image

image

image

昨日もまたお風呂恐怖を乗り越えられなかった。いや、死ななかったので乗り越えられたと言っていいのか、、、1日の疲れを取るはずのお風呂で死にたくなるってどれだけよって話でね。

色々紆余曲折あったけど、どうにかこうにか望みの自分で生きられるようになった。最後にぶち当たった壁。生まれ持った身体という自分ではどうにもならない壁。乗り越えるのは無理なのでせめて折り合いをつける、開き直る、そんな妙案をもう十何年も探していて、これが見つかれば私的にはノーベル賞と思うくらい探し続けています。

今思い返すと全ての始まりは2011年元日でした。それまでなんとなく性別違和に関しては耳にしていたけど新聞の連載で細かに書かれていたのを見たのがきっかけで、それまでは蓋してきたけどありのままの自分で生きてみようと思ったのでした。

その5年後にまた大きな転機がやってきます。ウェザーニュースのセミナー参加のために佐賀を訪ねたとき、時間つぶしに入った図書館で文野さんの本に出会いました。これはほんとに大きな出来事でした。

文野さんの場合は女性として生まれて、だけど、女体の着ぐるみ、自分の体なのに他人の裸を見ているような感覚、体を洗う時に自分にくっついている気持ち悪い物体に触れなければいけない、なりたいのではなく元の姿に戻りたい、見た目を気にしてるのと同じでしょと言われるけどそういう見解も否定させていただきたい、痩せていればとかプラスアルファの部分ではなく、ベースとなる体そのものに不都合がある感覚、、、

首がもげそうなほどにうなづくことばかりで、そのあとセミナーがあるのに図書館で泣けて泣けて仕方なかった。

強がるのはもう疲れた。これでもつらいんだよ、と、第一線で活躍してる文野さんのありのままが綴られていた。

まさに私が日々お風呂のたびに悶絶する気持ちがまさにそれ。これをきっかけにまず名前を変える決意をして半年後に公に名前を変更できた。

あれから8年。やれることはやり尽くした感はある。おかげでこんなでもリコーダーのお姉さんと親しんでもらえるようになった。だけど、生まれ持った身体、これはもうどうしようもない。あとはもう手術しかないけど、手術したからといって完全に望みの性になれるわけじゃないし、どうかすると生死のリスクすらある。病魔に侵されていないのに体の器官を切除したい人なんていないでしょう。どんなに望んでも体の器官がなくなるということはそれだけ心身のバランスを崩すことでもある。最悪死の危険もあるし、今より動けない身体になる可能性だってある。ほんとに身を切られるような苦渋の選択で、今の身体のまま望みの性で生きる、ある意味一番茨の道を選んだ。

その後に出会った本で、科学の観点からでも男とも女とも言い切れないような体の人が実際に存在することが書かれていてこれもすごく大きかった。

誰のせいでもないし、産んでくれた母には感謝してもしきれない。なのに、服脱いで現実の体を目の前にすると発作的に死にたくなってしまう。お風呂のたびに死にたくなっていたら命がいくつあっても足りない。

こんな体でも女子と思ってくれて一緒に遊んでくれたり、お泊りできたり、温泉に誘ってくれた方までいらっしゃった。成れの果てとしてはよくできたほうなのか、、、思いっきり女の子で生まれてきたかったけど、そしたらたぶん「笛田ちひろ」ではなかったかもしれない、今出会ってる方々とも出会ってなかったかもしれない、そんなこと思えばこれでよかったのか、、、

いい大人が、一人でお風呂入るのが怖いなんて情けない。誰かそばにいてほしくなるくらい苦しくて、これまでもお風呂のたびに発作的に飛び降りてしまいそうになるのをどれだけこらえたことか。限界はあるけどもできる限り女性として人生を楽しみたい。修学旅行のやり直しとばかりに女子旅できるようになるのがささやかな夢の一つ。

一人暮らしだから誰も止める人はいないから希死念慮とも一人で戦わないといけない。お風呂の時に誰かそばにいてくれたらって思うけどね^^;お風呂は日常のことだからお風呂のたびに死にたくなってたら命がいくつあっても足りないから、うまい開き直り方を見つけないといけない。どこに落ちてるんだろうな〜、その鍵は、、、

#多様な性 #性別違和 #リコーダーレインボーアース