夫の叔父の話
本日もお立ち寄り下さりありがとうございます。
今日は祝日。
天皇誕生日ですね。
本日の話題も長文です。
それでも最後までお読みになる気のある哺乳類様は、
あたたかい飲み物でもご用意してお読みくださいまし。
本日は冷えるので外出せず&逃亡もせずw、自宅でランチです。![]()
義父母が買って来てくれたモスです。(義父母はファストフード好きです)
私はモスと一緒にまたもや『ぐり茶』を頂いております。
数日前、夫の叔父さんが亡くなりました。
義父(私の夫の父)は三人兄弟の長男で、
亡くなったのは末の弟さん(三男の方)でした。
夫の家系は、わりと高学歴なご先祖を持つ家系で、
大昔は豪商でもあったのだとか。
戦前、戦中、戦後と、激動の日本だった中でも、
夫の祖父も曾祖父もそのまた上のご先祖の方々も、
商売で成功して財を成していたり、
大学へ行ける人があまり多くは無かった時代にも大学を出ていたり、
世の中に貢献していた役職や肩書だったり、
ビジネスの成功のみならず、インテリ、学者肌・・・と、
商才と学問の両面の能力を持っている家系だったようです。
そんな中、今回亡くなった叔父もまた、
頭は賢い方だったそうです。
ただ、ちょっとだけ、もったいない点があったそうで、、、
それは、コミュニケーション能力が乏しかったこと、、、。
何よりプライドがあまりにも高すぎて、
それが仇となって、まったくお金を稼げなかった人物でした。
賢いのに稼げない。
稼げないから、長男(義父)がいる実家へ、金の無心に来る。
この叔父にとっての実家とはつまり、
私が夫と結婚して住んでいる家ということです。
義父は長男でしたので、
長男の息子である私の夫が、夫の実家の家業を継いでいるので、
この叔父にとっては、自分の甥っ子が実家を継いでいるとはいえ、
叔父にとって実家はここしかありませんから、
私が夫と結婚してからも、
義父のところへお金の無心に来ていたのを、
私も何度かお見かけましたね。
この叔父は、義父がお金を渡さないと、
夫や義父の仕事上に関係ある人物の元へ、お金を借りに行くと言い出す。
そんなふうにしてあちこち回られると、色んな人にご迷惑になるので、
結局は義父が毎回、幾ばくかの金を渡す・・・という年月だったそうです。
私も一度か二度ほど叔父を見かけたとはいえ、
顔はよく覚えてはおりません。
その叔父が金の無心に来ると、
義父はいつも、外の喫茶店などに叔父を連れて行って、
そこで話を聴いてあげて、お金を渡していましたね。
義父は私達を、叔父に接触させないようにしていたのでしょう。
息子夫婦に、自分の弟のやっかい事を、背負わせたく無かったのだと思います。
この叔父は、自称『発明家』(?)だったか『研究者』(?)だったか忘れましたが、
とにかく、学識があって頭が賢いのは賢いらしく、
学者肌で、色々な開発だか発明だか、
そんなようなことをしては、それを企業へ持ち込んだりしていた(?)ようで、
特許を取得して、ひと財産築こうとしていたのだとか。
しかし、どれも当たらなかった。
持ち込んでも取り合ってもらえなかったり、
叔父いわく「案を盗まれた」とか「企業のやり方が汚い」だとか怒っていたこともあったとか。
とにかく、プライドが非常に高く、一匹狼で、他人に頭を下げるのも苦手。
ビジネスがらみで意見が聞き入れられないと、
相手が誰だろうとダメ出しをするタイプだったようです。
人脈だの、コネだの、根回しだの、うまくやるだのという、
そういった柔軟さが欠けていたのはもちろん、
彼を理解してくれる人間や、
支えてくれる人間に恵まれなかったのが、
なんだかさみしい感じがしましたね。
この叔父には、二人の兄がいたわけですが、
長男である義父は、家の家業を継いで実家に残り、
次男は一般企業に就職して家を出て、そのまま会社で出世し、
さらに草野球チームを並行して率いるなど人望もある人だったようですが、
次男は実家の家業や、実家への愛着に乏しく、
独立してからは実家とはほとんど連絡を取り合うことは無い状態。
しかし次男は、お金を稼ぐ力と、コミュニケーション能力はあったので、
実家を出ても、自分の家族を持って、
ちゃんと稼いで、家族を養って生活をしています。
だけど、今回亡くなった叔父(三男)は、
自分の家族を持つことも無く、お金を稼ぐことも出来ず、
研究者&学者肌のプライドが邪魔をして、
