福岡でライオンズを応援する肩身の狭さから去年、思い付きで勝手に立ち上げた

「福岡ライオンズ女子会」。

Facebookのいいね!が150を超えるなど、大変盛況になってきました。メンバーはまだまだ増えてませんけどね。

 

北九州や平和台でライオンズ女子会を開催してきました。


そして4月30日、年に一度のライオンズのビジター応援デー。この日は埼玉からはるばるレオがやってきます。というわけで、この日にライオンズ女子会観戦ツアーを企画しました。


これまで一人でヤフオクドームや北九州市民にビジター応援に3度行きましたが、よりによって3度とも「ここは鷹の聖地だから憎いライオンズファンは出ていけ!同じ空気すら吸いたくない」と鷹ファンに胸ぐら捕まられるなど怖い目に3度も遭ったりしましたが、みんなで観戦すれば怖くない(笑)


ただ、その前に熊本地震があったので、思いっきりはしゃぐことにちょっと後ろ向きになったこともありました、、、


が、びっくりしたことがありました。

熊本で被災されたライオンズファンからメッセージが届いたのです。

「福岡ライオンズ女子会を通してたくさんの友達ができました。ライオンズ勝利が疲労回復薬です。熊本から応援に行けませんが、必勝をお祈りしております」と。


熱いメッセージを拝見し、これはいかねば!と思いました。


そして、被災地のライオンズファンへのメッセージを書いていただき、スタンドから掲げることにしました。

 

試合は惜しい引き分けでしたが、大変楽しい時間になりました。観戦前日から、北海道や岐阜など日本全国から福岡ライオンズ女子会を応援するメッセージが届きました。ちょっと野球観戦!で全国からメッセージが届くなんてびっくりです。思い付きで立ち上げただけなのに、

こんなに広がってほんとにありがたい限りです。


あとはぜひメンバーが増えていってほしいなあと思います。。

 

周囲が某黄色ファンばかりで、福岡なのになんでライオンズ?などと言われて肩身の狭い思いをされてる方、いらっしゃいませんか?


ぜひ、福岡ライオンズ女子会の仲間になってください。スイーツでもほおばりながら、可愛いライオンズグッズを見せ合いっこしたりなんかして、ライオンズ女子を満喫しませんか?

 




ところで、なぜ私、会長はライオンズファンになったのか。西鉄時代も、太平洋もクラウンライター時代も知らない私がなぜ・・・


それは1988年までさかのぼります。

まだ鷹は南海でした。

その年はオリンピックイヤー。

夏季五輪がソウルということで時差がほとんどなかったので、先生が勉強になるからと給食時間にオリンピックを見せてくれたのでした。


それに味をしめた男の子たちが、日本シリーズを見たいと言い出しました。当時は、秋山、清原全盛、その翌年にはデストラーデが。成績も85年から3連覇中でしかも86,87年と日本シリーズも連覇。黄金時代の始まりでした。


しかも今と違って、日本シリーズは平日、週末関係なく全試合デーゲームでしたから平日は学校のため見ることができなかったのです。

先生が、学んだことを作文に書くことを条件にOKを出しました。鮮やかなプレーの数々、そして、緑豊かな所沢の森が、金色の夕焼けに包まれる中、青いユニフォームに包まれたライオンズの指揮官が胴上げされる。その美しい姿に魅了されました。

 

ルーツをたどれば、もとは福岡のチームで、私がバスごっこに興じるほど好きだった西鉄バスの、西鉄を冠した「西鉄ライオンズ」だったこと、大好きな祖父もライオンズファンであることを知りました。祖父は無敵な強さを誇るものはあまり好きでなかったようで、巨人、大鵬、卵焼きと言われるくらいだった時代に、まずV9の巨人よりも西鉄、そして、無敵の強さだった大鵬より柏戸、そんな人でした。

そのDNAが私にもあるのかも(笑)

 

さらには、今でこそ嘆かわしいことに、猫も杓子も真っ黄色ですが、私の子供時代の北九州は、そごうデパートがあり、ファミリーマートも西武色を打ち出してましたし、プリンスホテルもありました。ちょっとリッチな中華料理店や、当時は珍しかった輸入食材のお店もライオンズ優勝となるとセールを開催、テニスコートやアイススケートも安くなりました。恩恵だらけだったのです。北九州、特に黒崎のあちらこちらで「地平をかける獅子を見た」が流れていました。


街中にはライオンズファンクラブ募集のポスターがあちこちに貼られていました。黒崎に繰り出すだけで、あらゆるライオンズグッズを買えました。子供ながらに黒崎はライオンズの本拠地と錯覚するくらいでした。黒崎はライオンズに囲まれた、ライオンズタウンといっても過言ではなかったのです。


福岡にホークスという球団がありながら、街頭にテレビが出て、ライオンズがホークスを破ったとなったら狂喜乱舞、これまた子供心に、ホークスは福岡のチームなのにいいのかなと思う

くらいだったんです。


おまけにテレビは私がひいきにしていた放送局、テレビ朝日、福岡はKBC九州朝日放送がそこにあたりますが、今のようにKBC独自にホークス戦を中継することはほとんどなく、東京のテレビ朝日がライオンズ戦をよく中継してくれていて、それをKBCでもそのまま流してました。

 

なので、街を歩いても、テレビをつけても、ライオンズ、ライオンズ、ライオンズ。


これだけライオンズに囲まれたら、そりゃあ獅子愛がはぐくまれるというもの。


さらには、母が大の手塚治虫ファンで、我が家の漫画はアトム、ジャングル大帝、リボンの騎士、火の鳥、さらにはジャングル大帝のサントラレコード盤までありました。


ライオンズ、レオに囲まれた生活。

時は移ろい、黄色に侵食され、栄枯盛衰…

しかし、30年近く声援を送り続けたチーム、

今更乗り換えなんてできません。

弱いと鷹ファンに馬鹿にされることもあります。でも、黄金時代よりも今のほうが獅子愛が強くなりました。というか、黄金時代は、強いから応援してる、という感じでした。


今は確かにふがいないエラーもあります。

でも、そんなときに苦労人がやっと開花したり、けなげに戦う若獅子に、黄金時代にはない魅力を感じたのです。野武士軍団と言われたあの常勝西鉄でさえ、晩年は低迷した。西武ライオンズとしてのスタートは12連敗だった。

栄枯盛衰はつきもの。

若気の至りということは、裏を返せば、未来が開けるということ。

今から5年後、10年後、、、

きっとまたライオンズの時代がやってくる。

 

私はまだまだ女子力が足りないけど、ライオンズ女子会会長として獅子愛をこれからも貫きます。

 

今一度、石井一久さんが引退セレモニーで語ったことをかみしめます。

 

「皆さんの夢を西武ライオンズに託して間違いありません」