実は、、、まさかのインフルエンザで
ダウンしておりました。せっかく
新年いいスタートを切ったと思った
のですが、うがい手洗いも神経質な
位に心がけていたのですが、
かかるときはかかるんですね、、、

さて、ダウンしている間に節目の日が
通り過ぎていってしまいましたので、
遅くなりましたが、これからしばらく
10日間ほど特集dayにしていきたいと
思っています。

その節目の日とは、1月17日。

震災と言うと、六年を迎えるとはいえ
まだ記憶が新しい東日本大震災、
そして、去年の熊本地震を思い浮かべる
方が多いと思いますが、
あの日、間違いなく当時では戦後
最悪の震災と言われた、
阪神淡路大震災。

今の神戸の街並みは震災があったとは
思えないほどの美しい景色が
広がっています。

神戸市役所展望室からの眺め。


しかし、一昨年、ここを訪れた時に
ボランティアの方が、当時の様子を
まるで昨日の事のように語って
下さいました。
そう、それは昔の、歴史上の
出来事ではないのです。

希望の灯りには、
震災が残してくれたもの、と、
あえて明記されています。



慰霊のモニュメントは地下へと続いて
おり、水に浮かべるように捧げられた
花びらは地下から水面を見上げることで
違う顔を見せてくれます。
そして、その四方八方に刻まれた
おびただしい数のお名前が、
おひとりおひとりの重い重い命の証。








ここで悲しみの涙を流す方々に
何人も出会いました。
遠い昔の出来事ではないのです。

私は災害ボランティアとして汗して
働いたわけでも、報道に携わるもの
としての使命を全うしたわけでも
ありません。私は無力です。

だけど、私には音楽がある。
演奏と語りがある。
自らの生きざまを語る中で、
震災についても語り、それにまつわる
音楽を演奏することが出来る。

少しでも寄り添えたらとの思いで、
震災から15年がたってからやっと
神戸に行くことが出来ました。
足を向けるには遅すぎた、
最初はそう思いました。
でも、再開発の長田でいろんな話を
伺うことが出来た。 そして、
先程述べた神戸市役所展望室の
ボランティアさん。

一目私を見るなり、音楽かなにか
されてるの?と聞かれたので、
軽く自己紹介し、演奏と語りでの
活動を話し、少しでも神戸に
寄り添い、見聞きしたことを
福岡に持って帰って語りたいと
話した時、なんだかそのような
ことをされてるのではと感じたのよ、
経験してないことを我がことのように
思い、神戸のことを福岡で語って
下さるなんてどれほどありがたいか
わからないと涙されていた。

私にはできることがある。
五歳までの命、障害、マイノリティ
として生きる私。
演奏と語り。
そして広島、長崎、神戸、石巻と
繋がっていく縁。

震災で愛する娘さんをなくされた
親御さんから、その娘さんが
大好きだったひまわりを植え、
その種をおすそ分けしてくださった。
その種を、演奏に出向いた飯塚市の
小学校に寄贈させて頂いた。
その架け橋というのもまた何かの
縁なのかもしれないね。

改めて神戸と歌詞に刻まれた
復興の歌をリコーダーで演奏し、
私のラジオ番組でかけたりして、
語り手として、私にはできることが
きっとあるね。

22年。長い年月がたったけど、
決して遠い昔の話ではない。
心の傷が癒えるにはまだまだ
時間がかかるかもしれない。

♪地震にも負けない強い絆を作り
亡くなった方々の分も毎日を大切に
生きていこう。
傷ついた神戸を元の姿に戻そう♪

これからも私は神戸のことを
思い続けます。
語り続けます。
奏で続けます。

今週のサポセンでも阪神淡路大震災
に関する資料を並べる予定です。