深夜過ぎたので、もう日にちがおとといになってしまいましたが、
2/8は5ヶ月記念日でした。
何の5ヶ月記念日かというと、
重症化の専用病院を退院したのが9/8。
ちょうど2/8から5ヶ月前でした。
(そして9/8から別のリハビリの病院へ転院して9/22に帰宅)
諸々の手続きのために診断書が必要で、
病院にお願いしていた診断書が出来たので取りに来て下さいとの連絡があり、
たまたまおととい2/8に受取りに行って来たのですが、
診断書を取りにその時の病院へ行くまでの景色を、
「あ~私はこの道を通って救急車で運ばれて来たのね~」と、
夫が運転する横で感慨深く、助手席から窓の外を眺めておりました。
だって、救急車で運ばれたあの昨年8月の時は深夜近くて真っ暗ですし、
なにより意識もうろうだし、救急車の外の景色なんて見えてないし、
どこに運ばれてるのかもわかりませんでしたからね。
何度も申しておりますが、
つくづく、今こうしてブログを書いていることも奇跡です。![]()
![]()
![]()
診断書を受け取った帰りには、
病院へ向かって手を合わせ、感謝の念を送らせて頂きました。![]()
![]()
![]()
コロナよりも、研修医みたいな男子らの処置の悪さで殺されるんじゃないかと思ったあの日w。
何度も何度も処置を失敗して、私の体に傷やあざを残しまくられた、あの最悪な最初の1時間。
まるで拷問かのような不快なあの時間は、今思い出してもぞっとしますね。
救急車で運ばれたはいいものの、重症化の病棟にあげられるまえに、
初期処置の失敗で死ぬんじゃないかと、、、
雑談しながらちんたら私をいたぶっているとしか思えない、
迅速に初期処置を済ませて早く上の病棟に運ぼうという様子すらなかった彼らに、
あの場で殺されてしまっていたらと思うと、ホントにデルタよりそっちが恐怖でしたね。
デルタで死ぬより、医者の未熟さや腕の悪さや意識の低さのせいで死んでしまったら、
死んでもうかばれませんからねw
以前、旧ブログであざの写真アップしてましたっけ???↓↓↓
この写真は8月に救急車で運ばれて、
病院の救急の入り口のすぐのところで、
研修医だかなんだか若くて未経験そうな男子数名から
最初の処置をされた時の、あの痛々しい跡です。↓↓↓
だけどこの写真は、その拷問から2~3週間後に撮ったやつですよw。
コロナ重症化の最中は、スマホとかいじる余裕がなかったんで写せず、
重症化病院から別のリハビリ病院へ転院してから、
9月半ばくらいに撮ったやつなんですよこの写真www。
2~3週間経ってもまだこんなに残ってたんですから、
最初はこれよりもっと大きかったんですよ!だいぶ経って小さくなって撮ったやつですよw。
転院して別の病院へ移ったあとも、まだこんなにあとが残ってたんですよ。
これでも小さくなってきたほうなんですよ。
さらに、その転院先の別のリハビリ病院も退院して、
自宅に戻ったあともまだ残ってたんですよ。
どんだけひどい失敗しまくりなヘタくそな処置だったか
私の主張おわかりいただけますでしょうかw。
体のほかのとこにも痛々しい跡がございましたが、
写真に写せない箇所なので、ほかの写真は残念ながらお見せ出来ません。
百歩譲って、医者不足だったからやむをえず、
未熟な研修医?(研修看護師?)っぽい人間しかいなかったんだとしても、
私が死にかけてる人間だってことなんか、救急車からの連絡段階でわかってるんだから、
ひとりくらいベテランドクターかベテラン看護師さんがいてくれて、
最初の処置をサクサクやってくれてたら、こんなにはなってませんからね。
5分~10分あれば済んでますよ。
だって点滴用の針をさしてセットするのと、
血を少しとるだけの初めの処置に1時間もかかるって、
いくらなんでも失敗し過ぎでしょ。
射して抜いて射して抜いて切ってねじって切ってねじってみたいな、もう痛いのなんのって、
腕ねじるのも雑巾をきつくしぼるみたいなねじりでエンドレスだし、
で、針先で刺してねじっても痛いしエンドレスだし、
まるで刃物使って切り刻まれてるような痛みも何度もあるしで、
ヘラヘラしながら雑談しながら軽めの口調ですんませんって感じで、
まるで夏休みの自由研究でトンボか蝶々捕まえて来て
羽ちぎったり解剖して愉しんでるみたいな様子かと思うほどに、
その白衣姿も医者のけはいというより給食当番の男子のようなけはいしかなくて、
何をそんなに何度も痛いことをやってるんだろう?って、
声を絞り出して叫んでも、肺をやられてて大きな声出なくて、
彼らへの苛立ちと、彼らが私にやっている意味のない拷問や痛みを叫んでも伝われなくて、
上の病室に運ばれる前に死んでしまうわ!
って思いましたからねw。
数人がかりでヘラヘラ雑談しながら1時間近くも失敗しまくり&拷問ごっこて、、、
拷問と呼ばずして何と呼べばよいやらです。
腕以外にも手の甲とかも何度もやられて失敗しまくられて、
脚の付け根もパンツ下げられて性器あらわなまま失敗しまくられて![]()
![]()
転院した別のリハビリ病院のドクターや看護師さんも驚いてて![]()
![]()
![]()
![]()
「この傷やあざっていったいどうされたんですか?![]()
![]()
![]()
」って聞いてきてwww
自宅に帰ったあとまで、まだあの時のあとが残ってたんだから。
自宅に戻って1ヶ月以上経ってもまだ残ってたんだから。
8月にうけた拷問のあとが10月過ぎても11月近くになっても残ってったんだから。
どれだけとんでもないことされたかホンマに。デルタより恐怖だったわ![]()
![]()
ま、とにかく、デルタに殺されずに済んだことはもちろん良かったですが、
デルタよりあの初期処置男子たちに
うっかり殺されずに済んだことがなにより良かったです!![]()
![]()
あのまま初期処置が原因で死んでたら、
ぜったい彼らに取り憑いてやる!って思ってましたからwww![]()
![]()
自分がそんな恨みや怒りや憎しみで悪霊にならずに済んだことを、
とにかく一番祝ってやりたいと思いますw![]()
![]()
意識もうろうとしながらも、
処置のヘタクソな若造集団からのいたぶりに発狂しながらも、
彼らに私の生死を左右されてたまるものか!とあらがい、
おのれの悪霊化を食い止めた、おのれの意志の強さに感謝![]()
![]()
他人様への感謝より先に、
私は私自身のことを
真っ先に褒めてねぎらってやりたいと思います♪![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
では
ごきげんよう![]()
![]()
![]()

