image

image

image

image

image

image

image

image



明日はまぜこぜむらで1日博多、その2日後は看護学院での講義(待ちわびた講義のお仕事。これが生業なのでぜひまだまだご依頼お待ちしております!)なので今日は家でゆっくりと。

夕方気になったニュースから。
首都圏ネットワークからは青鳥特別支援学校について。

特別支援学校ではあるけど夏の甲子園を目指す高校野球の都大会に出場、一般の高校と対戦。初挑戦の去年は0-66と大敗。今年も1-22と大敗だったけども失点を三分の一まで減らすことができて、しかもスコアボードに初めて得点を刻んだ。

夏の甲子園を目指す大会はどこが甲子園の切符をつかむかに目が行きがちだけど、これはほんとに大きな一歩。同じ大敗であっても着実にステップアップしている。軽度の知的障がいはあってもこうして普通校と同じ甲子園を目指す同じ土俵で戦えていること。素晴らしいことだと思います。

そしてもう一つはクローズアップ現代から。
認知症であっても自分らしく働きたいと食堂やコーヒー店、そして、子ども食堂でも活躍している認知症高齢者が増えている、と。認知症の方にも安全に使えるガスコンロを開発したり、ピクトグラムなどを工夫して外出しやすいまちづくりをしたり。これは認知症でなくても、障がいを抱えている人にもやさしいアイデアです。

どちらのニュースも、ハンディキャップがあってもそれでも自分らしく輝きたい、そして、誰かの役に立ちたいという思いが伝わってきました。

でも、ネットの意見を見てみると、相手は特別支援学校だからまともにやってたら試合が終わらないから手を抜いただけじゃないのか?認知症の人を働かせるのは残酷とか、認知症なら外に出ても迷惑になるだけだから家でおとなしくしてろとか、付き合わされるお客さんがいい迷惑などなど、、、あまりに辛辣で悲しくなった。

いや、手を抜いたなんて相手校にも失礼な話だし、それに、働きたくない人を無理やりひっぱり出して働かせてるわけじゃないし、そのへんはちゃんと考えて無茶苦茶やってるわけではないし、認知症と一言で言っても程度は様々で、認知症を患ってはいてもやりたいことがあって、誰かの役に立ちたいという気持ちも人として当然だし、それによって認知症の症状が改善することもあるかもしれない。かえって認知症だから何もしなくていいと閉じ込めておくことでかえって悪化することだってある。

私は認知症ではないけどもハンディキャップを持つものとしてとても身につまされる。白杖ゆえ迷惑かけることもいっぱいあるし、1日に何回謝っているか分からないし、杖は邪魔、障がいがあると皆が迷惑するから外に出てくるなと何度言われたか分からない。

だけど、見ず知らずの方が私を誘導してくださって私がお礼を言うと「ここの信号、音が鳴ってるなくらいは気づいたことあるけどその意味とか19時で音が切られることとか知らなかった。あなたに出会わなければずっと気づかなかったかもしれない。気づかせてくれてありがとう」と逆にお礼を言われたこともありました。

助けていただくことのほうが多いからごめんなさいと同じくらいありがとうを言っている日々だけど、そんな私でも微力だけども誰かの役に立ちたい、助けになりたいと思っています。それが人、生きるってことだと思うのよね。

子どもでもふけるリコーダー吹いて、不幸な身の上話しし同情してもらって恵んでもらって、などと叩かれたこともあります。確かに私は特別な資格もないし、バリバリ働けているわけでもない。

将来に不安がないと言えばウソになるし、確かに子どもでも吹けるリコーダー吹いて、人間口があればしゃべれるわけなので、自分の身の上をただペラペラしゃべって、私って生きてる価値あるのかなと思うことは何度もありました。

それでもできないことではなく、今できること。そして、誰でもできるように見えることだからこそ磨きをかけて私ならではのスキルにしていった。

それがリコーダー1本で1500曲だし、壮絶な人生を同情してもらいたいからではなく、壮絶ないじめなど、もうこんな思いを誰にもしてほしくないからこそ語る。それには本当に労力と工夫が求められる、簡単そうに見えて難しくそしてやりがいのある仕事です。

人は生きている限り、誰かに必要とされることが生きがい。私はそう思います。

できないことではなく、できることに目を向けて、誰もが自分にできる範囲で誰かの役に立ち、自分らしく活躍、輝ける社会であってほしいと心から願います。

#首都圏ネットワーク
#クローズアップ現代 #青鳥特別支援学校 #認知症 #誰もが活躍できる社会 #ハンディキャップ