なぜ人は人を裏切ってしまうのかを深く考えてみた | リサイクルショップKOKI

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「裏切り」、、、まさに究極の負の力。動物であれば最悪の行為ってやつですね。

信じていた人に裏切られた時っていうのがおそらくこの世で一番怒りを掻き立てる
ものだろうと思う。法律や組織のルールを裏切る事はあってもやはり人を裏切る行為と
いうのは基本的に人間としてやってはいけない事であり、やればやるほど孤立していくのは
間違いない。人間としての価値を落とす最悪の行為だと、俺は思う。

おっと、
「法律を裏切る」ていうのはなんでもかんでもって意味じゃないですよ。法廷速度30キロの
道路を30キロピッタリで走行する車はほとんどいないし、安全な道で自転車で2人乗り
したり道を歩いていて10円玉落ちているのに気付いて「ラッキー」ってポケットに入れる
くらいの事は誰でもやるでしょうって事です。(厳密に言えば全部犯罪です)


ちょっと話が反れるけど、道でお金を拾って交番に届けずに勝手に自分のものにしたら全て、
「刑法254条遺失物等横領で、1年以下の懲役か10万円以下の罰金・科料」の罪に
なるんだってね!1円玉拾ってポケット入れても法律違反。頭にきて人に文句を言えば
「名誉棄損」付き飛ばせば「傷害罪」。なにかを請求すれば「脅迫罪」。なにやったって
どこで生きてきたって普通に生きてりゃ犯罪を犯してしまうのが法律ってやつですよ。
極端でなく、全くなんの犯罪も犯さずに一生まともに生活できる人などいやしない。
まあ、別に捕まらないけどね。10円拾ってポケット入れても。



話を元に戻します。



なんかよくわからんけど
俺が最近、なぜかやたらと人に裏切られる事が多いので「なんで人は人を裏切るのか」
ってのを深く考えてみたんです。基本的に人を裏切る行為自体が良くない事だというのは
誰だってわかっているし、本能的にも「なんか悪いかなあ」くらいは絶対に思っている。
が、「裏切る事によってこの先どうなるのか」を考えてあまりにもメリットが
大きい場合とか裏切るしか道はないその状況や環境などが「生きていれば」自然に発生して
しまうため、やはり人は人を裏切ってしまうって事なのだろうと。



例えば、


信用、信頼をよせている人が10人いたとして、以下の選択を迫られた時どうするか。



1、9人に信頼されて1人を裏切る
2、1人に信頼されて9人を裏切る


例えば(ちょっと長い例えだけど)
10人位のサークルみたいな集まりがあって、そこで自分が主導になってみんなでどっか
遊びに行こうとかいう話を持ちかけ日帰り旅行を計画し、約束したとする。
でもその集まりの中にいた一番の親友が奇跡的にライブコンサートのチケットが2枚取れた
とかで超喜んでいて、その日程がかぶったためにどうしても旅行には行けなくなった。

この親友とは「チケットが取れた時は絶対に一緒に付き合う事」などとずいぶん以前から
約束していたので、約束上では親友に合わせてコンサートに行く必要があり、行かなければ
親友を裏切る事になる。でもせっかくみんなの休みに合わせてよくよく考えた日帰り旅行を
今さら中止になんかしたらみんなとの関係が壊れかねない。その親友が、
「お前がいなかったらこの旅行が中止になるでしょ。行って来ていいよ」と言ってくれれば
良いが、「ここで旅行なんか行くんならもう絶交だな」などという態度をとられた場合、
どうするべきなのか。かなり判断が難しい。偶然が重なった不幸だが、ありえない事ではない。

一番困るのが、この親友がすでに「みんな」を裏切っているって事だ。自分中心で考え、それに
こっちが巻き込まれている。しかし、的中率100人に一人未満の倍率で何年も応募し続けて
奇跡的に今回やっと当たったコンサートだとか言われれば、「いつでも行ける旅行などは後回し
でこのライブだけは絶対に行く!!」と決心するのも無理はない。が、旅行の件ではべつに
ハイハイ言ってただけでメンバーの1人というだけだった親友と比べ、自分主導で率先して
計画していた自分のほうがみんなを裏切った時の罪が親友より重い。まさに最悪の状況だ。

