1月17日。
あなたはあの日、どこで何をしていましたか?
関西のラジオの震災特番のエンディングで
こんな感想が寄せられました。

「まだ温度があったことを知って嬉しかった」
と。

阪神・淡路大震災から19年という歳月が流れました。

東日本大震災からまもなく3年。
まだまだ3.11の記憶が新しい中で、
私の住む福岡で今日、テレビニュースを見ていましたが、
ほとんど阪神のことは取り上げられませんでした。

確かに、東北に目を移せば、原発はじめ、まだ現在進行形
なものが山積みです。

しかし、19年たったからといって、
阪神はもう現在進行形ではないのか…

いえ、災害復興住宅で暮らす大半が65歳以上の高齢者で、
孤独死も深刻です。
そして、神戸市に住む4割もの人が、震災後に生まれた、
あるいは震災後に住み始めた、震災を知らない人々。
そして、新たな大地震の恐怖と向き合わなければならない。

地震が少ないとされている私の住む福岡も9年前、
大地震に見舞われたことも風化しているように思えてなりません。


悲しいことに、19年も前のことをまだ引きずっているのか、とか、
19年も前の阪神よりも3.11の方が大事だ、といった心ない
言葉にさらされたこともあったとか・・・。

「1.17のことも忘れないで」

去年、ラジオで紹介されたエピソードが私には忘れられません。
3.11の竹灯篭を、1.17の竹燈篭から離れた場所につくったこと。
私は、隣同士に並べなかったことを責める気にはとてもじゃないけど
なれませんでした。

神戸のことも忘れないで!
叫びにも似たメッセージ。

でもその一方で、阪神淡路大震災を経験された方々が、
ある意味「先輩」として、東北の方の希望になろうとされていること、
そして、東北の方も、1.17に寄り添おうとされていることに
感動しました。

私は、阪神淡路大震災を経験こそしていませんが、
ラジオで次々伝えられる、町内単位の細かな生活情報を聞き、
ラジオの大切さを感じました。
それは実際、博多駅浸水の大水害の時、そして、福岡西方沖地震で、
身を持って体験もしました。
そして、震災を経験してないからこそ、現地に立ってほんの
ひとかけらでも寄り添いたい、そんな思いで、神戸、石巻を訪ねました。

津波もなにも経験してない私なのに、
未曾有の震災を経験された方から、心の強い方に出会えて幸せだった、
と言って頂けたこと…。


きょう、小倉に用事があったついでに掘り出し物見つけにブックオフに
寄ったら、とある本を見つけました。





阪神淡路大震災を経験した子供たちの作文集の第二弾です。

今日1月17日という日にこの本を見つけるのは縁でしょうか。

第1集は以前から手元にありましたが、
阪神淡路大震災から二年後、第1集で登場した子供たちが、
その後の自分を綴っています。
復興しようとする街の写真と共に。

第1集を読んだ時は、子供たちの叫びが聞こえるようで、それでも、
生きようとしている子供たちの強さが伝わってきました。
そして第2集。
そこにあったのは、まさに立ち上がって前へ前へ進もうとする
子供たちの姿。

阪神淡路大震災から19年がたって見つけた第2集。

今こそ神戸のことを思いたい。

阪神の方はみな口々にこう言われます。

「阪神淡路大震災を歴史の記録にしてしまってはいけない」
と。

来年、神戸の街はあの日から数えて、成人を迎えます。