自然の中で遊んだ後にゴミを放置していける精神とは?

このことで怒りを通り越して、とても悲しい気持ちになっている。

 

夏休みに、里山で山川遊びのイベントをした。

 

素敵な川があり、滝壺もある。

最初の頃は知る人ぞ知る場所だったが、

口コミで広がって年々、来る人が増えてきた。

 

その一因に私がイベントをして

SMSなどに一端を乗せたりしたこともあるかもしれない。

 

今回、川で遊ぶにいたり、その周りの森に荷物を

置かせてもらったり、車を置かせてもらったりするので、

その集落の長の方に事前に

内容や連絡先、約束事(ゴミ持ち帰り、火を焚く決め事など)の書面とともに

挨拶に行った。

快く受け入れてくれた。

 

8月の終わりになり、予定イベントをすべて終えたので、

再び菓子折を持って、お礼の挨拶へ。

 

すると複雑な表情でお出迎えだった。

お盆前、

若い男女と子どもがバーバキューしていて、

車は思い切り車道に駐車していて邪魔だし、

ビール缶から食べかすからバーベキュー網まで、

全部、川のふちやそこかしこに放置して帰っていて、

すごい腹が立ったのだという。

私も驚いた。

ひとまず私たちではないけれど、ごめんなさい、

と謝罪して、本当に心から申し訳なく、

悲しく思った。

 

気持ちよく遊ばせてもらった場所への

感謝の気持ちはそこにはないのだろうか?

 

思うに、想像力と思いやりと感謝の欠如が

起因していると思う。

子どもも多分一緒だったときいた。

その大人の姿をみた子どもは、

それが当たり前と捉えるように

育ってしまうのか。

 

私はイベントで自然の中で遊んだ最後、

場所にありがとう、と子ども達と

いうようにしている。

強制はしていないが、

大人がいう姿を見せることが大事だな、

と思っている。

 

折しも、その翌朝、母と近くの低い山の山頂まで

早朝散歩で登ったら、

展望台に、缶やらお菓子の空袋などのゴミが

段ボール箱に入って放置されていた。

 

連続ダブルパンチ・・・。

 

きっと本当に一部の人なんだけど、

 

人は自然を搾取するだけでなく、

人は自然を使い果たしながら環境を貧しくしていくのではなく、

人が自然に恵みを頂きながら自然を豊かにしていく、

より環境をよくしていく関わりをしたいです。

人間の手が加わることでより良い環境にしながら地球を維持していけるよう。

 

どうぞお願いします。