あれから数か月が過ぎ、季節は冬を迎えていた。
 夜子の家の庭にあるアプローチの片側に小さな花壇があり、その隅に一株のローズマリーが植えてあった。
 夜子の母は、町の食品工場で事務員として勤めながら主婦業をこなしている。生活は楽ではないけれど、夜子は幼い頃から聞き分けがよく、反抗することもほとんどなかったため日々の暮らしには穏やかさと静寂が概ね約束されていた。
 夜子はあまり自分を出すことをしない子どもだったので、母はどんな些細なこともできるだけ見逃さないようにした。
 小学校の高学年だった頃に何度か友だちを連れてきたことがあった。静かな子どもたちばかりだった。来たときと帰るときの挨拶ぐらいでしか喋らず、いったいどうやって同じ部屋で過ごしているんだろうと不思議に思ったこともあった。それよりももっと低学年だった頃は普通に友だちと外でも遊びまわる元気な子どもだったのだが、いつからか夜子はそんな傾向を強めていった。
 母も人付き合いには気をつかうようになった。幼い頃に遊んでいた元気な友だちの母親たちとはだんだんと疎遠になり、母自身も友だちと呼べるような相手はあまりいなくなってしまった。そして、夜子の変わりようは近所でもうわさになり、母はますます肩身が狭くなっていった。そんな様子も夜子は感じてはいたけれど、昔のように明るい友人たちと同じ時間を過ごすことはもうできなくなっていた。

 静かで喋らない彼女たちはみな、他に友だちのいない子や、いじめを受けて不登校になっている子どもばかりだった。夜子自身も学校ではいつしかそういう風に見られるようになっていった。

 母にとって園芸は数少ない楽しみの一つだった。
 庭のローズマリーは薄紫の可憐な花をときどき咲かせた。これは夜子が生まれた年に父が買ってきたものだ。なぜローズマリーを選んで買ってきたのかはわからない。でも父はこのローズマリーをとても大事にしていた。園芸が好きだったわけではない。その証拠に他の庭木や草花には家の庭の景観としての最低限しか求めないような育て方だったし、そのほとんどは母に任せられていた。
 今年で十七年になるローズマリーは、子どもの姿だったらすっかり覆い隠せるくらいの大きさになっていた。世話は母と夜子が今は引き継いでいる。世話といってもたいした手間はもうかける必要はないのだが、二人はそのローズマリーを見ながらときどき父のことを思い出していた。

 その日の夜は、空に星が見える澄んだ夜だった。
 夜子の部屋には鉢植えが一つあった。発病と同じくらいの時期にそれは部屋に置かれた。
 「観葉植物を置くといい」と病院の職員の一人から聞いた夜子は、ローズマリーの挿し木を部屋で育てることにした。
 まだ水やりが下手なせいか、あまり元気もない上にときどき枯れた葉が落ちてしまう。
 なぜだかは知らないが、その枯れ葉をごみ箱に捨てるのをためらい、いつもわざわざ庭まで捨てに行く。今日も葉が少し落ちてしまっていた。

 庭に出ると夜子は寒い中、丁寧にローズマリーのある花壇に枯れ葉を捨て、部屋に戻ろうとした。
 そのとき、ふとローズマリーの枝葉が一掴み折れて地面に落ちていることに気がついた。風のせいだろうか。折れた枝葉はそれなりの重さだった。
 夜子は折れた枝葉を抱え、どうしようかと思案した。おそらくごみに出すしかないのだろうが、このとき夜子はあることに気がついた。
 突然、あたたかい風が吹いたかのように、持っている枝葉から何かが感じられた。
 それはまるで、雨宿りをしているときに通りかかった見知らぬ人がたまたま傘を二本持っていて、自分の元にその一本を置いて何も言わずに去ってしまったときのような。
 あるいは、助けた亀が豪華な城に連れていってくれたとか、助けた鶴がその晩、人の姿でやってきたとか、一人だけのけ者にされていた子どもに最後のきび団子を渡したら、それはたまたま敵対する国のお姫さまだったとか。
 そんな話に初めて触れたときのような感覚だった。
 なんだろう
 一瞬だけそう思ったけれども、すぐに意識の机の上からは消えてしまった。

 発病してから夜子はいろいろな難題を抱えている。だいたい机の上にはいつもそれが広げられている。今は寒いのと翌日に学校が控えていることがそのほとんどを占めていた。あたらしいものを受け入れるには、まだ心に余裕がなかったのかもしれない。

 夜子は足元に折れた枝葉を置いて、部屋へと戻った。