こんにちは
仙台に、2週間越えで行っておりました。
その間、ブログを書くつもりでPC持参。
しかし、ラグ交換,コタツ設置、冬タイヤ交換、
外の鉢を室内移動、花の苗買い出し等々・・。
冬支度手伝いに忙しく、書けないまま帰宅。
それでも、11月1日に↓に参加出来ました。
日頃のグータラが祟り、前日は疲れ果て、
風邪の前兆なのか寒気、加えて大雨予報。
キャンセルを迷ううちに、迎えた晴天の朝!
大崎八幡宮大鳥居の下に、集合。
応募数は4倍だったとのこと、キャンセルなんて
申し訳ない、貴重な機会を逃すところでした。
石段の上から、斎行の「生」雅楽が聞こえて
八幡様と言えば、凍える冬のどんと祭。
さて、昭和30年代、町内の店にまつわる
思い出、今回は靴屋さん。
街ではない!町の靴屋さん。
最近「靴職人」といえば・・
ボンジョルノ~、イタリアで修業しました。
(短期ではあっても・・)
おっしゃれな店舗、汚れてはいてもかっこいい
作業エプロンとか、そんなイメージ。
(私だけならすいません)
靴職人のおじさんが、どこで修業して、
靴屋を開いていたのか分からないけれど、
一から、革靴を作って、修理もしていた。
昭和27年、父が開業するより早く靴屋さんは
あったという。
町の「靴職人」の店。
父の靴も、私の靴も作ってもらった。
昭和の庶民のオーダーメイド!
小さな店内は、皮や靴の木型が山積み。
おじさんの前には、靴を被せる鉄の台、皮を切り
削ったりする、各種彫刻刀みたいな物。
釘を引っこ抜く器具、釘や、縫う紐とか、針、
容器に入れた黄土色のもの(にかわ?松脂?)
釘の箱、種々、並んでいた。
最初に作ってもらった靴は、よく覚えている。
「靴屋さんに頼んでおいたから、行ってきて」
母に言われて、足の型を取ってもらいに行く。
遊んでいた、近所の子たちもついて来る。
父の大きな革靴を持って、修理を頼みに
行く時も、ついてきた。
おじさんは、にこにこして作業を見せてくれた。
膝の上で、厚い皮を削って踵を作る。
打ち付けられている細い釘を引き抜く。
何か塗り付けた麻紐で、力を入れ縫う。
中でも、興味津々だったのが、細く小さな釘を
打ち付ける作業だった。
NHKプロフェッショナル「仕事の流儀」に紹介
されたハドソン靴店、村上塁さんの記事に、
「靴底に打つ釘は、抜けにくくするために
錆びさせて使っている」というのがあった。
「おお!そうだったのかも」と納得。
並べた釘には、錆びた釘の箱もあった。
さて、引き付けられた「魅惑の技」とは?
おじさんは、小さな釘を口の中に複数入れて、
一本一本出して、金づちで打ち付けていた。
この、口の中から釘を出すというのが、衝撃で、
手品みたいでもあり・・
「痛くないの?」
「味する?」
「間違って飲み込まないの?」
食いついて、おじさんを見守る。
口の中に含む理由は、聞いたのかもしれないが
覚えていない。
靴底の周りに、皮を打ちつける時だったような。
湿らす、わけがあったのかも・・。
密かに思わずにはいられなかった。
「試してみたい・・」
父の手伝いで、道具箱の釘を見ると、
誘惑が私を誘うww。
しかし、危険な行為と、さすがに働く自制心。
今になって思う。
食いついて見てた、みんな~!
試したりは、しなかったのでしょうか。
靴の完成が楽しみで、何度も見に行った。
そして、出来上がったのは真っ黒・・。
かわいいとは、思えない・・黒い靴。
先が丸く、ベルトをパチンと横に止める靴。
(こんなにかっこよく、とんがってはいなかった)
革靴だから、履き始めは硬い。
長い期間履けるようにと、大きめに作るので
中敷きで、調整してくれた。
窮屈になると、あちこち調整してくれる。
そのおかげで、足がすれて痛かったとかいう
記憶は一切ない。
その次の、一足も、全く同じデザインの
黒い革靴だったと思う。
(またか・・)と、内心がっかりしていた。
いつから、この、父好みの靴でなくなったのか、
覚えていない。
イタリアでは「靴はその人の人格を表す」
ということわざがあるという。
ヒールがあれば嗚呼、哀しいかな、
股関節が痛む高齢者の私・・。
ドタドタ歩いて、決まって外側を減り減らす。
そんな私の履くペタンコ靴が表す人格とは・・。












