「一人ひとりの内面からしか世界は変わらない」
マイスター・エックハルト(Meister Eckhart, 1260年頃-1328年頃は、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。
本名(Ulrich Leonard Tolle)
1948年2月 (68–69歳)
リューネン, ドイツ生まれ
1948年2月 (68–69歳)
リューネン, ドイツ生まれ
(中世ドイツのキリスト教神学者マイスター・エックハルトに影響を受ける)
エックハルト・トール「一人ひとりの内面からしか世界は変わらない」
転載元:VASTSTILLNESSさんより
エックハルト・トール
「一人ひとりの内面からしか世界は変わらない」
2015年1月24日
エックハルト・トールインタビュー2015/1/22
これは一昨日2015年1月22日、HUFFPOSTにアップされたエックハルト・トールへのインタビュー記事です。質問者が冒頭で話しているように、私たちを取り巻く情報環境は、日々つきることなく世界中から“問題”をかき集め“問題だらけ”の世界を突き付けてきます。それによって一瞬にして集団的な思考が自分のものとなり、架空の大きな敵を創り上げ作戦を練り始めます。そして次の瞬間には手を付けられずに途方に暮れることになる、この繰り返しをしているのです。
エックハルトは、先日の上映会で取り上げた講演「エンライトメント〜人生の目的」の中でも、「もし人類の意識が変わらなければ、この悲惨さは続いていきます。このまま集団意識が変わらなければ、この地球は後100年ももたないと私は思っています。しかし、個人の意識が変わらなければ集団意識の変化は起こりません。個人の意識が集団意識を作っているからです」と、珍しくご自身の見解を交えて語っていました。100年後人類は果たして22世紀を迎えられているのか・・・それは今を生きる私たちが自分の意識状態に責任を持って目覚めることへの急務を示唆しているようでした。
一人ひとりの内面からしか世界は変わらない
質問者:私たちは常に暴力的な、混沌とした恐ろしい世界に関する情報を耳にしています。インターネットや新聞、その他のマスメディアから、悲惨で痛ましいニュースはつきることがありません。最新ニュースでは、ISISというテロ集団による暴行が報道されました。このような狂気の沙汰が横行する中で、私たちはどうしたら内なる平安を見いだすことができるのでしょうか?
エックハルト:これについては様々な見方があります。まず、理解しておくべきことは、私たちがニュースを通して耳にしている大方の情報は、暴力や争いごとのある場所に焦点を当てているということです。つまり、まだこの世界にはかなり強烈な集団意識があるために、こういった情報が人々をもっと無意識にさせてしまっているということです。
質問者:「無意識」ということをもう少し詳しく説明していただけますか?
エックハルト:私が人に対して「無意識」という場合、気を失ったとか失神したという意味ではありません。スピリチュアルな意味で無意識と言っています。完全にエゴに捕われ、偽りの自己で生きている人のことを「無意識」と言っています。
エゴというのは、自己と他者を分離して捉えます。「私たち」とか「あの人たち」と分けるのです。エゴに捕われている人間は、自分というものを頭の中のイメージと考えで決め込んでいます。頭の中で自分のイメージとストーリーを創っているのです。このようにエゴに捕われている人は、いやおうなしに他人を批判しがちになります。つまり他者を敵に回すのです。エゴは、究極的な幻想の自分をより強化させるためにそういったことをするのです。
人が考えていること、信じていることは、それが何であれ、過去に影響されています。思考は、育った環境、住んでいる社会の文化とその文化的信念、教育環境、家族家系などに基づいています。エゴに捕われている人は、自分とそのような条件下に創られた思考を完全に一体化してしまっているのです。
そういう人間が考えること、行動することは、当然のことながら、完全にエゴが決めていることです。私が「無意識」と言っているのは、このような状態のことを示しています。
脅威の集団意識と非人間性
エックハルト:これについては様々な見方があります。まず、理解しておくべきことは、私たちがニュースを通して耳にしている大方の情報は、暴力や争いごとのある場所に焦点を当てているということです。つまり、まだこの世界にはかなり強烈な集団意識があるために、こういった情報が人々をもっと無意識にさせてしまっているということです。
質問者:「無意識」ということをもう少し詳しく説明していただけますか?
