まるでそれはストーカーのように常にまとわりついてくる性別。
自分の性別が分からずに悶絶する日々。

家族が心配してるのもよく分かる。
もしかしたらセクシャリティのことをそこまで
思いつめてなかったころの方が、いきいきしてたのかな・・・

私は暗黒面に魂を売ったのか…

いや、私はあの頃と根っこは変わっていない。

ただ、中性でいたりとか試行錯誤したけど、
女性になりたいという気持ちが私の一切いつわりのない、
正直な自分の気持ちなんだということに気づいてしまったのです。

まるで何かがはじけたかのように。
そして、はじけた以上、もう後戻りはできない。
気がつけば、身体がアレルギー反応を示すようになった。

昨日まで行けていた男性トイレが、
まるで一晩のうちに誰か結界でも張った?
というくらいにバリアではじかれた。

まるで蓄積されていたことに気付かなかったかのように。
そして、ついにこぼれてしまった。

だけどそれは、残念な結果ではなく、
声を大にして叫びたかった、
心の奥底に自分でも無意識のうちに
封印していた扉が開いたのだ。

どこへ行きたいのかははっきりしてる。
だけど、そのためにどう行けばいいのかが分からない。
道中の障害があまりにも多すぎる。
いばらの道な分、そこを抜ければ、
素晴らしい世界が開けていると信じたい。

ふと、マツコ・デラックスさんのインタビューを見返したくなった。
ホームページを見ると、ほぼ一字一句掲載されていた。
改めて向き合ってみる。

私は、できる事なら完全に女性になりたい人なので、
マツコさんとちょっと方向が違うけど、
でも、私が考えてることとすごく重なることが多かった。

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2013-06/17.html

こういう人になったら格好いいなとか、
こういうふうに人生を歩みたいなと思う対象は、
全員女の人でしたね。


思えば私も起点はここかもしれない。
ただ、私の場合は、完全に女性になりたいと思ったわけだけど。

好きになるのは女性だけど、でも、男性として女性が好きではなく、
私自身、こう言う人になりたい、こう言う生き方をしたい、が高じて、
女性になりたい、女性として女性が好きにつながっていった。

マツコさんはマイノリティについてこう語っている。

「マイノリティーならば、社会が手を差し伸べてくれると思ったら
大間違いだし、ゲイであろうと 何であろうと、
自分が理解されないことを誰かのせいにしたら、
そこで終わりだと思う……」


確かにそうだと思うし、
分かってほしいと思っている自分の甘さが情けなくもある。
その一方で、誰かのせいにせず、ほんの一ミリでも二ミリでも、
理解のために伝わる努力をしたいと思う。
ましてや、同情を引きたいわけでも、
悲劇のヒロインを演じたいわけでもない。
そのために語るのだったら、みじめ過ぎて、
かえって語れない。

ここからのくだりは色々考えさせられた…。


個々の人格や肉体である以上、
カテゴライズってできないんじゃないか
「とりあえずどこに所属しているのか言ってください」
って言われれば、それは「同性が好きなのでゲイですかね」
と答えるし、
「そういう格好をしていることは、性同一性障害の方なんですか?」
とか、ずけずけ聞いてくるセンスのかけらもない親父とか
いるじゃないですか。そういう奴らには、
「性同一性障害ではないですよ」と。
「私は女性になりたいわけではないです」というと、
「だったら何でそんな格好しているんですか?」と始まるから、
あいつらを納得させるのは不可能なのよ。



私も、所属をはっきりと言われれば、生物学的に男性でという話しに
なるのかもしれないけど、でも、女性の身体の部分もあるわけで…
「そういう格好をしていることは、性同一性障害の方なんですか?」
って言うのはよく聞かれるね。急にひそひそ声になったり。
悪いことでも、やましいことでもないのに。
ずけずけ聞いてくるセンスのかけらもない親父、
には笑っちゃったけど。
実際そういうこと多いし。
あいつらを納得させるのは不可能なのよ。
って言うのもほんとにそう思う。

だけど、マツコさんはこう続ける。

でも、その人たちが悪いかっていったら悪くなくて、
それを聞いてくる親父の気持ちなんて
わたしは理解しているのかと言ったら、
何にも理解なんかできませんよ。
ずけずけと聞いてくるサラリーマンの親父のつらさとか、
癖とか、そんなの100%絶対理解できないじゃないですか。

