偉大な勝利はスターリングラードから!(戦勝77周年記念おめでとう!)
77年前の11月19日、多くにおいて第二次世界大戦の結末を決めた出来事が起こった。 1942年11月19日、赤軍はスターリングラード攻防戦で反撃に移った。この作戦は、ドイツ・ファシスト軍の全滅に終わった。1945年春に達成された勝利への道は、スターリングラードから始まった。
1942年11月19日早朝、赤軍の数千門の大砲が敵に砲火を浴びせ、攻撃が開始された。ソ連軍はそれから数日後、包囲の環を閉じた。包囲環には、ドイツ軍の将校や将軍などおよそ300人が取り残され、その後3ヶ月間、極めて激しい戦いが繰り広げられた。ドイツの将校たちは、包囲の環から脱出しようとあらゆる試みを行ったが、全て無駄に終わった。
ヴォルガ川流域で繰り広げられたこの作戦は、「ウラン作戦」と呼ばれている。「ウラン作戦」の準備には2ヶ月を要した。援助のために西シベリアから部隊が派遣され、スターリングラード近郊には強力な攻撃部隊が創設された。歴史家たちは、「ウラン作戦」を第二次世界大戦の転換点と呼んでいる。
ロシア科学アカデミー世界史研究所のミハイル・ミャグコフ専門家は、これは、当時、全ヨーロッパを支配下においていたドイツの軍にとって壊滅的な打撃であり、ドイツ軍は再び立ち上がることができなかったと述べ、次のように語っている。
「まさにこの時、戦いの精神的な転機が訪れた。ドイツ側は主な部隊を投入し、ヒトラーは、スターリングラードに非常に大きな政治的な意味を与えた。その時、ドイツ軍は意気阻喪したが、ソ連軍は敵を阻止できると感じた。」
反撃の前には、数ヶ月にわたって苦しい戦いが行われた。ナチス・ドイツ軍は7月中旬、スターリングラードに向かって前進し、スターリングラードは8月までに陥落するとの確信を持った。だがドイツ軍は、死を覚悟で町を守ろうとする信じられないほど強い抵抗に直面した。町の防衛に参加した人々によると、スターリングラードでは、町で最も戦略的に重要な場所であるママエフ・クルガン丘を巡る戦いが続いたほか、町の通りや住宅を巡る壮絶な戦いが繰り広げられたという。
全世界が、ヴォルガ川流域での戦いを、心臓が止まるような思いで見守った。全人類の運命は、その結果にかかっていた。スターリングラードの防衛者たちは、町だけでなく、全ヨーロッパ、そして全世界をファシズムから救った。スターリングラード近郊でのドイツ軍の壊滅は、欧州諸国での対独抵抗運動を活発化させた。
スターリングラード攻防戦は、200日と一晩にわたって続いた。死亡あるいは負傷したソ連の将校や兵士たちの数は、およそ100万人。ドイツ軍は、ソ連対ドイツの前線に参戦していた戦力の4分の1を失った。
第二次世界大戦 独ソ戦争(大祖国戦争)とは?
(地上に生き残るための戦い )
なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、生き残るための戦争だった。
ではなぜ頭に大がついているのだろ うか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍と の戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、ルーマニ ア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦いが同レベルの戦いと見なされ ることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの戦いが同等に扱われている。
ロシアでは功績を上げた戦争功労者の世代に対して、特別な尊敬の念がある。ただしどの旧ソ連諸国でも同じというわけではない。例えば、こんな作文を書いたリトアニアの子供がいる。
「老人が通りを歩いてハーケンクロイツをつけた今の若者を見たり、テレビでさまざまなファシストの集会を見たりするとどんな気持ちになる のか、多くの人が想像もできない。でももっとひどいのは、若くて体格の良い若者がお年寄りに近づいて、お前たちがソ連を手助けして平和を乱した、なんて言うこと」。
ロ シアの若者にもいろいろな人間がいるが、国と社会は祖国のために戦った功労者への暴言に強い憤りを感じる。21世紀初めでも戦争功労者を称えるイベントが たくさん開催されていたり、社会でこのような人々に人気があったりすることは、ロシア人にとって大祖国戦争の勝利が忘れがたき貴重な功績であることを示し ている。
「ゲオルギー・リボン」運動
「ゲオルギー・リボン」運動はこの良い例だ。これはロシア帝国とソ連の勲章のリボンと同じ色の象徴的なリボンを配布する社会活動で、2005年から毎年 対ドイツ戦勝記念日に行われている。これは社会が自発的に始めた活動であり、政府関係者が参加したのはしばらくたってからである。「ゲオルギー・リボン」の主催者は、「前世紀のもっとも恐ろしい戦争に誰がどのように勝利したのか、誰をそして何を誇るべきなのか、誰のことを忘れてはいけないのかを、若い世代 に伝える」ことが目的だと話す。
4月23日、ロシア、そして多くの国々では、ゲオルギーリボンを配るキャンペーンがスタートした。
これはファシズムに対する偉大なる勝利を記念するものであり、ロシア及びCIS各国では、5月9日に戦勝記念日が祝われることになっている。
黒とオレンジのゲオルギーリボンは、ロシア帝国、ソビエト連邦、ロシア連邦における軍事勲章の代名詞であり、勇敢と栄光の象徴だ。リボンがはじめてロシアの軍服に採用されたのは、1769年、聖ゲオルギー勲章と共にだった。19世紀はじめからは、ゲオルギーリボンは功績のあったそれぞれの軍部隊にも授与されることになった。
プーチン大統領は偉大なる指導者である!
偉大なるロシアの文化交流・ロシア民謡(ポーリュシカ・ポーレ&カチューシャ)
歌・赤軍合唱団。(ポーリュシカ・ポーレ)凄く素晴らしく、聴くと元気がでるロシア民謡&軍歌です。
歌:ヴァルヴァラ(カチューシャ)

































