸」なのかは人間なら本能的、
直観的に感じている事だ。他の人から見てすごい恵まれている生活をしていても本人が
不幸を感じていれば不幸。逆に誰からも煙たがれ、やっかい者だとしても本人が幸福なら
幸福。


極端に言えば大富豪で巨額の資産を持っていても人によっては不幸を感じる人はいるはずだし、ホームレスで毎日ゴミあさって犬猫のような生活していても本人が望んでいれば幸福だって
やつもいるはずだ。下を見ればいくらでも下がいて、上を見てもどこまでもキリがないのが
人間。だから結局は自分が「今の生活に納得」をして生きてりゃなんでもOKって事なんでは?
心の持ちようだな。全て。



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