そもそも、親友が言う「旅行は別にいつでもいける」という概念が間違っている。
コンサートに行けるのはまた行けるかもしれないが、みんなと旅行にいくのも最初で最後かも
しれないし、実際に全く同じメンバーで今回予定した場所に旅行に行けるのは、おそらく最初で最後になるだろう。10人以上で計画する旅行なんてのは行けたとしてもだいたい一度きりで、同じメンバーでまた違う場所を計画して再度旅行を計画なんてのは、まずない。なので、
「なかなか行けない」というのはどちらも重みが同じではあるはずだ。が、親友の場合はライブの方が「みんなと旅行」より価値が高かったようだ。



・・・・・さて、どうするべきなのか。



「みんなと旅行に行く」のが正しいのか。「親友とライブに行く」のが正しいのか。


これに正解はないと思う。どちらも選択したくない。しかし、時間の縛りがあるから
選択するしかない状況だ。どういう行動をするのが一番良い選択なのか。まさに、
「9人に信頼されて1人を裏切る」のか「1人に信頼されて9人を裏切る」かの選択だ。

まあ、俺がこの状況になったとしたら簡単に考えるけどね。グジグジ悩んでても解決するわけ
のないどうにもならん状況で1人で問題を抱えるのは俺の主義じゃない。ただ、
「俺はどうしたいのか」(みんなと旅行に行きたいのか)(親友とコンサートに行きたいのか)を自分の本能に聞いてみて行きたいほうをまず決定し、「みんな」と「親友」それぞれに
現在こんな状況なんだとまず伝える。その上で俺はどうしたいのかを正直に話してみる。
これ以外にない。この「自分の意思を決定してから相談」というのが重要。
自分でもどーしたらいいのかわからない優柔不断の状態で相談されても迷惑極まりないからね。「どっちを取るべきなのか?」をみんなに相談するのはヘタすると誰からも見捨てられる事に
なる。はじめはかわいそうな状況だなあと同情されるが、だんだん早く決めろよ的な感じに
なって、最後にはもうどーでもいいやこんな奴って結末になる。でも正直に話すって選択を
すれば、どちらを裏切る事になったとしても筋は通しているでしょ。少なくても全員から
嫌われる事はない。これでウザ!とか言われて関係が壊れるようなら初めから友達でも
なんでもなかったって事だ。


しかし、世の中にはいくら筋を通されても到底許す事のできない裏切りってのがある。
信用していた恋人の浮気!返ってくるはずがなかなか返ってこない貸した金や物!
ボッタクリにあって大金を失った!詐欺にあって人生が狂った!取り返しのつかない
事をやられたり、やってしまったり。俺はあんまり人を裏切る行為はしないほうだと
思っているが、知らず知らずの内にいつの間にか人をキズ付けてしまう事ていうのはある。
そいつが「裏切られた」と思ってれば、やはり俺も誰かを裏切って生きている事になる
のだろう。このブログを書いている目的の話になるが、人生において
「誰かを裏切る事になってしまった」あるいは「誰かに裏切られた」という場面に
直面した時、どのように考えてどう行動すれば未来を良い方向に向ける事ができるのか。
物事によっては正解は初めからないのだろう。誰かをキズ付ける事になってしまう事は
わかっていても、どのように行動するべきなのかを深く考えて見ると結局は以下のように
考えるしかないのだと、俺は思う。



1、「自分が誰かを裏切る事になってしまった」場合


これはすでに述べた通りだ。筋を通しても許される事ではないとわかっていても、
正直に話して何度でも謝る以外ない。殴られる覚悟で誠意を持って話をすれば大抵の事は
納得してもらえるものだ。言われたほうもどうせ納得するしかないし、「そっちをとる」と
言われた以上はもう止めようがない。一番まずいのが黙って裏切る事だ。
いつの間にか裏切って、黙っている。これが最悪。人間のクズ。人として最低。
これ以上人間としての価値を落とす行為は他にない。生きていてお世話になった人とか
返しきれないほどの恩を受けた人にこれをやってしまうってのは、人としてやってはいけないと
思う。


2、「自分が誰かに裏切られた」場合

これは上記内容の逆になるのでその状況や内容によっても怒りゲージの溜まり方も
違ってくるが、基本的には「裏切る」と決心した相手を引きとめる事など不可能だし、
それにむかついてブン殴れば傷害罪だしワビ料だとかイチャモン付けて金銭を要求すれば
恐喝になる。やっかいなのは法律上、「人を裏切る」という行動自体は犯罪行為ではないという事実だ。犯罪行為として立証したり合法的に慰謝料を請求できるのは、前もった契約を書面で
かわし、その裏切りを立証できる場合のみに限る。