エックハルト:私が人に対して「無意識」という場合、気を失ったとか失神したという意味ではありません。スピリチュアルな意味で無意識と言っています。完全にエゴに捕われ、偽りの自己で生きている人のことを「無意識」と言っています。
エゴというのは、自己と他者を分離して捉えます。「私たち」とか「あの人たち」と分けるのです。エゴに捕われている人間は、自分というものを頭の中のイメージと考えで決め込んでいます。頭の中で自分のイメージとストーリーを創っているのです。このようにエゴに捕われている人は、いやおうなしに他人を批判しがちになります。つまり他者を敵に回すのです。エゴは、究極的な幻想の自分をより強化させるためにそういったことをするのです。
人が考えていること、信じていることは、それが何であれ、過去に影響されています。思考は、育った環境、住んでいる社会の文化とその文化的信念、教育環境、家族家系などに基づいています。エゴに捕われている人は、自分とそのような条件下に創られた思考を完全に一体化してしまっているのです。
そういう人間が考えること、行動することは、当然のことながら、完全にエゴが決めていることです。私が「無意識」と言っているのは、このような状態のことを示しています。
脅威の集団意識と非人間性
質問者:私たち欧米社会は、他の地域と同様にエゴに捕われているように見えますが、先ほど、世界にはより無意識の強いところがあると言っていたのはどういうことですか?集団的な無意識について説明してください。
エックハルト:欧米社会では 、他の地域でもそういうところはありますが、個人的なエゴが優勢になる傾向があります。それとは逆に集団的なエゴがより優勢なところもあります。集団的なエゴは「私」というより「私たち」という意識を強く持っています。集団的エゴには、部族、宗教、国民、イデオロギーなどがあります。
例えば、宗教的政治的な信念体系がそのまま個人的なエゴを創り上げているという場合もあります。今ではその傾向は少なくなってきていますが、20世紀はそのような集団的エゴの信念体系が強くありました。毛沢東が中国で権力を握っていた頃、何億人もの人々が集団意識に取り込まれていました。これはナチスドイツ、ソ連共産主義社会でも同様です。こうなった時、人々のエゴは最も肥大化します。分離感を強化するために敵を捜し、そうすることでエゴは生き残ろうとするのです。
個人的なエゴも機能不全がひどいものですが、集団的なエゴは輪をかけて人を狂気的な機能不全に陥らせます。この世界で起こった最も残虐的な行為は集団的なエゴによるものです。中世の宗教裁判があった頃には、宗教の名の下に拷問や迫害がまかり通っていました。キリスト教の教えは完全に誤って理解され、宗教がエゴ的な思考体系となってしまったのです。
人々の信念体系が完全に宗教信念と一体化してしまったために、みな残虐的になってしまったのです。もちろん、20世紀にはもっともっと恐ろしいことが起こっています。周知の通りです。
「彼らを許したまえ。完全に無意識だからです」
エックハルト:欧米社会では 、他の地域でもそういうところはありますが、個人的なエゴが優勢になる傾向があります。それとは逆に集団的なエゴがより優勢なところもあります。集団的なエゴは「私」というより「私たち」という意識を強く持っています。集団的エゴには、部族、宗教、国民、イデオロギーなどがあります。
例えば、宗教的政治的な信念体系がそのまま個人的なエゴを創り上げているという場合もあります。今ではその傾向は少なくなってきていますが、20世紀はそのような集団的エゴの信念体系が強くありました。毛沢東が中国で権力を握っていた頃、何億人もの人々が集団意識に取り込まれていました。これはナチスドイツ、ソ連共産主義社会でも同様です。こうなった時、人々のエゴは最も肥大化します。分離感を強化するために敵を捜し、そうすることでエゴは生き残ろうとするのです。
個人的なエゴも機能不全がひどいものですが、集団的なエゴは輪をかけて人を狂気的な機能不全に陥らせます。この世界で起こった最も残虐的な行為は集団的なエゴによるものです。中世の宗教裁判があった頃には、宗教の名の下に拷問や迫害がまかり通っていました。キリスト教の教えは完全に誤って理解され、宗教がエゴ的な思考体系となってしまったのです。
人々の信念体系が完全に宗教信念と一体化してしまったために、みな残虐的になってしまったのです。もちろん、20世紀にはもっともっと恐ろしいことが起こっています。周知の通りです。
「彼らを許したまえ。完全に無意識だからです」
質問者:人が人間らしさからかけ離れてしまい、集団的な考え方に捕われてしまうのはどうしてなのでしょうか?