何の結果や成果も出せぬまま、
最期は大腸がんを患って、
生まれ育った土地とは別の、遠い他県の病院で、
ひそかに独りで亡くなりました。
遠方の他県で独り暮らししていた間の、
この叔父の生活費はどうしていたのかといえば、
それは生活保護でした。
しかしこの生活保護の受給も、
叔父が60歳くらい(?)になってから、やっと手続きしたのだとか。
自分の弟が金の無心にくるたびに、長男である義父は、
「自分で稼げないなら、生活保護の手続きをしたらどうだ?」と何度も助言したらしのですが、
「そんな、なさけないことはしたくない」と叔父は言い張って、
生活保護を受けることをかたくなに拒否していたのだとか。
叔父の価値観やプライドによれば、
生活保護を受けるのは恥だけど、
身内からお金を借りることは恥ではない。
だから、生活保護は絶対に受けたくないから、長男のところへ金の無心に来る。
長男である義父がお金を渡さず、
日雇いでもいいから別の仕事を見つけて、
自分で給料をもらって生活したらどうだ・・・と言えば、
義父やうちの夫の家業に恥をかかせようとして、
うちが世話になっているような人物のところにお金を借りに行くよと、やんわり義父を脅す。
そんなことをされて、あちこちに迷惑をかけられては困るから、
結局、義父がお金を渡す・・・。
たとえ学者肌で賢くても、プライドばかり高くて、コミュ力や柔軟さが低くかったがために、
研究や発明以外に、ほかに自分に合う仕事や職場を見つけて、
他人と交わりながら働く気になど、なれなかったんでしょうね。
そんなことが何十年も続いて来たけれど、
私と夫が結婚し、子供が出来て、
義父にとっての孫が生まれてからは、
自分の弟の件をそのままにしておくわけにはいかないと思ったようで、
もう家業は息子(私の夫)に渡してるし、孫も出来たから、
金の無心は今後いっさいやめて欲しいと、弟に懇願。
長い説得期間を経て、
やっと叔父(三男)は、長男である義父の説得を受け入れて、
生活保護を受給する気になってくれたらしく、
義父が諸々の手続きをすべてやってあげて、
それ以降は、もう叔父がお金の無心に来ることはありませんでした。
そして先日、
この叔父が最期をむかえた他県の病院から、
お亡くなりになられました・・・との連絡を受けた時、
義父はホッとしたと言っていたと、夫が話していましたね。
自分の弟(三男)の死は悲しいし寂しいけれど、
長男である自分が先に死んでしまったら、
次男はもう疎遠になっていて、今さらこの三男の面倒や問題を背負う気など無いだろうし、
だからといって、自分の息子(私の夫)に、
自分の弟(三男)の事を背負わせるのは申し訳ない・・・。
だから弟(三男)が自分より先に逝ってくれたことは、
色んな意味でホッとしたのだと思います。
賢いのに、稼げない。
学識はあっても、稼げない。
それって、悲劇でもあり、喜劇でもあるよね。
でも、そういう人って、沢山いるんじゃないかな。
この話が他人事じゃない人って、
きっと多いんじゃないかなと思います。
賢いのに、稼げない。
かしこいのに、かせげない。
カシコイノニ、カセゲナイ。
なんだかせつない、インテリ貧乏な人生。
世の中がお金中心の世界でなければ、
このプライドの高い叔父さんもきっと、
ただユニークな人、ただ個性的な人、として、
周囲からも親戚からも世間からも、微笑ましく思われるだけで済んで、
邪魔者だとか厄介者だとか、ややこしい奴みたいな印象や、
悲しい扱い方をされずに済んだのかもしれないよね。
長男である義父はただひとり、
この弟(三男)のことを見捨てず、
最期まで定期的に連絡をして安否を気にかけていたよね。
この叔父は10代の前半で自分の父親(うちの夫にとっての祖父)を病気で亡くし、
長男も次男もまだその頃は、10代半ばと10代後半。
一番小さかった三男である彼は、
まだ父親に甘え足りなかった小さい自分なりに色々考え、
ご先祖の学歴や経歴や実績に、子孫として恥じぬよう、
自分もご先祖たちを越える何かを成して、家族に貢献したかったんだろうね。
自分のご先祖やルーツの誇りに、自分も応えたかったんだろうね。
残された自分の母親(うちの夫にとっての祖母)たちの、助けになりたかったんだろうね。
自分個人の欲のためにお金を稼ぎたかったんじゃなく、
「お前がいてくれて良かった」とか、
「お前のおかげで助かった」って言われる存在になりたかったんだろうね。
