私の父は 亡くなる少し前から透析を始めてました。

透析に行く朝 父と母は朝食中 ずーっとニコニコして話をしない父に 母は何で喋らないの?と聞いたけれど それでもニコニコして笑ってたと言うのです。

何だかおかしいなーと思いつつ
迎えに来た車を見送り 父は病院へ行きました。

母が脳溢血に気づかなかったように
透析する前に挨拶を交わした看護婦さんも気づかず 透析を終え

その後 父の様子がおかしいからと
透析専用病院から 大きな病院へと運ばれました。

先生からの話では脳出血(左側)でした。

目も開いていました。

父に名前を聞くと答えることはできませんでしたが、
先生が父の名前を言うと おうむ返しで名前を言うことは出来たそうです。

そして2日は目を開いて リハビリもしてましたが…

その後は目を開けることなく

ただただ息をしている父になっていきました。

父の体は 父の意識がなくても勝手に呼吸をしてました。

苦しそうな呼吸…でした。


介護の仕事で特別養護老人ホームで勤めていた時の話を 父がまだ元気な時 父と母に何度もしました。

胃ろうして意識のない方の話

それは人の手で生かされていて それは幸せなんだろうか?と 私の疑問と 父母は その状況になった時 どうしたいか?と尋ねました。

胃ろうしてなくても 体が硬直して動けない方もおられました。

今思えば その方達は 介護する私の為に
居てくれてたように思えますが

その時には 牢獄だとさえ感じていました。

それはきっと 私の内側がそうだったのだと思えます。


今は あの息だけしていた父は もう意識は無く 痛いも痒いもない ただただ私にこれが本当の姿だと 教えてくれていたのかもと思えてしまいます。

体は苦しそうでも きっと父はそこにはいなかった

働いていた老人ホームの方達も同じ

その体の中には意識は無く 自然の調和の中で生かされている方達

目の前して 何を思うか感じるか?それが それぞれ個々の意識

意識があるから 生きていると感じている



又々話が昔に飛んでしまうけれど

私が小学4年の夏休みに腎臓の検査の為に入院し 造影剤を打った時

私は膨張して弾けて真っ暗になりました。

この膨張して弾けたと言うのは 私の感覚



体はただただ息をして 私は意識の無いまま生きていました。

側からみたら寝ている感じだったようです。

ただ私が目を覚ました時 生きてたみたいと感じたことを思い出しました。

意識の無くなった 私の体に注射をしたり レントゲン室から部屋に運ばれていたり 色々としてくれてたようですが 私は痛いという感覚すらありませんでした。

きっとその時の私と父 そして老人ホームの意識の無い方達は同じだと思います。

体は体が死ぬ日まで 意識がなくても動き続けます。

私達は 自分の体は自分がコントロールしていると思っているけれど

そんな事はできない

寿命があるまでは 動き続ける


そして意識すらも勝手に動き続ける

意識の中身すらも勝手に起きてくる


生きているのではなくて

生かされている


だから 良い事だけが起きるわけではなく

全部が勝手に起きてくる

だから 良くても悪くても それが完璧で

今までだって 完璧に起きていただけ


完璧と言ったら 良い事だけに思ってしまうけど

完璧とは 全部が何もかもが完璧だといい事のようです。



万華鏡