前回の記事は取りとめなくなりそうなので2つに分けました。

 

専門知識ブラッシュアップでお籠りしてましたが、

昨日は洋服のセールに行きました。

 

この4ヶ月、知人のお膳立てでの外出は数回ありましたが、

花粉症がきつかったのもあって、

自分主導の外出は初めてです。

 

通勤用のボトムスを一本とあとはコスメ。

 

気分転換になりました。

 

私はあんなに母の言動を忌み嫌っているのに、

自分の言動はずっと母そのものでした。

 

母そのものの言動をしているときの私は決して気持ちよくないのに、

それを踏襲していました。

 

しかも自分で気づいていませんでした。

 

誰かに指摘されたりあとになって冷静に考えてみたら、

「あっ母と同じことをしていた」と思い出して

自己嫌悪に陥ることが多かったんです。

 

前のカウンセラーからも「お母さんと同じですね」と皮肉を言われたし・・

それが辛いからカウンセリングに通っているのに、

カウンセラーは事実を突きつけるだけでヘルプしてくれなかった。今でも腹がたつ・・

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私が就労するときにネックになったのは

お昼休憩の過ごし方です。

 

私は週に2回職場でお昼ごはんを頂きます。

 

お昼休みは交代なのかそれとも全員一斉なのか

とても気になっていました。

職場は業務的にも時間的にも外での昼食は厳しいです。お昼休憩は一時間と決まっています。

 

お昼に一人で過ごせる環境が厳しいなら、

せめて交代で過ごせるところだといいなと思っていました。

 

勤務には早上がりと遅上がりがあります。

早上がりは12:30に昼食。

遅上がりは午前中のお客さんが途切れるまで。

 

私は事務さんふたりと休憩室。

管理者は自分のデスクでひとり。

このつかず離れずの距離感は有難いです。

 

休憩室のTVはバラエティを観ます。

事務さん二人とお昼のバラエティをネタにすると1時間が早く過ぎます。

 

前の職場みたいに個人的な嗜好の話を延々と聞かされることはないので安心です.

 

でも1日事業所に籠もっていると気持ちが滅入るので、

外に出て気分転換するように務めたいです。

 

母はよく私に対して「あんたはおかしい」と言ってました。

お箸の持ち方から考え方に至るまで。

 

お箸の持ち方や考えの偏りは人生経験の少ない子供なら普通に持つ考えなのに、

両親はそこのところは考慮せず、自分の見識の狭さを棚にあげて

「この子はおかしい。気が狂ってる」と言いました。

 

両親が「おかしい」と言っていたことは広い意味では全然おかしいことではなかったんです。

せいぜい本来行くべきの道が結果としてワキにそれてしまった程度のものでした。

 

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なぜ私がこんなに食事にこだわるのか・・

 

それは食事にいい思い出がなかったからです。

「食べること=楽しいこと」の公式が私には存在しませんでした。

 

正確に言うと、私は何が人間にとって気持ちいいことなのかを知らないまま育ってきました。

 

少しでも私が「ああ気持ちいい」とゆったりリラックスしていると、

私は親から叱られたり、馬鹿にされて貶められたりしたからです。

 

だから外でもリラックスすることを自分に許してきませんでした。

 

食事に限らず私は自分がなにか楽しいことをしているときどこかに落とし穴が仕組まれてないか、

いつもそんな気持ちを抱いていました。

 

そんなふうにして生きてきたのに、

外では「ジュディさんはなんでも満たされてるからおもしろくないんでしょ」と、

大人からも同級生からも先生からも非難されてきました。

 

私は誰にもこの感覚を公言できませんでした。

説明できなかったし、

なんとか説明を始めると

「そんなことはないでしょ」と、

感情をシャットアップしないといけない状況になっていました。

 

表現できない、

信じてもらえない、

私が感じていることはおかしいのか?

