やっと6月も下旬になりました。

 

亡き息子のことがありながらも、

なるだけ自分を責めずに楽しみを見つけながら過ごすことを努めました。

この間歯茎が痛くなりました。

 

今日になってやっと痛みも和らいできました。

 

先週(土)弟から予告もなく、

お菓子が届きました。

亡き息子に向けての「志」だろうと思いました。

去年もそうでした。

 

そのことをLINEで娘に言いました。

「そういうところだけはきちんとしてるんだね(笑)」と返事が来ました。

 

離婚してから弟は亡き息子(彼からしたら甥)のことを気にかけている様子は全く伝わってきませんでした。

弟はそんなところは棚にあげて「(Yが旅立つ前に)どうして相談してくれなかったの」と言いました。

 

当時娘は「そんなこと相談できそうならしてると」と言いました。

 

毒親は揃いにそろって私の存在に対して文句しか言わないから、

私は何も相談を持ちかけませんでした。

それに対して両親は「あんたは何も相談しない」と私をなじりました。

 

弟もそれを私にしました。

私は悪い意味でそれに慣れていたので、

最初は娘の言葉に反感を抱いていました。

今では私は亡き息子のことは実家メンバーにも責任があると思ってます。

 

そして寄り添いもいたわりの言葉もなしに、

何でもお金で解決しよう私に文句言わせないようにしようとしているところが不快です。

 

見下し、優越感を示す目的、

お金に支配を織り込む

そんなお金の価値観が伝わってきて嫌な気持ちでした。

 

物よりは誠意労りねぎらいがほしい。

でも毒実家にそれを求めるのは、

お月様欲しいとねだるのと同じだよね。

 

いやいやねだる自由さえなかった。

ならば私がバリア張って分離していくしかない。

 

前のカウンセラーは

「あなたはご両親がねぎらいの言葉をかける人たちだと思ってませんよね。

そしたら自分で割り切るしかないですね。」と皮肉な笑いを浮かべていいました。

毒親育ちにかける言葉ではないですよね。

本当になぜそんなカウンセラーに長くかかっていたのやら。

 

弟も義妹もそんな態度です。

 

お返しを兼ねてお中元を贈れば、

お盆に顔を出さなくてもいいのではと思いました。

それでも娘はおばあちゃんに会いたいというだろうから、娘の付き添いで行くかもしれないけど。。

 

クリスマスは私はお声がかからなかったから、それなら私は無理にいくことはないよね。

 

私はメールでお礼を言いました。

多分返事は来ないと思います。

 

それにしても物だけ送るなんて本当に失礼だなと思いました。

私がおかしいのかな。肉親だからそこはわかってあげないといけないのかな。

期待するだけ無駄ということなんでしょうね。

 

先週の土曜日は「今年もお互いに大変な時期をよく乗り越えた」と言うことで娘と、抹茶スイーツアフタヌーンティーに

 

 

 
一口サイズではありましたが、なかなかにお腹いっぱいになりました。
 

毒両親は相手をは買収しじぶんの傀儡にする為にお金を勉強して使いました。

他人指向の見栄と支配のために使っているように私には見えます。

 

「お金」と聞くと、日本人の「お金について語るのは卑しい」という刷り込みもあるけれども、

まだ苦しいものがあります。

ほんと私の両親は金銭毒親でした。

 

私はお金は自分のの幸せのために使いたい。

心からそう思います。

 

最近は人から勧められた本を何冊か読みました。

ブロ友さんの影響で読んだ本もあります。

 

次回はそんなことを書きます。

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このブログは藤田真央さんのモーツァルトのCDを聞きながら書きました。

藤田さんはモーツァルトを得意とするピアニストさんです。

 

私の中でモーツァルトは自由でいたずらっ子のようなイメージがあります。

(あ、私はモーツァルトは練習したことが殆どありません。

なんか苦手でした。どうでもいいことですがどの曲も弾けません。)

 

 
 

 

私の中でモーツァルトと言えば藤田さん。

数年前に藤田さんのコンサートに行ったとき、

モーツァルトの演奏になると水を得た魚のようにオーラが激変するのを目の当たりにしました。

いたずらっ子がピアノと戯れて、次は何をしようかなとワクワクが伝わってきてるようなイメージでした。

 

この曲を聴くと、インチャイが喜んでいるのが見えてきました。

 

取り急ぎなんとか6月を越せそうで安心しました。

 

いつもありがとうございます。