なかなかブログを更新できなくてごめんなさい。
昨日、広島から帰ってきました。
本当はヒロシマのこと、そして今日のナガサキ、幻のコクラ、
実はアップすると言いながら1週間たっちゃった絵本ミュージアムのことなど、
ブログ更新しないといけないのにそのままで・・・
どうぞ長い目で見てくださいまし…

さて、ヒロシマ・ナガサキにも通じるかもしれない話しを。

最近、一冊の本と出会いました。
文化放送「いとうせいこうGREEN FESTA」のパーソナリティ、
いとうせいこうさんの「想像ラジオ」。

http://www.kawade.co.jp/souzouradio/


海沿いの町で、なぜか高い杉の木のてっぺんに引っかかっているという
DJ(ディスク・ジョッキー)アークがパーソナリティをつとめる番組「想像ラジオ」。
彼は「想像」という電波を使って、「あなたの想像力の中」だけで聞こえる
ラジオ放送を続けている。


とある文に目が止まりました。

この放送がまるで聴こえないとすれば、
あまりに大きなショックがその人の心から想像力を締め出してしまっているんじゃ
ないかと思うんです。

放送が聴こえていない人たちに僕らは常に語りかけるべきなんです。
いつ彼、彼女の耳に僕らの声が届き始めてもいいように。
つまり、聞こえるきっかけを作るって言った方がいいかもしれません。


私はリコーダーの音色と共にメッセージを伝える、という活動をしています。
何か作品が出来上がるわけでも、プロジェクト、何か業績を残すわけでも
ありません。ひたすらに演奏し、ひたすらに語りかける。
それはまるでラジオです。
それが届いてくれる時、あるいは、届かない時、
届くにはとどいたけど、耳障りに思われる時も…。
何がやりたいんだこの人は…とか、何をばかなことを…とか…。

私自身、ただの独りよがりじゃないか、ただひたすらに流し続け、
誰が聞くんだろう、私のしてることに意味なんてないんじゃないか、、、、

だけど、想像ラジオを読んで、まさにこれだと思ったのです。

届く人にはきっと届いている、想像ラジオ。

ヒロシマのこともそう、ナガサキのこともそう。
経験してないから分かるわけないのは当たり前。
でもそうやってわきに追いやるのではなく、ちょっとでもいい、想像してみる。
上空を見上げてみる。もし今、爆弾が落ちてきたなら。
川に目を移してみよう。川には水を求める人が飛び込む。
沢山の人が叫びながら命を落としていった…。
想像してみよう。
35度の猛暑日ですら歩けないくらいふらふらするのに、原爆の熱は
3000度を超える。沸騰したお湯、100度のお湯がちょっと手にかかっただけで、
火傷するのに…。

私の場合、想像しすぎてしまう点もあるのだけど…。
広島にいる時も川に目を移すとまるで川が人で埋まって叫んでいるのが
見えるようで、聞こえるようで、涙が出そうで、胸が押しつぶされそうで、
ただ静かに流れてる川なのに、川をまともに見る事が出来なかった。

いじめられてどんなに苦しかっただろう。
どんな思いで自分の命を絶ったのだろう。



私も自らを想像してみる。
5歳までの命と宣告された時の母の気持ち。
もし今、痛いも暑いも分からないまま一生を送ると宣告されたなら。

私はそんな人生だったかもしれない。いや、その可能性の方が高かった。

いじめ、ひきこもり、自殺未遂、自傷行為・・・

音、光、人並みの中でのパニック発作、遠のく意識、けいれん、

性別パニック、男性恐怖、心は女、身体は男とも割り切れない、
男性と女性が入り混じった私の身体…。

全て私そのもの。
ぜーんぶ含めの、私。


正直、苦しくないと言えばウソです。

道でもクラクション、工事の音、テレビドラマでの大きな声、音…
突然パニックの引き金になります。

と言いながら、こと、しゃべりになるとスイッチが入り、
ラジオで臨機応変に対応できるので何か回路が違うのでしょうね。
ってことは、まさにしゃべることが私の天職なのかも。
だからこそ演奏し、喋ってるのでしょうね。

そう言う意味では、ラジオとの縁は絶ちたくないと思ってますが、
どうなるか分かりません…。

どんなに女性でいたいと願っても、メイクをばっちり決めても、
服を全部脱いでしまえば、そこには現れるのは男性の身体。
ずいぶん遅く、二十歳近くにやってきた思春期、私の顔には
ちょび髭が。胸も大きくならず、生理も起こりませんでした。
髭をはじめ、私の身に起きたのは男性の現象だった。


こんなに女性でいたいと思うのに私は子供を産むことが出来ない。
たとえどんな治療を施したとしても物理的に。。。
痛みがないんだから羨ましいと言われたこともあるけど、
女性として生きたいという願いは、ただ美人って言われたいとか、
そんな表面的なものではありません。
生理の痛みも女性であるからこそあるわけで、女性ならだれしもが
ある現象が自分にないと言うことに、セクマイ、同一性障害の方は
苦しむのです。
男性になりたい女性が自分の身に起こる生理に嫌悪を感じる、
その逆です。

