異災五躙

この世のものではなく、べつのどこかから来た災厄を私はこう呼ぶ。
私の感覚がとらえているのは五つだが、それぞれをはっきりとした言葉で説明するのは難しい。
ここにその五つを、私の理解の及ぶ限りで記しておくことにする。


第一番目の五躙。火のジレンマ。
誰かを好意的に思うがあまり、傷つけたいという衝動に駆られる。また、傷ついた姿を見て、もう一度好意的感情を確認する。
共依存の原型ともなるこれには、破壊衝動を引き起こす、ある感覚が潜んでいる。
理性ではとらえきれない感覚がいくつかあり、その一つに「呪恋」と名をつけた。
同じ加害衝動でも、強迫性障害などの加害恐怖にはこの呪恋は生じていない。
誰に対してでも、ではなくて、愛着を抱く特定の相手にだけこの衝動は引き起こされる。
私はこれに火躙と名づけた。

第二番目の五躙。不定概念。
予想したことが現実になる。ただそれだけのことだが、これにも裏にある感覚が潜んでいる。
いやだ、いやだ、と思っていると実際にそうなってしまう。誰しもがおそらく経験があるはずだ。
感受性が上がってくると、このときの元凶をとらえることができる。その元凶に、私は「集合思念」と名をつけた。
だが実際にあたっているかはわからない。この集合思念には単身で向き合わない方が賢明だ。
とらえどころがない水のようだから水躙とする。
私の病もどうやら、この水躙が関わっているようだ。

そして、これは私が感じることができたことだが、この水躙に関してはすでに誰かが一部を攻略している。
予想したことが現実になる不定概念が働いてその現象が確定しても、実際には撤回される場合も多い。
どうやら何者かによる戦略付随によって我々は守護されているようだ。

第三番目の五躙。怨念。
おそらく死後の残留思念による精神的介入。
俗にいう霊の仕業といえばわかりやすい。人間に限られる。
これには対抗手段がすでにいくつかあり、それによって対処される場合が多い。
最も一般的な対抗手段として「開放怨嗟」というものがある。
どのような霊的干渉に対しても相手にしない、意識しない、ということだ。そのアンテナがもともとないため受け取れない、というのが一番強い。これにより、対象とされても減衰、あるいは完全に遮断もできる。
意識しない、ということができるようになると生きることに悩むことも少なくなる。悩みや苦しみはたいていは意識することから生まれるからだ。
すでに人ではなくなっているため、樹躙と名づける。

第四番目。自壊結界封鎖。
四番目以降の銀と土が強域に入る。
この世には目に見えない力の拮抗があり、その両方をそれぞれ銀世界と集合思念とよぶ。
正と負の関係にあたる。
銀世界は生命の生み出す枢意エネルギーによってできた集合体であり、集合思念はその逆の性質を持つ。

人間の心には負の感情が蓄積されるとそれが一か所に集められ、ふたがされる。「自壊腔」と私は呼んでいるが、そこは自身によって閉ざされた後、さらに銀世界によっても二重に封じられる。
封印が行われた場所では概ね自壊現象が起きる。
自閉症などの発達障害や精神疾患が引き起こされる場合も多い。
また、そこは自分の力では解放することも難しいため、行き場を失ったエネルギーによって無理変換が行われる場合がある。
統合失調症の患者の描いた絵に、私はそれを見つけた。
自分で再現もしてみたが、その途中で私はこの病気になった。これ以上は続けられない。
どうやらこれがおそらく銀世界の求めているもののようだ。

銀世界によって極限にまで高められた自閉空間なのだろうか。
そこにいる人はなにを思うのだろうか。
銀躙と名づけた。

第五番目。一切行苦。
最後の土躙。
銀世界は集合思念によって傷つくことを防ぐため、または傷ついた部分を修復するため、その星の生物たちのなかに「幽閉門」をつくる。
幽閉門とは、銀世界が集合思念を小さくかみ砕いたようなもので、それがつくられることによって私たちのなかにも小規模な力の拮抗が生まれることになる。

毎日ある嫌なこと、苦手なこと、心の悩み、体の悩み。
上手くいかないことに苦しむ。
最後の五躙にしてはおとなしいと感じるかもしれないが、それは数えきれないほどの同胞の手によって分散されているからだ。

ある者が言った。
となりでまた誰かが耐えかねた
数多くの星によって今も攻略が進められている。
生きているだけでこの至極至悪を圧殺することになる。

命という神の妙技と言わざるを得ない。

以上が異災五躙の主な概要であるが、そのほとんどに裏付けられる根拠や証明はなく全て私の感覚による独断的なものでしかない。