『祈りの力 笑いの力』にまつわるあれこれ ー オカン祭り その1 | 分散と結晶化★岡田 歩のブログ

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探求、目覚め、ヒーリング、オーガニック精油

祈りの力がとてもパワフルだということは、最近では多くの人に知られていますよね。特に、私のブログに興味を持ってくださっている方の間では、そうだと思います。



でも、私は、最近は、本当は、祈りよりも『知っている』のほうがパワフルかつ本質的だと思ってます。



『知っている』っていうのは、まじで、宇宙のありようというか、命のありようを知っていて、それがいかに守られているかを『知っている』から祈らない態度のことです(ここではね)。



たとえば、ヒーリングのセッションをしたら、そこで、自分ができる限りのことをして、後は忘れる。

誰かが困っていたり、助けを求めたら、実際に相手に向き合っているときは100%寄り添い、できることをして、後は忘れる。


目の前にその人がいないときに、心配しないということなんです。
人はすべて起こるべきことを体験していて、その体験に、よい悪いはないし、現象としては不完全だけど、完璧性の中にいるわけだから、大丈夫なのです



それに、自分が、今、実際に向き合っている場ではないところでは、物事は、とても調和が取れた状態になっているんだとか。

ここで、「向き合う」という言葉は、意識が向き合うということじゃなくて、実際に、実際に目で見ているとか、話しているという意味です。だから、目の前の現実以外の場では、ものごとは、うまく行っているのです。



いずれにしろ、自分が関われるのは、自分の間の前で展開する世界だけだし。



ただ、私は、「知っている」ほどの意識状態になっていないから、
目に見えない世界についつい意識を向けて、大丈夫かなとか思っちゃったりするわけです。



さすがに、心配は、ほぼ役に立たないどころか、だいたい自分にも相手にも迷惑なエネルギーだという頭はあるので、『知っている』という意識を確立できないことがらに関しては、心配のかわりに祈ります。



そして、未熟な私はだいたいにおいて『知っている』感まで到達できないことがほとんどだし、結局、結構、祈るわけです。



こうなりますように、ああなりますようにな祈りではなくて、ただ、自分の心を静かにしていって、ピュアで、純粋なエネルギーを自分の中に広げていってその中に心配を溶かしていくというような祈りにしています。



ところで、私ごとですが、今週、北海道に帰省します。

おととい70歳を迎えた母と温泉旅行をしてみます。



だいたい、私は、大学生の途中までは、たいそう親のことを嫌っていたし(ごめんね~)、そうとう勝手に生きてきたし、親孝行とかしたことがないし、旅行なんて一緒に行ったことなかったけれど、今回は、なんだか、めっちゃ気が向いたので、いやがるママを説得し、洞爺湖に1泊で行ってきます。



まず、私にお金を使わせるのがもったいないとうことで、拒否され、
次には、自分のいびきがうるさいので、そのいびきで私が夜眠れなくなり、
翌朝私の機嫌がものすごく悪くなって怒られたら、いたたまれないので、気が重いということで、拒否されましたが、
「たった二人の母子旅行、旅館でお部屋別々攻撃」で、乗り切りました。



どうか、どうか、私に親孝行のまねごとみたいことをさせてください。


本当は、私が、有珠山に登りたいのと、湖の上から花火を見たいから行くので、本当に、真似事なんだけど。。。
でも、やっぱりやったことないことをするのは楽しみだなぁ。
<本題に、まったく入れないまま続く>