だけど、性別適合手術を受けたからと言って完全な女性に
なれるわけでもなく、ホルモン投与にもリスクを伴います。

授かった体を大切にしたいとも思います。

ぶっちゃけ「生殖器」という、こめかみのピストルのような現実。
悪いと思いながらも男性恐怖、男性への嫌悪がある自分の身が男性。
嫌悪したし、男性の性犯罪のニュースを見るたびに、服を全部脱いだ時に
突きつけられる自分の身体を嫌悪し、それで自傷に走ったこともあった。

それでも心の奥底から、そして時に私の体内にある
女性ホルモンが女性としての信号を送ってきます。 この矛盾がまたきつい。
母に言わせれば、ぶっちゃけのそれすらも、パーツとしては男性であり、
だからこそ生理、月経がないのだけど、それでも一つ下の弟を見ながら、
一般の男子として未発達なことを気にしていたとか。
つまり、パーツとしては子宮もない、女性の身体のパーツではないけど、
パーツとしては男性の構造かもしれないけど、男性の身体としても、
未発達で中途半端。かといって女性の肉体にもなれない…。
なのに、時にホルモンバランスで、女性特有の体質の悩みが現れる。
だから自分が女性として生きたいと思うなら、胸張って女性として生きる。
それでいいんだと思うようにしなきゃね。

でもこれほどまでに中途半端な性を抱えている私だからこそ、
語りたいこともいっぱいあるのです。
思春期を迎える、あるいは控える若い人に、思いっきりぶっちゃけた
性の話しをしてみたいと思うこともあります。
保健体育で習う、女性の身体とはこう、男性の身体とはこう、だけでない、
揺れ動く心とか、自分の性が分からないとか、
身体の成長に伴う戸惑いとか、きっとあると思うのです。
健康な男子なら、女子なら誰でもあることとか、
大人の男性、女性にちゃんと成長してる証拠、と言うことに安心するのは、
いわする性的マジョリティ、自分の性に疑問を持たない人であって、
マイノリティにとってはそれに苦しめられるわけで…。


私はジェンダーに関して論者でも有識者でもないのでシンポジウムなどで
語る資格はないのかもしれませんが、実体験から伝えたいことがいっぱいあります。

一方で足元に目を落とせば…

生活するためにバイトした方がいいのかもと職探しに奔走したこともありました。
でも、パニック発作、見えない障害は一筋縄ではいきませんでした。
さらにそこに性別という障害がのしかかりました。
履歴書を書くことすら壁になり、一般社会の中で雇われるとなると、
障害者雇用があるとしても、それも一概には言えず、まして性別のことまで…・

だからこそ私は、今の私にできるすべて、そして、私だからこそできる事を
模索し、リコーダー演奏と共に語ると言う道にたどり着きました。

先に書いたように、余命宣告、脳性まひ状態、いじめ、ひきこもり、不登校、
自殺未遂、自傷、目に見えない障害、セクシャルマイノリティ…

こんなにたくさん抱えてどうするのと言うくらいの苦難を経験し、いまも
葛藤中です。でもそれは見方を変えれば、何が来ても、実体験をもとに
語れると言うことです。いじめのことも分かる、障害福祉も、性も・・・・

そして聞いた話かもしれないけど、生かされた命として、東北と繋がり、
ヒロシマ・ナガサキともつながった。まるで必然だったかのように
向き合うことになった。

原爆のことなど実体験でなくとも、ほんとなら出会わなかったかもしれない人と
出会い、話しを聞いた。
8月6日は広島、9日は長崎に原爆が落ちたのね、と
知識としては知っていても、実際にその地を訪れると、福岡にいては知りえなかった
話がいっぱいある。
その日にその地を訪れ、話しを聞こうとしなければ、
そして聞いた話を福岡に帰って伝えようとしなければ、
知らないままで終わってしまうのです。
誰かが伝えなければ…。

だからこそ私は語りたいのです。
生かされた命だからこそ。

職種も肩書きもない、仕事とすら呼べないかもしれません。
それでも生活していかないといけない、生きていかなきゃいけない。
営利目的ではないけど、決して遊びでも趣味でもないのです。

ある意味、私は10年前にこれで生きると覚悟を決めました。
やっていける気合いはあるけど、根拠はありません。
やれると思うかでなく、やらなくきゃ!なのです。

それでほんの少しでもマイノリティや障害、いじめへの理解が進むなら。
私が生きていける事で、ひきこもりの渦中にある方が、自分の好きなもの一つ
何か見つければ何とかなるかもと思ってもらえるかもしれない。

だからこそ私は演奏し、語り続けます。

投げ銭ライブから、出前授業、講演会、ワークショップ、
セミナー、シンポジウム、教職員研修の講師、企業の人権研修、
ありとあらゆる場、あらゆる形態に、よければ私に声かけてください。
高尚な話しはできないかもしれませんが、体験を通した生の、リアルな
声をお届けしたいのです。その声をもとにどういじめへの対策をするか、
それは専門である教職員の出番です。
私はそこまでの橋渡しです。
まず現状を知ってほしいのです。

私は命をかけて語り続けます。それも満面の笑みで。
だからリコーダー・アース・ブリッジは職業というより、まさに「生業」です。

いよいよ明日で10周年。
よければ今後ともご支援ください。
そして、どうぞ声をかけてください。

8月9日、幻の小倉、そして、長崎。
8月10日、リコーダー・アース・ブリッジ10周年。

生きること、命と向き合っている今週です。