エックハルト:人々がそこまでエゴに乗っ取られてしまうと、エゴ以外の何かが入る余地はまったくなくなってしまいます。人間性を感じることさえなくなります。他の人と分かち合っていることや、地球上の他の生命の存在さえ見えなくなります。頭の中の概念がすべてになり、他の人間さえも概念の一つになってしまうのです。これが分離感となり、その上にエゴは繁栄することになります。
もしあなたがイスラム過激派の一人だとします。あなたは他者を自分と同じ信念体系を持っていない異端者としてみるようになります。邪悪な者です。他者を人間として見るのではなく、自分と同じ信念体系を持たない者としてみるのです。一度他人を概念化して決めつけてしまうと、暴力は避けがたいものとなります。自分と同じ集団的な思考体系を持たない他人に対して同情を抱くことは不可能だからです。
「どうして同じ人間同士が、仲間である人間に対して、そのような苦痛を負わせることができるのだろうか?」とよく聞かれます。その答えは、彼らは完全にエゴに捕われているからです。エゴはどうしても他の人間に同情心を抱くことができないのです。だから、この地球上でこれほどまでの残虐なことが起こっているのです。十字架にかけられたイエスは言いました。「彼らを許したまえ。彼らは自分が何をしているのかわかっていないのです」。これを今風に言えば「彼らを許したまえ。彼らは完全に無意識だからです」となるでしょう。
この記事はHuffington Post Changing the World From Within: An Interview With Eckhart Tolleの翻訳です。
http://www.huffingtonpost.com/suza-scalora/changing-the-world-from-w_b_6519984.html?utm_hp_ref=eckhart-tolle
エックハルト:人々がそこまでエゴに乗っ取られてしまうと、エゴ以外の何かが入る余地はまったくなくなってしまいます。人間性を感じることさえなくなります。他の人と分かち合っていることや、地球上の他の生命の存在さえ見えなくなります。頭の中の概念がすべてになり、他の人間さえも概念の一つになってしまうのです。これが分離感となり、その上にエゴは繁栄することになります。
もしあなたがイスラム過激派の一人だとします。あなたは他者を自分と同じ信念体系を持っていない異端者としてみるようになります。邪悪な者です。他者を人間として見るのではなく、自分と同じ信念体系を持たない者としてみるのです。一度他人を概念化して決めつけてしまうと、暴力は避けがたいものとなります。自分と同じ集団的な思考体系を持たない他人に対して同情を抱くことは不可能だからです。
「どうして同じ人間同士が、仲間である人間に対して、そのような苦痛を負わせることができるのだろうか?」とよく聞かれます。その答えは、彼らは完全にエゴに捕われているからです。エゴはどうしても他の人間に同情心を抱くことができないのです。だから、この地球上でこれほどまでの残虐なことが起こっているのです。十字架にかけられたイエスは言いました。「彼らを許したまえ。彼らは自分が何をしているのかわかっていないのです」。これを今風に言えば「彼らを許したまえ。彼らは完全に無意識だからです」となるでしょう。
この記事はHuffington Post Changing the World From Within: An Interview With Eckhart Tolleの翻訳です。
http://www.huffingtonpost.com/suza-scalora/changing-the-world-from-w_b_6519984.html?utm_hp_ref=eckhart-tolle
(転載終了)
Jacob's Ladder
太陽が雲に覆われて、雲の隙間から光が放射状に地上に降り注いで見えるこの現象、学術的には薄明光線(はくめいこうせん、crepuscular rays)と云う。
一般的には「天使の梯子(はしご)/Jacob's Ladder」と云う。
旧約聖書の創世記28章12節
「12)時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た」
優しく手を引いて 階段を上がる。
全て心の持ちようである。
それがJacob's Ladderである。