なにがどうで





どこがどうで





だからどうとか







そういうことが




本当にバカらしい







だったらなんだというのか






どこにいっても満ち足りないのは当然だろう







何かたりないものを模索する、それが生の正体ではないか。






全てに満足した状態、それは死を意味するのではないか。








とりあえず、私の目標はこうだ。





デッドボールを受けたとき、



『避けられなかった自分が悪い。』





と言えるようになることだ。






当たったことによる怪我




その怪我による出場試合数の減少、成績不振





減俸、最悪の場合、解雇、選手生命の剥奪。







いろんな悪影響が考えられる





誰かの失敗で、自分の生活が脅かされる。






今のオレなら、当てたやつを一生恨む。







でも、それではいつまでたっても三流の選手のままだ。







いつまでも自分がダメなのを周りのせいにして、







それで偽りの満足を得て、






一生成長しない。








四年かけて、





そういう風に考えられるようにすること。






それが私の目標。







そこまでこれたら、私は本当に




本当の意味で私自身を認めてやろう。







それが、私のあるべき姿なのだから。




悔しさや






悲しみ







怒りは







時間と共に薄れて







やがて、その出来事さえも





思い出となる







あんなに泣いたことも









時間が洗い流して







やがて消えてしまう







そうしなければ





たくさんのことを抱えすぎて






人は生きていけない








どうしても忘れたくなければ







毎日肝を嘗め






薪を枕にして寝るしかない







たくさんの移りゆく環境の中で






全部忘れ去ってゆく









良くも悪くも。






私は大学受験に失敗し、




学歴としては良い経歴はつかなくなったのだけれでも、






もし仮に、私が東大や京大に入ったとして、






だからといって、私の人格や将来が全て保証されることにはならないと思う。






少なくとも、東大、京大に在籍、卒業している人は、





それが当然だと思っているし、




そういうことをいちいち口にだしたり、




考えたりもしないだろう。









悲しいのは、







誰々はどこを出ているとか、そーいうことばっかり考えてる、






学歴コンプレックスの塊みたいな人だ









ま、うちの親のことだけど、






私にも一部そーいう気持ちはある。









どこ高から何人行ったとか、そういうものに意味はあるのか…






その高校にもいろんなやつがいるし、




そいつ自身の話なのに、高校の話に移り変わったりしちゃったりして、





本当に味気ないと思う。






やっぱり、ないものは欲しくなるのかな








なんだか





そういうものに縛られて、






自分を固めてしまうのは、






本当につまらないと思う。







ひとつの組織があれば、





そんなかには色んなやつがいて、






おんなじやつはひとりもいないし、






こんなの当然のことなのに。









中国人にだって何人もいいヤツはいるだろう








アメリカ人にだって、内気なやつはいるだろうし。








自分がそーやって縛って考えてしまうから、




こんなこと考えるんだけども。







もう、そんなことに頓着するのは飽きた。






あるのは








オレが大学受験に失敗したこと。






それだけだろ。







本当にそんなこと、すぐどーでも良くなるだろうな。







また次の問題が発生するんだろうな。






そうやって毎日続いていくんだろうな。







全体の中の自分の位置付け、




じゃなくて、






自分には何ができて、何ができないのかを見極めたい。