曇り空が月の光を遮り、そのまま暗闇の中に収まっていた。時刻は六時半を少しまわったくらいだった。
 長身の男がズボンのポケットから煙草の箱とライターを取り出し、箱から煙草を一本取り出して、それをくわえて火をつけた。
 制服の男と近江は地面に置かれた明かりの前に無言のままやってきた。
 明かりは近江の車の助手席側のそばに置かれた。足元に小さな照明と、すぐとなりに長身の男の喫う煙草の火先がときどき明るく燃焼しているのが見えた。その後で、白い煙が見えた。
 周りで動くものはしばらくの間それだけだった。
 長身の男は煙草の灰を丁寧に携帯灰皿に入れ、そして最後に吸殻をそこに入れながら言った。
「俺は名前が尾藤一輝で、こっちのやつが羽沢。近江はもう聞いたよな?」
 黙っている木葉の返事を待たずに尾藤と名乗った男は続けて言う。
「いきなり連れ出してきて悪いんだけど、何も言わないで聞いてほしいことがあるんだ」
 地面の明かりを中心に右回りに木葉、尾藤、羽沢、近江というような並びで立っていた。
 そして、木葉のちょうど正面のあたりに近江がいる。
「たいしたことじゃないよ。上手くいけば後で礼もする」
 静まり返った林の中の空き地には他に車は一台もなかった。正月には参拝客でいっぱいになる神社だが、今は誰もおらず道路が一本通っているだけだった。通り過ぎる車もほとんどない。
 今日は何曜日だっけ、と一瞬だけそんなことを考えた。明日は普通に学校のある日だ。折原のこともべつに疑ってはいない。それでも少しだけ、木葉は身構えた。すると、
「女――。お前は神様を信じるか」
 唐突に出された言葉だった。この場の空気に何一つ繋がりを持たないような、その言葉は正面の近江から出されていた。
 少しの間、沈黙が流れた。先ほどまでの沈黙とは違い、木葉は警戒していたことをいつの間にか忘れていた。
「あまり信じてはいないです」
 木葉は何も考えず、正直にそう答えた。
 そして近江のはっきりとした言葉を聞いたのは、もしかしたら今のが初めてだと、そう思った。
 「降りろ」、や折原の問いかけに対しての「まだ」とか「わかった」というような、全然切れない包丁でぶつ切りにされたような不恰好な単語の他は、あの唸り声だけだった。
「俺は信じている。神様には、勝てない」
 近江がそう言うと、再び沈黙が流れた。そして今度は間を置かずに言葉が続けられた。
「つくられたものは、つくったものには勝てない。子は親に、男は女に、そして人は神様に。この世界も、何かにつくられたものだ。つくったものが、つくられたものを見守ることを吽形有蓋という。俺たちは、それに守られている」
 木葉はただ茫然として聞いていた。入ってきた言葉を繰り返したりして理解しようとしたけれど、そうすると自分もどこか遠くへと行ってしまうような気がした。だけどこの感覚は初めてのものではない。というよりも、むしろいつも感じているものといってもよかった。
 木葉は黙って言葉の続きを待った。他の二人も何も言わずにそうしているようだった。
「でも俺は守られていない。守られなかったものはどうなるか知っているか」
 正面を向いたまま、近江は言葉を続けた。
「守られなかったものは、精神病になる」
 風が静かにそよいだ。どこへいってしまうのか、心細くなるほどの不安定さを感じていたこのあたりの空気が、少し戻った気がした。
「吽形有蓋が、どうしても必要だ」
 近江はその後、黙ってこちらを見ていた。
 学校の正門を出るときも、車の中でも、暗がりでスマートフォンが振動したときも、近江はずっとどうにもできないものに晒され、それに抗っていたのだろうか。
「どうすれば」
 木葉がそう言うと、となりにいた尾藤がポケットから取り出した煙草をまたくわえながら言った。
「お祈りしてくれ」
 ライターがついて、オレンジ色の火と煙が見えた。この神社に今からでいいから自分たちとお参りしてくれ、と言った。男たちが頼れそうなのは親もおらず、女であり理解も得られそうな木葉だけだと言った。
 尾藤はまだ少し長いままの煙草を消して足元のペンライトを拾った。端っこにかぎがぶら下がっていた。どうやらキーホルダー型の小さなペンライトのようだった。

 この人たちは何なんだろう

 まだ完全にはわかっていないけれど、今はただこの男たちの言うとおりにするしかないようだった。
 明かりをつけたまま、四人が神社に向かって歩き出そうとした、そのとき、
「木葉……!」
 目の前の暗がりに夜子が立っていた。
「夜子?」
 突然のことに思わず目を疑ったが、その人影は間違いなく夜子だった。 
 どうして……

 時刻はもうすぐで七時をまわろうとしていた。
 暗くなった空からはぽつぽつと、雨が滴り始めた。
 四人と一人の間には、沈黙を払うような風が静かにそよいでいた。