暖房は入れない。その代わり、部屋でも少し厚手の服を着ていた。
夜子は発病してから、ふつうならあまり思い付かないようなどこか異様なストイックさを持つようになっていた。枯れ葉をわざわざ親もとへ返すのもその一つかもしれない。
今までだったら何も考えずに人ともすれ違えたのに、今では誰かが、少し変わっている自分とすれ違ったせいでこの後ろの方で奈落へと落ちてしまうのではないか、と途方もない不安に襲われるときもあった。
その度に後ろを振り向いて確認するのだった。
何をやっているんだろう
わかっているけれど、何もない背中を見るたびに弱っていく自分が感じられた。
あのときも、夜子は同じように部屋で考え込んでいた。
いま向かっているのと同じこの机の前で、スマートフォンを使って探し出したその場所には神棚の祀り方が載っていた。
人を変えてしまった
夜子は思った。この世には変えていいものなどないと。
変える、ということはそれが不満である、ということだ。そんな感情が許されるのだろうか。
木葉という人間は木葉がやっているのだ。自分がやっているのではない。それなのに変えてしまった。
あのときに見えた、木葉の色は間違いなく「あか」だった。だから、変えた。
自分が望む姿に、自分が生きやすい姿になってもらう。それは自分の成果になる。
正直にそういえばよかった。それなのに、木葉のため、と嘘をついた。
あのとき、かたつむりを助けた木葉の姿を見て、これでもう大丈夫という安心感の他に、あろうことか夜子は、
何でそんなに簡単に変わる
と、心のどこかでそんな失望を感じてしまった。
木葉は何に対しても無関心だった。今思えば、それが木葉という人間の彩色だったのだ。
夜子は怯えていた。そして、たまたま半紙を持ち帰った。その半紙の用途はそういうものだった。
蛍光灯を消して、スマートフォンを閉じようとした、そのときにある記事が目に映った。
「熱中症、警戒」
夜子は記事を全部読んだ。夜子を脅かすような、加害性を想起させるような、そしてそれを咎めるような言葉はなかった。夜子は安心した。
神様は怒っていない
その後、「明日の運勢」や「効果的なダイエットの方法」などの関係のないものまで、ほとんどの記事に目を通した。そして、内容を確認して安心し、眠りについた。
この一連の儀式はこのあとも、ときどき行われるようになったのだった。
夜子はこうして、確率一パーセントを、十七年目にして初めて引き当てた。
本当は、やりたくなかったんだ
どんな罰も受ける、それが当然だから
そんな言葉は、度重なる症状の連続で、とうに維持できなくなっていた。
ただでさえ狭くなった夜子の世界は、まるでなかなか形の整わない丸氷のように少しずつ小さくされていくようだった。
そして、また夜が明ける。