「婚姻届」「契約書」「領収書」「誓約書」「保証書」「承諾書」・・・。
世の中ではあらゆる「契約」として保存した書類が人と人の間を交差している。
これがない約束は全て「言った言わない」になり、トラブった時は裏切った方の勝ちとなる。

だからどんなに信用のおける人と口約束で硬いキズナが生まれたような感覚があって約束を
したとしても、書面で契約を交わしていなければ結局は簡単に裏切る事ができるし裏切られる。
「俺はあんたを裏切ったよ。だからどうした?裁判でもしてみろや!?」というタチの悪い
最悪な開き直り糞野郎も世の中にはたくさんいるんですよ。さらに言えば裏切ってるのに
「別に僕はあなたを裏切ったつもりはありませんよ?」などと被害者ぶって逆に攻めてくる
どうにもならん馬鹿もいる。「おまえ、人間?」って聞きたくなるね。
大抵は金の魔力に魅了されて人が変わって裏切るってパターンだけど、紙で契約しないと
結局は固く結ばれないってなんか悲しい人間っすね。こいつら。現実だけど。
(まあ、でも大金が絡んだ取引や契約なら誰が相手でも書面で契約するのは常識だけどね)


でも、やっぱり初めの話に戻るけど、


「9人に信頼されて1人を裏切る」「1人に信頼されて9人を裏切る」
これが現実に直面した時、自分が裏切る事になって最終的に相手に「開き直って最悪なクズ」
になろうが「筋道を通して人として誠意をもって謝る」をしてようが、、結局は誰かを裏切る
事になるのは避けられない場合がある。裏切る理由が

「生きるため」「金のため」「恋人のため」「家族のため」「尊敬している人物のため」

色々な理由で自分を正当化するが、言ってしまえば全部「自分のため」であり、
せっぱつまれば誰だって結局は人は人を裏切る。これが真理だろう。極論を言えば、書面で
正式に契約事があろうがなかろうが関係ない。契約があったって逆に言えば
「慰謝料払えばこいつを裏切っても全然OK」って事になるからね。この先自分が死ぬまでに
誰も裏切る事なく生きるなんて保証は誰だってないし、裏切られたと感じる事もどれだけある
かはわからない。こういう風に考えると、「あいつも生きてるんだなあ」という理由でどんな
裏切りであっても許す事ができる。いや、正しく言えば「許す事はできないけど納得するしか
ないでしょ」って感じになるのかな。


養豚所で育てられた豚は絶対的信頼を寄せていた人間に一方的に裏切られ、食われる。

養殖所で育てられた魚は、なぜかエサが定期的に落ちてくる天敵もいない絶対的な安全
な場所だと思っていたら大きくなると突然前触れもなく一方的に人間に捕まり、食われる。

どんな時でも裏切られるほうってのは最終的に裏切られるなんてもともとは思っちゃいない。
裏切られる事が前提みたいな、いかにもあやしい奴とは初めから契約や約束事はしないだろう。でも、人間は豚や魚を裏切り続けている。金のために。食うために。生活のために、殺す。
これが「生きる」ってやつだ。動物対人間では若干極端な表現ではあるが、人と人でも同じ事だ。「生きていれば誰だって裏切るし、裏切られる。」これは避けられない。

だから、結局俺が思ったのは、最近ひどい裏切りを受けてかなりムカついたけど、でも、
「逆の立場だったら同じ行動をしてもおかしくはないのかな?」と思うと、「やっぱりあいつも
必死に生きているんだからしょうがないのかな」とも思えるようになるかな?って感じです。
俺を裏切る事によって生活が豊かになる。命が助かる。●●を手放す必要がなくなる。●●ちゃんと
一緒になる事ができる。全部自分中心な考え方とは言え、それがそいつの「家族のため」や
「大事な人のため」に理由が繋がっていれば、言い訳だとは言え全部が全部否定する訳には
いかないように思えてくる。

言ってしまえば結局は「我慢するしかない」って事になるが、ただ我慢するしかない
よりかは、なんとなく楽になるのかな。こんな風に考えても我慢する事など到底できない
最悪な裏切りというのも人生においては存在するが、復讐行為がなにもできない状態である
以上、結局は考え方をうまく切り替えてこっちも生きていく以外ない。


人生ってのはとてつもなく深いですね。





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