近年増えてきている現場の困ったことは、
何も言わないディレクターがいること。
どうしたいのか?
どう見せたいのか?
どういう演出プランなのか聞いても、
「知らない。」
「解らない。」
と言って、カメラマン任せにする。
編集するためにロケを見学しているかのように何もプランを持たない状態で、しかもモニターを見ることなく、何をするでもなくそこにいるだけで、ひと段落したらカメラマンに「あれ撮った?これ撮った?あの時は何撮ってた?」などを聞く人がいる。
技術としても出演者としてもやりにくい。
たいていの場合、「俺がディレクターだ」的な上から目線の人にこの傾向が多い。
こちらとしてもやりにくいので質問攻めにしてやると、
「好きにしてください。」
「やりやすいようにやってもらっていいですよ。」
「編集で決めるんで全部撮ってください。」
なんて返事が来る。
出来る限りこのやり方のディレクターとは仕事をしたくない。
でも、このやり方のディレクターの経験、思い当たることがある人は多いのではないでしょうか。
こんな時は漠然とした仕事になってしまう。
漠然としていて適当な音を収音して編集で組み立ててもらうしかない。
これはこれでディレクターの指示なので正解ではある。のか?
漠然・・・ぼんやりしていて、とりとめがないさま。
適当・・・適して当たる。
演出がない撮影はストーリーがない。
演出がない物は内容を伝えるものがない。
中身のない物は見ても記憶にも残らない。
そうならないためにもディレクターとして現場に来るのなら存在を示してほしい。
そんなディレクターいないよ、と思うかもしれませんが、実際経験した話なんです。
具体的な例を一つ上げると、
資料撮影で写真や本を撮影することがある。
その時に、
「この本撮って。」
と言って、机の上に本をポンと置く。
「この写真撮って。」
と言って、机の上に写真を何枚かポンと置く。
机の上にポンと置かれた本や写真。
その状態で撮影しますか?
ディレクターが意図してレイアウトして置いたのならばそのまま撮影しますが、絶対にそんな風には思えないですよね。
写真一枚撮影するにも、
撮り切りなのか?
カメラワークするのか?
写真の中のどこか一部分を切り抜いたようなサイズにするのか?
すべて演出が必要です。
撮影した後に、
「何撮った?」
って言われると、「写真」とだけ言ってやりたくなります。
「このカット無いの?普通撮るでしょ。」
なんて後から言われると、お前の普通を最初から言えと言ってやりたくなります。
実際半分くらいは言っちゃいますが。
本や資料も何処を見せたいのか、何処を読ませるのか、などの演出に沿ったレイアウトがあるのだから、すべてを人任せにするようなことは辞めてほしい。
きっと、AD時代に仕事を教えてもらわずにディレクターになってしまったのでしょうか。
仕事の基本を身に着けるためにも一回一回の現場を大切にしてほしいです。