今まで溜めていた思いをブログで手放しました。
この気持ちはブログを「いいね」くださる皆さんと共有していただけたものと理解しています。
ずっとずっと表出できなかった気持ちでした。
毒親育ちゆえわからなかったものがあります。
それは普通の愛情ある関係、家族関係です。
よそのご家庭はウチは外とは違うなにかがある、
その空気感は感じてましたが何かずっとずっとわからなくてモヤモヤしてました。
宗教二世にも似た毒親育ちの閉鎖常識、
子供の頃の私は社会に出て、
何だか実家はよそとは違う概念がまかり通っているように感じていました。
私は実家で過ごすように外でしていると違和感を感じていました。
周囲からも私のことはどこか変人のように見られてました。
子供の私には母は渋々父のお世話をしているようにしか見えませんでした。
でも今になると、
母は父のお世話をすることで父を支配していた・・
要するに共依存なのが見えてきました。
私の両親は不自然な関係でした。
家はいつも緊張が走ってました。
私は自然体を知りませんでした。
私は私自身を生きてなかった。
インナーチャイルドのジュディが
「私のお世話をして」と泣いていたのを感じていました。
でも実年齢と体は20代の大人だったから、
妻として家事をし、子育てしないといけなくて、
インナーチャイルドに泣かれてもどうしたらいいかわかりませんでした。
だから普通の人の仮面を被って演技をしていた。
24時間営業の年中無休。
どこにも逃げ場がなかった最初の2年間は血を吐きそうでした。
凄いブラック企業のような結婚生活でした。
ほんと女優していたな。。
やっとやっと私は私を生きれる。。。
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先日香取慎吾さんの個展を見ました。
今香取さんが長年属しておられた所属事務所で
人権問題のことで色々明るみになってきた問題があります。
家族経営ならではの諸問題も浮き彫りになっています。
香取さんが所属しておられた某グループは解散しましたが、
解散する数ヶ月前から
「香取さんはメンタルを病んでいるのでは」ということを聞きました。
私の記憶では、
香取さんは小6くらいから事務所?グループ?に属していて、
グループのなかでは末っ子のイジられキャラの立ち位置だったように記憶しています。
いつも笑顔を絶やさないキャラでしたけど、
本当はきつかったのでしょうね。
創作活動を始められたのは2015年からのようです。所属グループが解散する前の年。
全体的に赤が多い作品でした。
写真撮影OKエリアでのお写真です。
香取さんは御自分のことを黒いウサギに例えておられました。
黒いウサギは赤い目をしていました。
赤い目からは涙が流れている作品を何枚も目にしました。
[芸術は爆発だ]と言われていた岡本太郎さんを思い起こしました。
館内で2015年から今に至るまでのドキュメンタリーフィルムを観覧しました。
作品の構想から制作に至るまでの過程が納められてきました。
デッキブラシのような大きな刷毛でトレースを描かれてました。
制作過程での笑顔はTVとは違って、
心からやりきった感が溢れていました。
きっときっととてもお辛かったんだろうな・・・
苦しかったんだろうな・・
大河の主役になられたり、
「S吾ママ」などの名作で笑顔を絶やさない万能家政婦をしておられたけど、
あの笑顔の裏で血を流しておられたことを思いました。
展示会を出てグッズ売場に来ましたが、
マスコット、マグカップから図録に至るまで
お値段が良すぎて購入はいたしませんでした(笑)
芸術活動は芸能活動とはまた違う厳しさがありますが、
香取さんが御自分を心いくまで解放していけたらと応援の気持ちです。