私が、某展示系施設で仕事をしていた時のお話です

いつも私の仕事場は、総合受付横の年間パスポートの受付でした
年間パスポートを持っているお客さんも一段落して、次のお客さんを待っている時
当日チケット購入の列にいた車椅子の女性が、大きな声で「こんにちは🎵ユキコちゃんです。(*^▽^*)」と、私に握手を求めてきました (☉。☉)!
障害のある方で、一緒にいたお母さんはちょっと困った感じでした
ちょっとビックリしましたが『こんにちは〜(〃∇〃)』と握手しました
「ユキコちゃんは25歳です」と言われ、どう返事をしなくてはいけないかが分からず『…そうなんですね』と答えたら
「若いですね〜✨」と教えてくれました(笑)
それが正解か💡
急いで『若いですね〜🎵』と言い直したら彼女はとても嬉しそうに笑っていました
とても明るく幸せそうな笑顔の彼女に、私も懐かしい友達が会いに来てくれたような気持ちになりました🌿


小学1年生の時同じクラスの『ユキコちゃん』
彼女は子供の私達でも分かる程度の軽い発達障害があるように見えました
とても明るくて人なつっこい彼女に、私はとても気に入られたようで
登校時でも私の姿を見つけると、通学班から離れて私のところに来るような子でした
担任の先生からも「学童保育に一緒に連れて行くように」と言われ、いつも手をつないで帰りました
何故なら彼女はよく転ぶ子だったので…

異変が起きたのは夏頃でした
当時、倒立の練習が流行っていて皆で順番に練習していました
私の番の時、少し離れた後ろで急に鼻血を出したのがユキコちゃん...
かなり気を付けていたし、ぶつかった感触は全く無かったのですが、周りの大人に聞いてもらえず
私の足が当たったのだろうと、先生達から私はかなり責められました
後日判明しましたが、原因は脳の当時手術ができないような場所に腫瘍が出来ていた事で、時々思うように手足が動かなかったり、違う動きをしてしまう時があったりした為だったそうです...

冬になる前には彼女は学校にも来なくなりました
後で聞いたところによると、日雇いの仕事をしているお父さんと二人暮らしの為、彼女は病院にも行っていなかったそうです
5歳の私はお見舞いに行きたくても彼女の家も分からず、平日も学童に行かなくてはならなかったので会えないまま…
ゆきこちゃんは2年生に上がることはできませんでした
お別れする日も「クラスの代表が行くから」と担任の先生に言われ、私は彼女にお別れもできませんでした
『どうして大人は形ばかりで、本当に彼女が喜ぶ事をしてあげないんだろう』と、今でも謎です
1番辛く悲しいのは残されたお父さんなのに...
数ヵ月後に、一度だけ町で見かけたユキコちゃんのお父さんは、本当に寂しそうで子供心にも声がかけられませんでした


ユキコちゃんが家に遊びに来た時に「手の形みたい🎵」と言っていたクリームパン

私は元気な彼女しか覚えていませんが、その彼女が大人になって会いに来てくれたような気がしました
今度は、たくさんの愛に囲まれて〜これからもイロイロな事にチャレンジしてね🍀
ありがとう、ユキコちゃん

そして私も「何で貴女ばかりがお客に声をかけられるの?」と言われる、その職場を辞める決心がついた時でした(≧▽≦)
ありがとう✨