叔父はきっと、発明や特許で一旗揚げて、大きな財を成して、
家族や親戚たちに貢献したかったんだろうなと思うと、
なんかこのブログを書いてる私も涙が出てきてしまいました。
外から嫁に来た私は、夫の叔父には何の特別な感情も無いですし、
よそ者なんで、クールに客観的にこの叔父の件を傍観していたので、
自分がまさかこの叔父のことで、
ブログに叔父のことを書きながら、
こんなに涙が止まらなくなるなんて、
まったく思っていませんでした。
書きながら自分でも驚いています。
プライドばかり高くて人に頭を下げられず、
生活保護を受給することも拒否しながら、
だけど自分のお兄ちゃんなら、
自分のなさけなさや恥を受け止めてくれるだろうとばかりに、
長男である義父のもとへ、何十年もずっと、
金の無心にやって来ていた、この叔父。
賢いけど、稼げなかった、この叔父。
学問的な知識はあるのに、まったく稼げなかった、この叔父。
プライドは高いけど、長男には甘え続けた、この叔父。
自分がこうなったのは家族のせいだとにおわせながら、
長男である義父に罪悪感を感じさせるような態度をしながら、
長男の情を利用しながら生きるしかなかった、この叔父。
書けば書くほど、なぜか私、涙が止まりません。
泣くつもりで書いたわけじゃないのに、
なんか、涙が止まりません。
二度くらい見かけただけで、顔も覚えていない人物なのに、
長男である義父の思いや、色んなことを考えると、
涙と鼻水が止まりません。
たとえお金を稼ぐ能力が無かったとしても、
もしこの叔父さんが愛されキャラで、
愛嬌があったり、可愛げがあったりしたら、
たとえ稼ぐ能力が無かったとしても、
叔父さんのやりたいことやアイデアを実現するために、
チカラを貸してくれたり支えてくれたりする人とのご縁が、
誰かとの間に生まれていたかもしれないよね。
それが出来なかったから、
長男をあてにするしか無かったんだろうね。
次男はとっくにこの三男を見捨ててたから、
もう恥もプライドも捨ててお金を借りれる相手が、
長男以外ほかにいなかったんだろうね。
お金を借りにくるたびに叔父は毎回、
「特許がとれたら必ず、金は全部兄さんにあげるつもりだから・・・」
と言っていたそうです。
金の無心に来る人間が、
よく言いがちなセリフですね。
だけど、この叔父にも、
叔父自身が主人公の、人生の物語がある。
叔父の父親や母親(うちの夫の祖父母)からしたら、
この叔父(三男)は、可愛い息子であり、愛おしい息子であり、
抱きしめたくなるような、大事な三男の人生・・・なんですよねきっと。
この叔父を、愛おしく思っている人間がいたんですよね。
この叔父を、あの世から見守っているご先祖様が、大勢いたんですよね。
稼げず、金の無心を続けて死んだ、そんな夫の叔父さんだったけど、
そんな彼を、長男である義父や、亡くなった彼の親たち(夫の祖父母たち)は、
たとえお金を稼げなくても、彼をずっと愛おしく思ってるんですよね、きっと・・・。
世間的には、ただ生活保護を受けながら、大腸がんを患って、
夢も叶わず、孤独に死んで逝っただけの、どこかの70歳くらいの男性・・・でしかなくても、
生まれたことを喜ばれ、彼を愛おむ人たちに名前を付けられた、
叔父が主人公の人生物語が、ちゃんとあるんだよね。
誰もその物語を知らず、誰も彼のことを歴史に残さなくても、
彼は自分が生きたあかしや、
「お前がいてくれて良かった」って周囲に喜ばれる爪痕か何かを、
本当は残したくて残したくて、仕方なかったんだろうな・・・と思います。
この叔父さんは死ぬ直前まで、
何を研究開発していたんだろう?
なんだか笑えるけど、泣けて仕方ありません。
叔父さんは財産こそ残せなかったけれど、
もしかしたら、うちの夫や家族に降りかかる厄を、
一気に引き受けて、知らぬ間に取り除いてくれた、
そんな厄背負いの役目の人生だったのかもしれません。
そう思ったら、金の無心にばかり来ていた彼の存在にも、感謝だよね。
バカな奴だな、アホなやっちゃな・・・と思いつつも、
笑っちゃいそうでいてなんだか泣けてくる、
インテリ貧乏な、夫の叔父さんの一生。
義父にとっての、面倒くさくも大切な弟であり、
夫にとっての、やっかいかつユニークな叔父であり、
夫の祖父母にとっての、不器用で愛しい息子である、
この人物のご冥福をお祈りします。
ごきげんよう![]()
