前回書いたブログ、その①からの続きです。
1月18日(土)は天気が良かったので、眺望の良い場所に行って、遠目から御嶽山を
眺めて、自宅に帰った後、昼の2~3時頃、洗濯物を畳んでいた時に、突然ある映像が
私の脳内に映し出されました。(おそらく変性意識状態)
真っ白な光が満ちた空間の映像が視え、浮かんで来たものを言語化すると
・原初の宇宙
・光
・私しか居ない
・無いとも在るとも言えないような空間
・シンプルと混沌が混在
このような連想をしました。
仏教的に言えば「無色界」という感じか。しらんけど
言語化すると本質からズレるような気がして、かと言って、言語化できなければ
ブログに書く意味が無くなるので、書きますが。
「空間に私しか居ない」「人も物体も 何も存在しない」という映像だが、
全く恐怖感とかない。
その映像と繋がると、色受想行識の五蘊が無くなっている感じ。
そこから外れると、このようにグダグダ思考したり、文章書いたりして
遊んでいる私((´∀`))ケラケラ
「私」「我」という言葉を使うと、原始仏教の人に、「私」なんて存在は居ないんだ
からと突っ込まれそうですが、便宜上使わせて下さい。
その映像を脳内に出しておく限り、原初の宇宙と繋がって、瞬間自動瞑想状態に入れ
るコツみたいなモノを掴んだ。
原初の宇宙?かどうか知らんが、その空間の意識状態から抜けて 現実世界を眺めて
みると、いかにこの世の集合意識の檻にひっかかっていたのか がわかる。
こうやって文章をかいていても、誰かの思考の受け売りかもしれんと思う
その受け売りだとしても、どの思考を採用すれば、自分らしく生きやすいか、
その時々で実験するしか無いと思う。それを分かってて、行動に移すのと、
無意識に流されていくのとでは、また因果が変わっていくのだろうと思う。
この世は、意識が生み出したもの
集合意識が作った共同幻想=現世の81億人+肉体の無い意識体の集合+
この世に存在するすべてのモノに宿っている意識体=みんなが共同創造主
人間の脳内でイメージ出来る映像は実際に存在する、(夢の中でも)
集合意識の作った共同幻想から抜ける事=解脱
今のところはこういった思考が腑に落ちた。また変わるかもしれんが((´∀`))ケラケラ
まあ、長い年月をかけて何京?人 何兆人?億人もの思考が、絡まった糸の
ようになって、複雑化されてすぎてしまったこの世界。
いま目にしている世界は、過去を含めた集合意識が作ったものが具現化している。
まあ、創造主が仕込んだ、自作自演の世界とも言える。
水瓶座冥王星時代に入ったということは、いままで作って来た共同幻想が破壊され
更地になる段階に入ったという事
今まで当たり前だった価値観が壊され、通用しなくなるだろう。
それはそれで興味深いワクワク
ちなみに、
誰かが作った組織に入ると、そこの創始者意識体が作った集合想念の影響を受けて
自分の魂の本質とズレて来るのが分かる為、なるべく組織に関わらないように、
必要最小限にしています。
犀の角の様にただ独り歩め
を一番のモットーにしています。
これが解脱への近道なのではないかと実験中。
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おまけ
噴火警報レベルが報道される前に、御嶽山をぼーっと眺めていた時に感じた
感覚では、ちょっと山の波動的に内圧が高まっていて、ヤバい感覚はありました
ね・・・。
あまり活火山近くには行かない方が良いと思う。
ではまた