とても古いニコンのNIKKOR-SC 50mm F1.4です。

とても古そうなのに純正と思われる茶色のケースはすこぶる程度が良くレンズ本体もとても良いコンディションです。

 

 

ネットでちゃらっと調べたらこのタイプの50㎜ F1.4は1950年代に2種類あったそうです。

 

 

前回のキャノン 35mm f1.5 レンズと同じでフォーカスリングにロックピンが付いています。

 

 

無限遠は INF (インフィニティ?)と刻まれています

 

 

マウントはライカと同じL39スクリューマウントです。

 

 

レンズも古いのにとても綺麗で内部もカビ・チリ・クモリ・バルサム切れ等が全くありません。

 

 

絞り羽根は一体何枚あるのでしょうか?

一部油染みのようなものがありますが絶対に分解したくありません

絞り値はF1.4~F11までとなります。

 

でも、このレンズちょっと変なんですよ!

 

 

銘板には50mm F1.4じゃなくて50mm F1.5と刻まれているんです。

なのでネットでNIKKOR 50mm f1.5で検索してみたのですが50mm F1.4しかヒットしないのです。

 

 

更に銘板を見ていくと NIPPON Kogaku Tokyo になっているんです。

普通は Japan じゃないですかね。

 

最初はF1.5はF1.4の間違いではないかと思ったのですが、銘板に堂々と刻まれているのに間違いはないだろうと思いあれよこれよと様々なワード検索してもなかなかヒットしません。

そこで銘板通り NIPPON Kogaku Tokyo NIKKOR-SC 5cm f1.5でしつこく検索してみたらようやくヒットしました。

 

実はこのレンズ、1949年に800本しか生産されなかった(1,115本の説もある)非常に稀なレンズだったんです。この後の5cm F1.4とは別物になるようです。

 

当初日本光学はキリの良いF1.4と表記したかったそうですが実測値ではむしろ F1.5 に近かったとか,設計的に無理があると指摘されるなどの紆余曲折があってF1.5表記になったとか。すると今度はカール・ツアイス ゾナー(Sonner) 5cm F1.5のデットコピーじゃないかと言われ大クレームになったそうです。まぁ、実際にもその通りのコピー品というか参考にしたレンズでした。7枚のレンズを貼り合わて3群を構成していて、第2群と第3群がそれぞれ3枚のレンズの貼り合わせになっているのがゾナー型レンズの特徴なんだそうです.

戦後間もない日本の工業製造界は現在と全く違い製造される製品の殆どが海外製品のコピーでした。日本はコピー品を製作して製造技術を学びながら研鑽している状態であり、それらを安く大量に輸出する事によって外貨を稼いでいました。

このため海外(欧米)からは『日本製はコピー品の安かろう悪かろう』などと揶揄されていました。

 

そんな悪評の中に埋もれてしまっていた日本光学でしたが1950年にに転機が訪れます。

それは1950年に勃発した朝鮮戦争です。

この戦争にアメリカ軍は国連軍として参戦していました。

アメリカ軍の活躍をアメリカ全土否世界に報道するために従軍写真家と呼ばれるカメラマン達がこの戦争の前線にて写真撮影をしていました。

デビッド・ダグラス・ダンカンはアメリカより当初日本文化の伝統美をテーマに撮影するため来日していました。その後同戦争勃発後に従軍写真家として前線に赴きます。

彼こそがNippon Kogaku Tokyo を世界のニコンへと押し上げた立枝役者なんです。

デビッド・ダグラス・ダンカン(以下ダンカン)はアメリカの超有名雑誌「LIFE」の専属報道カメラマンでした。来日時は「LIFE」の日本人専属報道カメラマン三木淳一氏と行動を共にしていたようです。

ある日ダンカンがコーヒーを飲みながらくつろぐ姿を三木淳一がライカ3C + ニッコール8.5cm F2で撮影しました。そして三木がこのレンズのことを「日本製のゾナーだよ」とダンカンに説明すると、ダンカンは「ほう、日本製のキャデラックなど、どこにある?」つまり所詮コピー品だろ!という意味で敗戦国製のレンズなど気にも留めなかったそうです。

しかし、翌日8×10サイズにプリントした写真をダンカンに見せるとダンカンは驚愕したそうです。そして「こんなシャープなレンズは初めてだ! この会社を見てみたい。すぐに電話をかけてくれ」と三木に頼んだそうです。

翌日、ダンカンは三木、「フォーチュン誌」の写真家ホレス・ブリストルを連れて、日本光学の大井工場を訪問。そしてダンカンとブリストルが持っていたライツ、ツァイスレンズとニッコールレンズとを投影検査機で比較。その結果を見た彼らは、「ワンダフル、ジャパニーズレンズ」を連呼したそうです。そして Nikkor SC 5.0cm F1.5 Nikkor Q 13.5cm F4 の購入を即断したそうです。

そのすぐ後となる1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、ダンカンは2台のライカにNikkor SC 5.0cm F1.5 Nikkor Q 13.5cm F4の2本のレンズを付けてダンカンは誰よりも早く前線に赴きました。

写真をニューヨーク本社へ電送すると本社から、「君の撮った写真は非常にシャープで驚いている。大型カメラの4×5で撮ったのかと思うくらいだ。どんなレンズを使っているのだろうか。と、ライフのフォト・ラボで話題になっている。ぜひとも教えて欲しい」という電報がきたそうです。

これに対しダンカンは「それは終戦後日本で作られた、ニッコールというレンズである」と即返電しました。これによりこれから朝鮮戦争に従軍するライフの写真家達は「ニコンボディ2台にレンズ一式そろえておいてくれ」と三木淳一へ電報を送り、東京支局でニコンを手に入れてから戦場へと向かうようになりました。タイム・ライフ社からは、次々に注文が入り合計150台にもなったそうです。

 

コピー品のMade in Japanではなく完全オリジナルのMade in Japanとして世界に刮目され出したのはこの時からじゃないかと思います。

 

この逸話(実話)よってニコンはアメリカ全土から世界に増殖していったのです。

このような物語故にNikkor SC 5.0cm F1.5はF1.4とは別格の扱いとなっているのでしょう。

 

無知ゆえに...。

こんな歴史のある銘機とはついぞ知らずとんでもない指値を言って購入してしまいました。

しかし私には使用する予定がまったくないというかできないので

まさに猫に小判ですね。

 

※ 本文はWikipediaに出典されている 

 「デビッド・ダグラス・ダンカン」「三木淳一」の項目より多数引用させていただ    

  いています。