 

1割の愛着障害の言葉はどこでも受け入れてもらえませんでした。

 

食べるのが楽しくない、誰かと関わることに興味がない・・

唯一布団をかぶっているときだけが自分自身になれるときだったので、

長い間私は寝ることだけが楽しみでした。

 

朝寝る前にリラクゼーションテープを聴けばだいぶん動けるようになりました。

 

 

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私はお箸は20歳過ぎてやっときちんと持てるようになりました。

周囲に不快感を与えないお食事マナーは身につきましたが、

肝心のお食事を楽しく美味しく味わうことは今の今までできませんでした。

 

実家でとる3度の食事は私にとってあらを探される格好の晒し場でした。

隙あれば父が母が私のことを説教のネタにする。

ゆっくり食事をしていれば必ず何か言われる。

隙を見せると責められる。

 

何か言われる間に食事はどんどん冷めていき、

本来の味がだんだん遠くにいってしまう・・

 

どうやって席を立つ?そんなことばかり考えていました。

 

私達がおやつを食べていると、父が「税金をもらおう」とニヤニヤして近づいてきました。

母が「お父さんにもあげなさい」と不機嫌な顔をしたので、

私はおやつを少し父にあげました。

とても嫌な気持ちでした。

 

父が卑しく見えました。

 

食事はもちろん楽しいことを味わっていると、

私は大事なものを横取りされるようなそんな恐怖でいっぱいでした。

 

そんなことを周囲に話してもまず私の話を信じてもらえませんでした。

せいぜい「厳しい食卓だったのですね」と言われるだけで、

そのときの私の辛い気持ち、

食事本来の味がだんだんに色を失っていくあの虚しさはどこにも表現できませんでした。

 

こんなことをいうと我儘と取られかねないのですが、

私は何を食べるかよりも、誰と食べるかを結構気にします。

いつもコメントやりとりしているブロ友さんならOKです。

 

信頼している人ならコンビニ弁当でもOKです。

 

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孫ちゃんは二人とも一歳過ぎの頃、よく私におやつのりんごを食べさせてくれました。

今でもたまにくれます。

私にあげたら自分の分がなくなるのに・・

 

私は心から誰かと食べ物をシェアしたいと思ったことはあまりありませんでした。

誰かと時間や食べ物、楽しいことをシェアする危険を感じるくらいなら一人のほうが

誰にも邪魔されなくていい。

寂しいけどもそちらのほうが安全。

 

ずっとそうやって生きてきました。

 

私は「わぁ~ありがとう。〇と一緒に食べるりんごはおいしいわぁ。幸せ」と孫ちゃんに言いました。孫ちゃんはにっこりと嬉しそうでした。

 

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孫ちゃんは私のネコのぬいぐるみがお気に入り。

「旅行にも連れて行きたい」と言いました。

「お名前もつけてあげようよ」と言いました。

 

私にはなかった感覚です。

 

孫ちゃんはネコちゃんのぬいぐるみに

「〇が抱っこしてるからぶつからないよ。こわくないよ。」と言ってあげてました。

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やっと私は人間性を取り戻してきてる・・

インナーチャイルドと話をしました。

「全部お母さんが決めてつらかったね」と大人の私は言いました。

 

インナーチャイルドは「ほんとほんと・・つらかった」「哀しかった」「むなしかった」

「生きていくのがこわかった」「どうすればいいのかわからなかった」と言いました。

 

そんな中で生きていたら学習障害にもなるよね・・

 

まだまだブラッシュアップの道は続きます。

今まで電車から見ていたようなシュッと後ろに過ぎ去っていた事象や概念が

やっと一つの止まった事柄になってきつつあります。

 

まだまだ実務のスタートラインからは遠いけれども、少し近づいてきたみたいです。

なんだか嬉しいです。

 

 お風呂にアヒルさん浮かべてみました。

私はアヒルさんはお風呂の中で遊ぶためにあると知らなかったんです。

孫ちゃんお泊りのために数年前に準備したけど自分で游ぶのは初めてでした。

 

ゆ~らゆらほっこりできました。