だからそういうことを聞かれても、
「何なのよ、もう。本当に不愉快だわ、理不尽ね」
とは思わないんですよ。
それはわかんないだろうなって。


それは本当にそうなの。
デリカシーがないわね、とは思うけど、
ただ、分かんないだろうな、
って言うのはすごく思うのよ。

だけどね・・・

でも、理解できないものって恐怖になるじゃないですか、
人間って。
恐怖になると「悪」になるじゃないですか。
「悪」は攻撃したいと思っちゃうじゃないですか。
そこまでいった人間には、
どんな手段を使ってでも戦おうと思うけれども、
それ以前の人たちには、
「いやいや、アタシにそういうことを聞くのはちょっと
失礼じゃないですか?あなたちょっと、人間として
どうかと思いますよ」とは……言えないです。
やっぱね、理解しあえるってよっぽどのことなんで。
理解しなくてもいいから、
「あんたには危害は加えないよ。だから仲良くしましょう」
っていうスタンスですね。
別に理解しようとはしてくれなくていいから。
人間、「男」「女」なんて、単純なものじゃないんだよ
っていうのだけ
理解してくれていれば。


これには、なるほど!と思った。
そして、そこまでいった人間には、
どんな手段を使ってでも戦おうと思っていいんだと思ったのね。
ゲイとかレズビアンとか想像もできない世界だから
分かれって言うのはやっぱり無理!って言うのは本当にそう思うし、
分かって!っていうんじゃなくて、
「あんたには危害は加えないよ。だから仲良くしましょう」なのよね。
理解しなくていいから排除しないでほしい、とも言えるけどね。

アタシ、自分の強い意志の元で、
「こうあるべき、こうなりたい、これをやりたい」って思ったことが
実は一度もなくて。
多分、苦しい方って自分を律しなきゃいけないという思いが
強すぎて、そこから外れてしまう自分だったり、
世の中が承認してくれなかったりすることに対して、
恐怖を持ちすぎてしまっている気がするんですよ。
いいじゃないですか、本当に大切な人から
「あなたは必要な人です」って言われれば。
すれ違いざまの人に石投げられようが、
石投げられたらこっちも投げ返してやればいいだけで、
指さされて笑われようが何をされようが、
そんなの関係ない人じゃないですか。

だから、「バーカ」と思っていればいいんですよ。
ここだけは絶対に譲れないっていう、
そこさえ守っていれば、
絶対に自分がなくなってしまうことはないと思うんです。


うーん。わたしはかえって、こうなりたい、
完全に女性になりたいという思いが強いだけに
そのぶん考えすぎちゃうのかな、
だけど、振り切れないって言うのか、
そこが律してるってことなのかは分からないけど、
外れてしまう自分だったり、
世の中が承認してくれなかったりすること
に対して、恐怖を持ちすぎてしまっている気がする
って言うのはものすごく思う。

石投げられたらこっちも投げ返してやればいいだけで、とか、
「バーカ」と思えればいいんですよね…
石を投げられるだけのことをしたのか、とか、
指さされて笑われることをした歪んだ人間なのかなとか
考えるからだめなのよね。

ただ、笑われるくらいならまだしも、ままならない身体があるから、
下手すると警察沙汰かなとか思ってしまうのよね。
つきすすめないって言うのはこの部分なのよね。


そして、マツコさんは「孤独」と向き合う。ここは泣けちゃったわ。


誰かが隣にいて、手を取りあって一緒に死ねたら、
同じ死だけれどもまた違うのかなとか。
例えば、そこで一緒にいなかったとしても、
誰かのために生きたっていう気持ちを持ちつつ死ぬのと、
自分のためだけに生きたと思って死ぬのでは、
全然死ぬときの生きた感が違うのかなとか、
いろんなことを連想してしまって。 


