夜子は暗い部屋にいた。
 面や小手などの防具が陰干しされている。夜子の他には部室には誰もいないようだ。もうみんな帰ってしまったのだろう。一人で安定のしていないベンチに座って下を向いている。
 夜子は動性に乏しい子だった。朗らかさや、はつらつさもあまり備えているとは言い難い。でもその代わり、些細なことでは不快にもならないような性格であり、「待て」と言われればきっと一時間でも二時間でも待てる。何もしないということにも、あまり空虚さを感じなかった。
 そんな変わったところは幼い頃からで、よく親を困らせることもあった。
 川は流れなくていいのに
 新聞は一枚でいいのに
 最後には、
 夜は明けなくていいのに
 自分を出すことをあまりしなかった夜子にとっての、反抗期だったのかもしれない。
「もっと動いたら」
 たまりかねて言った番の片方の、そんな言葉で選んだ部活だった。
 運動は向いていない。入ってすぐに思い知らされた。何でも思いつきで始めてはいけないのかもしれない、とも思った。
 夜子の様なタイプが、こうして友達を持つのは稀かもしれない。夜子は基本的に喋らない。でも、木葉は何もない沈黙や静寂も嫌いではないし、喋りたいときは喋った。
 実際、これまでもそういった者と親しくなったことは何度もあったが、いつも一時的でやがては離れていった。そして、いつしか夜子にとっても、それは当たり前のことになっていた。でも木葉とは知り合ってから、もう一年以上になる。
 出会ったきっかけはわからない。色んな出来事やこれまでの二人のやり取りに埋もれてしまった。

 誰もいない部室で下の方を見ると、散らかった床に何かを見つけた。
 どうやら半紙のようだ。「空」と書いてある。
 なんだろう?
 不思議に思った夜子はそれを拾ってみた。誰が書いたのか分からないが綺麗な字だ。
 そのとき、突然ドアが開く。
「よーるこっ」
 先ほどの言葉の主が迎えに来たようだ。
「ごめん、お待たせ。帰るよ」
 あわてて手に取った半紙を鞄に押し込んでしまった。
 木葉は明るい。夜と昼。月と太陽。
 そして、この日から精神病と健康体になる。

 戦うことを選んだ。
 それはあまりにも、意識と覚悟の伴わない、選択だった。


 ――耳鳴りがする。
「あ、かたつむり」
 夏の終わりの夕暮れ。雨が降っていたからだ。
「そっちに行くと踏まれるよ」
 木葉は屈んで、かたつむりの軌道を草むらの方へと戻した。
 小さい命を見ると思い出そうとする。身に覚えのないはずの遠いどこかの記憶を。
 夜子は座り込んだ木葉を見ながら、

 自分はここにいる

 そう言って離れかけた意識を元に戻した。

 一輪のヤマユリが草むらの中で風に揺れていた。