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きょうは、私が尊敬する人の一人について、
書いてみたいと思います。

昨年12月にテレビ朝日を定年退職となった、
渡辺宜嗣さん。

私が宜嗣さんを初めてテレビで目にしたのは、
今や国会議員の蓮舫さんと担当していた「ステーションEYE」です。
今の「スーパーJチャンネル」の前身です。22年前のこと。
36年の人生で22年、長いおつきあいです笑。

私がニュースに目覚めたのはチェルノブイリ事故の時ですから、
1986年。私が小2の時。幼いながらにニュースステーションを
ちょこちょこ見ていました。
積極的に自分からニュースを見るのを日課にし出したのが、
国際ジャーナリスト・内田忠男さんをキャスターに据えて
「ステーションEYE」がスタートした1991年。
その内田さんの後を継いだのが宜嗣さんでした。
そして「ステーションEYE」は蟹瀬誠一さんにバトンタッチされ、
石田純一さんが引き継いで「スーパーJチャンネル」がスタート。
JチャンネルのJは石田純一のJと言う一説も。
しかし、ここで視聴率がまさにどん底まで落ちます。
文字通り、ゼロからのスタートを任されたのが、
ニュースステーションから夕方の顔になった小宮悦子さんでした。
1998年のこと。
初めてのメイン司会となった小宮さん。
まさに私がひきこもり、自殺未遂など、どん底にいた時のこと。
伝える姿勢、しっかり物申す姿、
そして喜びも悲しみも共有する小宮さんに多くのことを学びました。
私の人生に大きな影響を与えた人。

その間、宜嗣さんは久米さんが休みの時は、
ニュースステーションを担当。
久米さんの後を継ぐのではないかと思ったくらいでした。
ニュースステーションは18年の歴史に幕を下ろし、2004年、
古舘伊知郎さんメインに報道ステーションがスタート。
古舘さんも私が尊敬する人の一人です。
そのことはトーキングブルースについてブログで書いたとおりです。

石田純一さんの後を継いだ小宮さんのJチャンネルは、
じわじわ回復。気がつけば、NHK含めた夕方ニュース番組の
中でトップの視聴率を取るまでになりました。
その小宮さんからバトンを受けたのが宜嗣さんでした。
小宮さんを見られなくなるのかと思うと、何ともさびしかったですが、
今やすっかり夕方の顔になった宜嗣さん。Jチャンの高視聴率は
続いています。そして石田純一で大コケしたにもかかわらず、
スーパーJチャンネルは97年にスタートして今年で18年。
今年の秋を過ぎると、ニュースステーションよりも長い番組になります。
その間、各局はどんどん変わり、各局の夕方時間帯トップの
視聴率なだけでなく、夕方ニュースの最長寿番組になりました。

小宮さんからバトンを継いだ時、宜嗣さんは決意をこう語りました。
「どこよりもわかりやすく、早く、フェアーにニュースをお伝えします」と。
フェアーに、と言うあたりが宜嗣さんらしさが出ています。

宜嗣さんは非常にフットワークが軽いです。
阪神淡路の時も被災地から的確にそして、
寄り添うように声を届けました。
蓮舫さんとのタッグから時は流れ、正直、
お年を召されたなあと言う部分はあるのですが、
しかし、フットワークの軽さは相変わらずです。

政治家には鋭いメスを入れ、不条理なニュースには、
「とても納得できないですけどね」と語気を強め、
物申す姿勢がある一方で、ほほえましいニュースに
笑みを浮かべる宜嗣さんは、まるで孫を見つめる
おじいちゃんのような暖かさでほっこりします。

どんどん飛び込むニュースをさばきながらも、用語解説を入れて、
例えば、「青森の酸ケ湯で積雪の記録を更新」のニュースでは、
今日は酸ケ湯と言う場所について紹介したいと思います。と、
歴史も織り交ぜ、分かりやすい解説が入ります。
単にニュースを伝えるだけではない、身近に感じられるように、
噛み砕いて伝えてくれます。

そんな宜嗣さん、結構涙もろいのですが、もちろん、
伝える立場が泣いていいのか、意見もあると思いますが、
涙声になりながらも伝えるべきことをきちんと伝える姿勢に
何度心打たれたか分かりません。

東日本大震災からまだ一カ月しかたってない時に、
まだどこのテレビも津波の悲惨な映像を流してる時に、
テレビは震災をどう報道したのか、検証する番組を放送しました。
その時に宜嗣さんは、
「私たちテレビは、被災者の皆さんの思いにきちんと
答えていたのかどうか、おそらくできなかったことの方が
多かったと思います」
と涙声で語りました。どこもそんなことを言ってるテレビが
なかっただけに、私は宜嗣さんの謙虚な姿勢と真摯な姿勢に
心打たれました。

先日の阪神淡路20年の時も、時折涙で声を詰まらせながら、
神戸から伝えていました。

そして、東日本大震災から4年。
Jチャンは南三陸町からの放送でした。
震災発生時刻、14時46分。
各局は国立劇場での式典を中継していました。
Jチャンも中継はしていましたが、その時間、防災庁舎の方を向いて
宜嗣さん、八木アナ、大谷昭宏さんも黙とう。
向き直った時、すでに大谷さん、宜嗣さんは涙目になっていました。
宜嗣さんが、
「2時46分が過ぎました。なんだか心が震えますね・・・」
それは涙声を通り越して、完全に涙で声が上ずっていましたが、
私までもらい泣きしそうでした。

報道は起きていることを淡々と伝えればよい、
と言う意見もあるでしょう。
だけど、時に鋭く切り込んで、ご覧の皆さんは
どうお考えでしょうか?と投げかけたり、
こうして涙交じりに伝えてくれることで、見ている側も心
揺さぶられ、感情移入できたり、ほっこりできたり…。
かといって涙でなに言ってるかわからないわけでもない。
私は血の通ったニュース番組が好きです。
私にとって報道とは、真実を伝えることは当たり前で、
今やコミュニケーションが希薄になってる今、
投げかけてみる、考えるきっかけを作る、
それが報道の役割だと思います。
実際、テレ朝の番組にそうメッセージして、
番組ブログを通してそのことに私の名前を出して、
「笛田さんのおっしゃる通りだと思います」と
返答してくださいました。

ちょっと優しいおじいちゃんになった宜嗣さん。
でも、フットワークの軽さは相変わらず。

いじめで私はろくに学校に行きませんでした。
言わばニュース番組は私にとって「学校」のような存在でした。
多くのことを学びました。

渡辺宜嗣さん。
まぎれもなく、私の人生に大きな影響を与えてくれた、
私が尊敬する人の一人です。