ここなのよね。手を取り合って一緒に死ねたら…
ってことをすごく思うのね。やっぱりさびしいのかな…

そして、結婚や子育てについて語っています。
ここもすごく泣けたわ。

結婚という形態は、「あんなもん、紙切れ1枚じゃない」
と言う人もいるけれど、あの紙切れ1枚が、血判状みたいなもんで、
お互いに支え合っている意識を持ち続けることができる契約書
みたいなものじゃないですか。それはまずアタシにはない。
それと子どもを育てて、一人前にするっていうのは、
すごいことだと思うんですよ。それをしただけで、
その人はちゃんと社会の一員として世の中に貢献したって、
堂々と言っていいぐらい、すごい仕事をしたと思うんです。
現役でやっている方も含めて。 じゃあ自分はそれがないってときに、
DNAとして、物体として、自分の思いを残せないんだとしたら、
孤独だってことを受け入れて、1人で生きていこうって決めた人間が、
子育てをする代わりに、パートナーのために生きる代わりに、
それに代わる社会への貢献や、自分に何ができるのかなっていう。
あるいはできる、できないじゃなくて、何をすべきなんだろうっていう。

自分は何かを社会のためにしていかなければいけないっていう思いを
強くしましたね。それが誰か人なのか、物なのか、状況なのか、
まったく今はわからないんですけど、何かをしなければ。
……もしかしたら、やっぱりだからそれも、
そうすることで孤独を解消しようとしているのかな。


私が結婚に憧れるのはまさにそこで。
子育てはなおさらそうで。どんなに羨ましく思っても、
私は結婚・子育てという社会貢献ができない、
じゃあなにができるのか、なにをすべきなのか、
あ、でも、私の場合は、女性になりたい人だから、
育てたいというより、産みたい気持ちの方が強いのよね。
どうしようもないことは分かってるんだけど。

マツコさんも「さびしいのかも」と話してることに、そうなんだぁ、
私も、という気持ちがわいてきて。寂しいのかもしれないね。

そして、私は、マツコさんの次のくだりで、
なんて謙虚な人なんだろうと思ったんです。
毒舌のイメージだったから、そこまで自分と謙虚に
向き合ってるのか、と頭の下がる思いさえしました。


話すテクニックがあるわけでもないし、
芸人さんたちみたいにおもしろいテクニックを磨いたわけでもないし、
ましてや、女優さんや俳優さんみたいにきれいなわけでもないし。
見てもらう、上野動物園のパンダを見ているぐらいの感覚で。
でもあたしはパンダほど貴重なものでもないので、
じゃあ何が売り物になるかなって思ったら、
いかにアタシの恥部も含め曝け出すことができるか
だと思っていて。弱くはないですよ、弱くはないと思うんですよ。
でも、寂しいときはありますよ。

いつまでこうやって意地張って生きていけるのかなっていう。
意地張ってなきゃやっていられませんよ、こんなこと。
ずーっと意地張っているみたいなものなので。
今はとりあえず名案も浮かばないので、
意地張れるところまで張っていこうかなと思っています。

とりあえずやって失敗したら失敗したで、
迷惑かけた人にごめんなさいって言って、

もう1回何となく光が差しているほうに歩いて行けば、
また何かあるんですよ、やることが。


恥部も含め曝け出すことができるか、それしか売り物がない、
と話すマツコさん。日頃の毒舌からすれば、
なんて謙虚なんでしょうか。

恥部も含め曝け出す。

私の行き先もそこにある気がするんですよね。

恥部も含めだと、本当にある意味生々しいというか、
みっともないかもしれない、でも、さらけ出して、
恥部も含めてさらけ出すんだけど、
胸張って生きてる、みたいなね。

すごくヒントというか、私の行き先がある気がしたのよね。

ただ、私の場合は、リアルな身体、
完全にできる事なら肉体も女性にと言う部分で、
どう折り合いをつけるか、になるのよね。

マツコさんからひもといてきましたが、
まだまだ手探り状態で、
吐き出したつもりがまだどこか奥歯に物が挟まってる感じなので、
真にさらけ出せるようになりたい、と思っています。

今までの自分をかなぶり捨てた、と思われるとつらいんだけど、
根っこは12年前と何ら変わらないんだけど、
ただ、「男性」とはもうおさらばしたい、もう限界点に来てる、
そこでどう生きるのか、
もがいてるからこそ苦しくて、被害妄想が止まらなくなり、
何気ない家族の風景ですら目にするのがつらくなったり…

まだまだ未熟な私です。