私がどのようにしてヒーリングの仕事をするようになったかシリーズ
「ヒーラー岡田歩の起源」のその4です。
とうとう革命を見出します
ほんとか

 ヒーラー岡田歩の起源 その1 - 焼き鳥中毒
 ヒーラー岡田歩の起源 その2 - 将来の夢は革命家な高校生
   ヒーラー岡田歩の起源 その3 - 革命家の素晴らしい素質orすごいダメ人間

(7年前のブログの再掲載です。)
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そして気がついてみると、ヒーリングの仕事をするようになっていました。

歴史を見ても平和な社会を作ろうという試みが、
つぎつぎと失敗しています。

自己探求の旅をしているうちに、ここ数年、平和な社会を望むなら、
まずは自分の心の平和からしかないと心から思うようになりました。

そうゆうことは、ずーっと言われていたんだけど、
きれいごとのような気がしていました。

自分が平和になっても、まわりに苦しみや騒乱があれば、
自分もその苦しみに共鳴して平和ではなくなるかもしれないけれど、
それでも、私が完全に責任を持てるのは自分の心の平和だけだもの。

だから、まずはできるところと、自分からです。


確かに、社会への働きかけも重要だけど、
それに心の平和が伴っていなかったら、
やがては失敗するんじゃないのかなと思うのよね。

しかし、自分の心の平和っていう最小単位にさえ
責任を持つのも簡単ではありません。
私も、日々、失敗してばかり。

でも、だれかが有名な人が「成功し続けるまでやり続ければ、
失敗なんてない」ってことを言っていたような気がします 
(わー、すいません、引用が超あいまい)。

心の平和を目指すヒーリングを自分の仕事にするってことは、
私にとっては「革命家」になるってことなんだって、
焼き鳥を食べながらはっと気がつきました


「害を与えない自分になること。」これが私の革命。

これまでも、そして今もなお、

いろいろと多くの害を与え続けてきているので、「害を与えない」なんて
あたし的にはまさにレボリューションってことでもあるんだけどね...

というように、いろんなことがパーッとつながった瞬間だったのです。
それで、とりあえず私はこの方向でいいのかなって思ってしまいました 
(案外、単純)。

もちろん、すべてが私の勝手な思いこみでしかないのですが(笑)....

でも、焼き鳥屋さんにいたほんの一時間たらずの間に、
何百曲もあるビートルズの曲の中からレボリューションがかかる確率は
あまり高くないはず、そして、あれから数ヶ月たちますが、
それ以来、そこでビートルズがかかったことは一度もありません。

こうやって書いちゃうと大げさな感じになってしまうけど、
とにかく一瞬のうちに、悩みモードから「明日もがんばろう!!!」っていう
焼き鳥がおいしく食べられるモードに入りました。

もちろん、そのときにジョン・レノンさんがくれた安堵感に、
ずっと安住しているわけじゃないんですけどね....

私の中でいろんなことがつながった場所。
それがこの焼き鳥屋さんなの。
だから、お気に入り。
一人で通いつめるさびしい中年の女子と思われてもいいの。

でも、注文するとき「いつものでいいですか?」って言われると、
やっぱりちょっとはずかしくて顔を赤らめがち….誰も見てないけど...,.

とにかく、とうぶんは、焼き鳥を食べながら、
あたし自身の革命にチャレンジし続けるわよ。

ヤーっ (掛け声) 
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(再掲終わり)

私の育った家はスナックだったんだけどね。
家でスナック経営してて、奥に住んでた。
私が4歳ぐらいのときに開店したのかな。
当時からこんな↓パネルがお店にあったの。
ジョン・レノンファンなんて、誰もいなかったんだけど、
開店の記念にもらったらしい。


17歳のときに家でするときに、盗んできて、
北海道から上京するときにも持ってきて、
家族と完全に和解するまで、私のもとにありました。

小学校のときは、なぜか、ずっと布施明かと思ってたんだけど(笑)。
小さな私にとっては、もみあげが長い人=布施明だったんだと思う。

天国って、いやいや、ほんとないと思う。
ここ以外のどこかには.......

いつの間にか、革命という視点で、
自分を見ることはなくなりました。
それは、きっと、本物の革命家たちに出会ったからかも.....

<番外編(元FBIの指名手配犯にガチで会うシリーズ)に続く>