2017年11月18日小雨の中八紘之基柱の内部を見学してきました。
年に一度だけ内部公開されますが毎年ではないようです。
日名子実三氏(彫刻家)の設計で塔の外観は御幣(神社などで使用する細長い棒に取り付ける白いカクカクした紙)
をモチーフにしています。日名子実三氏は日本サッカー協会のシンボルマークの八咫烏のデザインの製作者として有名です。
当時日本で一番高いビルが東京のマルビルで約30m八紘之基柱は高さ約31.5m(10階建て)台座部分から約36.4m
すごい力の入れようが感じ取れます。それだけ国として重要な事業だと思われます。
内部は正面に奉納庫で秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)がお書きになられた「八紘一宇」の御真筆が納めれれていました。
現在は他のところで一般公開もなく保管されているそうです。
日名子実三氏の石膏レリーフ(浮彫彫刻)が8点壁面に飾られています。
日本神話や天孫降臨神話又塔を作った時代の時代背景を物語るものとなっています。
八紘之基柱は神武天皇の即位2,600年にあたる昭和15年に紀元2,600年記念事業の一つとして建設されました。
戦後GHQによって壊される運命でしたが宮崎神宮の神官や地域住民の命がけの行動で塔自体の破壊はまのがれて
塔の正面の八紘一宇の文字と荒魂(あらみたま)像だけ撤去されることで貴重な歴史遺産守ることができました。
荒魂の像は昭和37年に八紘一宇の文字は昭和40年にそれぞれ復元されています。
神武天皇が発せられた建国の詔にるお言葉が、
上則答乾霊授国之徳
下則弘皇孫養正之心
然後、兼六合以開都
掩八紘而為宇、不亦可乎
「八紘」は天から降りてきた8本の綱で、四方八方やたくさんの意味です。
その四方八方を掩(おお)って、宇(いえ)と為(せむ)といいます。
八紘宇為(はっこうゆう)が元のお言葉でその後、八紘一宇という言葉が作られました
世界中の人々がひとつの屋根の下で差別もなく、争いもなく、家族のように仲良く暮らす
神武天皇の建国の詔(みことのり)で、建国の理念です