3回忌が終わり、

自分自身のご褒美と称して土曜日に梅を観に行きました。

 

ところが帰宅してお腹を壊してしまいました。

日曜日でも開いているクリニックでお腹の薬を出してもらいました。

細菌性の腸炎でした。

吐き気胃痛は治まりましたが、食欲が出ません。

 

カウンセラーから言われた「ごきょうだいと話をすること」について思い出したことがあります。

 

内容が重いので梅の写真を貼ります

 

 

 

私は今の家に引っ越して10年になろうとしています。

その前は両親と住んでいました。

そのころは私がずっと両親の面倒を見る(介護も)つもりでいたのです。

 

ところが両親と一緒の生活は、私のほうがまた年齢退行を余儀なくされたような気持ちに

なってしまいました。

私は正社員並みに働いていたので、どうしても母とは生活パターンが違います。

なのに母は自分のやりかたをおしつけようとしました。

年は50を過ぎているのに私は相変わらず小さな子供のようにふるまわないといけなくなりました。

教会のかたのなかには「それも親孝行のひとつ」と訳知り顔に言う人もいて、

私は鬱屈した気持ちになりました。

 

私はこの家で両親との同居はできないと思い、実家を出ていくことにしました。

娘は私にはついてこずに実家にいました。

 

娘には今でも「おかあさん、そんなことなら最初から同居しなければよかったのに」と言います。

 

確かにその通りですが、あの頃は実家の毒がそれほどまでに深く強いものとは理解していませんでした。

前のカウンセラーにもかかってたし、気づくことができませんでした。

 

 

 

解毒ができるまでと思って書き出したこのブログ・・

私の中では1年くらいで閉じるだろう(解毒ができる)と思っていたのに、

もうすぐ3年が来ます。

 

それくらい毒が深かったということになります。

 

今年になって今のカウンセラーから

「ごきょうだいとご両親のことについて客観的にお話しする機会を作られては」と言われました。

 

 

 

私は実家を出るときに弟、妹ひとりひとりにこの家を出ていく心情を話しました。

3人顔を交えてはしていません。

実家を出る前私は不動産めぐりはもちろん、

母方の叔父叔母に言葉を尽くして母とは一緒には暮らせない旨を伝えました。

母には一番最後に伝えました。

母に最初に言うと、母が自分に都合がいいようにストーリーを作り上げて私が悪者扱いされるのが

わかっていたんです。

 

叔父叔母からは

「ああ。あなたの気持ちは理解できるよ。義姉さんは言ってもわからないひとだからね。」と言われました。

 

弟妹には冷静に

「あなたたちが子供の頃お父さんお母さんは家業で忙しかったけど、

あなたたちにはそれでも面倒をみてくれた従業員さんがおられたよね。

私は誰もいなかったよ。ずっとひとりぼっちだった。

私はあの頃と気持ちは変わってないよ。」と言いました。

 

 

 

弟妹の面倒をみてくれた人

Oさん: 当時50歳くらいの女性。弟が小学校2年くらいまでおられた(私は中1)

Wさん: 母の1歳年下の独身女性。妹が小学校1年のとき結婚退職された(私は中3、弟は小4)

 

このふたりは弟妹には優しかったけれども、私に対してはハエでも追い払うように

視線が冷たかったです。今でもあの視線を覚えています。

きっと両親はこのふたりをいいように使っていたんだろうと踏んでいます。

両親は毒親で、「自分たちはお金は稼ぐが愛情は与えない。欲しけりゃ別からもらえ」と

はっきり言いました。

私は小中学校の大事な時期に誰も私に寄り添ってくれる人はいなかったです。

 

私は実家では完全に一人でした。

 

私って実は非摘出子なんじゃないかと疑ったことも一度や二度ではありませんでした。

家族写真をみて、

「ああ私の親はこの人たちなんだ」と一応自分の出自を確認して、

ほっとしていました。

 

実家で一人な分母方の実家でちやほやされないと場が持ちませんでした。

そのせいか母方のいとこから、今でもなんだかお客様扱いされているのを感じます。

 

母方の実家に行くたびに

「私はここにいていい人間だよね?」と周囲に媚びていたのを思い出します。

 

私を精神的にひとりぼっちにしたのは母だと今でも思います。

 

 

今回のことを思い出して、

弟妹とはまったく話をしなかったわけではなかったことを確認して少しほっとしました。

 

 
 

父も母もこどものまま大人になった人でした。

こどものまま、権力の象徴として自営業を始めました。

でも当然のことながら大人として自営業をやっていくには

自分の自身の子供の部分にも向き合わないといけないですよね。

我が子がいるならなおさらですよね。

でも彼らはそれには蓋をし続けて、私に精神的に無理をさせてきました。

 

私は発熱して腎盂腎炎になりかけたこともありました。

父から虐待を受けたのに、母はもみ消しました。

大学になるまで、私は自分の顔色がよくないことも知らなくて、

自分が似合う服も知りませんでした。

今でも私は自分の顔色の良しあしがわかりません。

 

 

(焦点が合っていませんがアップします)
 

父は世話が焼ける人でした。

自分以外の人には無関心な人でした。

これは私に対してのみならず弟妹に関してもそうでした。

そのための不適切発言は書けないほど沢山あります。

 

この不適切発言に対して、私は何回も「あれは失礼だとおもう」と母に言いましたが、

「それがお父さんの愛なのよ」と訳わからない言葉で一蹴されました。

父の言葉が不適切発言だと認識できなかった時、

私は外で何回もその言葉を発して墓穴を掘ったことが数知れずありました。

 

現場をみていないので何とも言えませんが、

父が弟妹に不適切発言をしたときは、母は弟妹のフォローにまわったのではないかと踏んでいます。

 

弟妹はなんのかんの言いながら母の介護をするのに私ほどの困難は感じていないようです。

事実3回忌のときは妹が母の送迎を買って出ていましたし。

 

弟妹は、私が一言喋ると、

彼ら自身の母への気持ちがぐらつくんじゃないかと恐れているのが見えます。

 

私は長いことカウンセリングに通っていますが、

弟妹はそのことを知りません。

そのことをカミングアウトするか悩みました。

妹のほうはなんともいえませんが、

弟からは馬鹿にされそうなので黙っておくことにします。

 

もしも私が自分自身のことを話すと、彼らから

「そんな時間があるならお母さんにお顔を見せてあげて」と言われそうなので

あまり話さないことにしています。

 

たった一回しか彼らに気持ちは話していないけれども、

私はこれ以上彼らに接触するエネルギーがありません。

 

一方母は自分のことを善人だと信じ込んでいて悪いことをした自覚がありません。

「母性」なんてなくて(私もないけど)、自分の思いしかないくせに「母性がある人間だ」と言い切っています。

周囲もなぜか彼女のことをそう評しています。

 

加齢もあいまって「忘れた」と言っても許される年齢になっています。

 

どこまで図々しいのか。

 

本当にこんな母、こんな弟妹とは距離をあけるしかないと思いました。

 

さびしいですが、心を乱されないためにこうしたほうがいいと思いました。

 

いつもありがとうございます。