今は私は実家とは距離をおいています。

 

私の毒親は以前は

「〇〇さんから美味しい頂き物があるから来なさい」とよく言っていました。

頂き物を餌に自分の権威をちらちらとにおわせます。

 

この話を愛着ある育ちをしたひとに言うと、

「おかあさん、あなたとシェアしたいと思ってるのよ。優しいわね」

と言われます。

 

それは言葉尻だけとらえた発言です。

 

 

実際は、

「子供という目下の存在が目上の存在のところを訪問する」という権威の確認です。

 

 

 

いつも母は私がすでに話した私自身のことについて何も覚えていませんでした。

 

私自身のことに全く関心がないことの証拠です。

 

「こないだ話したじゃない」と私は言いながら何回も同じことを説明してました。

 

これを訪問回数事に繰り返してました。

 

これは今に限らず、私が結婚する前母自身が40代の頃からそうでした。

母は認知症でも精神疾患でもありません。普通に生活できる大人です。

私のことを気にかけてない印です。

 

悲しいけれども

「私と話したいんじゃなくて、来てくれた事実しか見ようとしないんだな。」

と思うしかありませんでした。

 

 

 

相手に関心を持って一緒に体験を共有するよりも、

相手が自分を訪ねてきてくれた事実が大事。

 

もっと言えば私自身に関心があるのではなく、

呼んだ私がどれくらい母自身に関心があるのかを確認するため、

呼んだ私が自分にとって不都合なことをしてないか確認して、もし私の方に隙あらば首根っこを抑えるためだった。

 

実は祖母もそんな感じでした。

だから大叔母が私が過去に話した話を覚えていたときは驚愕しました。

驚愕するも何も大叔母は

只私という人間に好意的に関心を持ってくれただけなんだけど、

あの頃の私には粗探しされてるようにしか思いが及びませんでした。

 

実は大叔母の接し方のほうが親密ある関係で祖母のほうがズレていたことに、

気づきませんでした。

 

祖母は「○をあげるからおいで」と呼びつけるだけで自分からは来なかった。

昭和50年代で今ほど交通網は発達してなかったのを差し引いても、

祖母は「時間を作って会ってあげた」感がありました。

 

そんな感じで母と会話をしていると

母は(祖母も)

「さあ。明日朝が早いでしょ。もう帰りなさい。」

といかにも思いやってるふうを装って、

私を立ち去らせようとしました。

 

祖母にはさすがに言わなかったけど、

私は母に「私に早く帰ってほしいの?」と聞きました。

母は「あなたのことを心配しているのよ」

でも私には邪魔モノ扱いにしか思えませんでした。

 

(一応お食事どきに重ならないか、

あとの用事などないか、

それなりに気を使ったうえでの話です。)

 

母からも祖母からも

「今日はお時間つくってくれてありがとう。

たのしかったよ。」の空気感は全く感じることができませんでした。

義務感でそれでも時間をつくって話をしたのに

追い出される感じでモヤモヤしていました。

 

そのせいか子供の頃他家を訪問したときに

「ジュディちゃん、ゆっくりしていっていいよ」と言われると、

言葉を正直に受け取ってごはん時まで長居をしたことがありました。

 

あとで母からは

「相手にご迷惑がかかったのよ。ちゃんと早く帰りなさい」

と厳しく叱られました。

 

子供の私としては「早く帰れ」としか祖母から言われたことがなかったので、

ついつい甘えてしまいました。

 

こどもの私にだって、

相手が私と一緒の時間を楽しんでいるかそれとも私を試しているのか

それくらいはわかりました。

 

実家は共に時間を楽しむためでなく、

自分の権威をみせるためによびつけて本当に不快です。

 

親の都合で呼ばれ、話はスルーされ、親の都合で追い出される本当に不快な時間でした。

 

今回はパーティ疲れでちょっと嫌なことを思い出してしまいました。