何かできない自分を責めてしまう

なぜこんな事をしてしまったのか?

自分を責める 反省してしまう


そんな何年間を過ごしてきた私


今でも気づけば 

なぜ?あの時に言わなかったのか?

なぜ?あの時にあれをしなかったのか?

なぜ?あれを選ばなかったのか?


気づけば 過去の出来事の二極側を選ばなかった自分を責め続けてる


あの時 あの一言を言っていれば

あの時 あっちをしていれば

ど 反対を選ばなかったことに後悔している


人間は 

私と他人

私と物

で成り立っていて その間で感じたことで

自分をつくっている


だから 過去を振り返っては反省したり 罪の意識で頭の中がぐるぐるしてしまう


でも それに気づけたら


その時した事が 人からみたらいけない事だったと苦しまない


反省はしなさいと言い続けられてきた分


自分が2度と同じまちがいをしないようにと 自分を責めまくる


本当に真面目な人


でも 私達には自由な意思はなく


私達は その時その時 自分を守る為に行動している


それを責める人もいるけれど


きっと責める人は責める人で 自分をいつも律する為に自分をも責め続けてる


過去何を言ってしまったとか

過去何をしてしまったとか


それを全部許可する


それはその都度 自分の為になっていたとわかる時がくる


ゴロゴロしててもいい

それが今の私の仕事


これは誰の役にもたってないと思ってしまう

でも 今はそれが私の役割


そうなってる


そう世界は動いてる


私が言った発言で大きな問題になってる事も

ゴロゴロ何もしない事も


シナリオはできていて世の中は調和している


それで成り立っているんだから


自分の全部を許可する


いいよ それで!



何年か前のYouTubeで野球の清原さんが鬱病体験を話しておられました。


きっと清原さんは それを伝える役目があった為に、野球で有名選手になり 薬物で逮捕され そして 鬱で苦しまれているんだなと…(YouTubeは何年か前に映した物なので 今は違うかも知れません)

清原さんには その大きな役目の為に 人一倍苦しみも大きいのかも知れないと思い聞き入ってました。

聞いていて 私はきっと鬱だったんだろうなと思いました。

何もできない日が続いたり 

死にたい気持ちになったり…

しては 沢山の本を読んだり神社に行ったり 探求したり 心理の勉強したりして、それに介護の勉強をした時に人間の尊厳と言う言葉に涙したりはしなかったと思います。


私の中の罪悪感が今でも浮かびます。人から見たら小さい事かも知れないけど…常に罪悪感の🌀

そして未来を考え不安になります。


でも 今はそれに気づいてます。

そして 気づいた時には今の指先に今の吐く息吸う息にと 自分を今に戻し続けます。


反省するのは、私の行動を私が決めていると思っているからです。

私の行動も他の人の行動も 誰も自分で決めれてなく 歯車のように動いていると知ると 

ゴロゴロしてる事に自分を責めません。


全部 役を演じてます。

自分に許可していいんです。


大変な役を演じている人は すごいシナリオを持って生まれてきてるんだなと感動します。


そしてそれを観た私も それを伝えていくシナリオなのかもと思う今日でした。