2013年になったと思ったらあっという間に1カ月が過ぎてしまいました。
2月。
私事で恐縮ですが、私の誕生月です。
もう30代も半ばにさしかかろうかとしています。
なのにきちっと仕事!ってことができず、こんなにもふわふわしてていいのか、
不安になりますが…
これまでブログに書いているように、営利で演奏してる訳じゃなく、有償無償関係なく
演奏していきたい、だけど、生活と言うリアルなものがかかっているだけに、完全に
無償ボランティアで言うのは難しい、、、みんなそれなりに苦労して生きてるのに、
のほほんとリコーダー吹いて自分の人生を語って同情されたいだけかという非難は
ずっと受けてきた、、、
でもそう言うことじゃない、、、
活動始めた10年前より、気持ちはどんなに前向きでも、身体の自由がきかなくなり、
何度となく発作やけいれんで倒れた。
それでも今の私にできる事はないわけじゃない。
仕事としてやっていけるか自信はないけど、それでも、私には今できることがある。
自分の体験をただ語るだけでなく、子育ての場、教育の場、福祉の場、企業として、
訴えかけたいことがある。伝えることで理解は進み、そして社会が動く。
思いを伝えなければ、理解も始まらない。
そんな思いで活動しています。
自分のペースで、と言うからには活動できてない時は休みなさいと言うことなんだと
割り切ればいいのだけど、一人で勝手に不安を感じ、もがいてしまう。
個人的アワードでも紹介した、Chocolat & Akitoの「扉」と言う曲を
最近よく聞いてます。
TBSラジオ「赤江珠緒&小林悠たまむすび」のテーマ曲に歌詞をつけて発売された曲。
♪閉じた扉は無理にこじ開けず 執着しないで
開かれた扉きっとその奥に 何かある
・・・怒り悩み恨みは ここで手放して
泣きっ面に蜂だって 少しでも前に進もう
・・・知れば知るほどなんで何も言えなくなるんだろう
まるで子供のように無邪気になりたい
・・・誰に笑われてもいい 後悔したくない
泣きっ面に蜂だって 少しでも前に進もう
今の私をすごくあらわしている気がする…。
ただいま、心のお掃除中です。
門司港の雑貨屋さんにまるでお姉さんのような、私にすごく似た、
まったりとした方がいらっしゃって、いっぱいおしゃべりして癒されたり。
年季の入った足踏みミシンがまたすてきなのです。
1週間前、門司港のこれまた別の雑貨屋さんに置いてあった本がむしょうに
気になり、ネットで注文してしまいました。改めてページをめくりたくなり、
絵本の集いの後門司港へ。
初めてお店で紅茶を頂きました。地中海のフルーツを使ったフレーバティー。
こちらのお店の方もまた、ゆったりとした可愛らしい方です。
このもやもや感はどこからやってくるのか。。。
リコーダーの活動で生きていくと覚悟できてるし、生きがいも感じてる。
私にしかできないものをすでに見つけている。
だけど、自分は生きていけないんじゃないかと恐怖が襲う。
焦ってもはじまらないのだけど、もっと頑張れ、もっと頑張れと鞭打たれている
ような怖さ。
こんな時は一人でも多くの人と出会い、空気の入れ替えをするしかない。
年の割に情けない生き方をしているかもしれないけど、
きちんと生きているとは到底言えないかもしれないけど、
それでも今の私をかなぶり捨てることはやっぱり私にはできない。
どんなに甘ったれと言われても、今の自分の生き方を貫くこと、
私はこの生き方に可能性を見い出している。
社会のペースに乗らないといけないと自分を鞭打ってきた。
でも、時にそれが情けない生き方だと指差されることがあったとしても、
悶絶しながら導きだした自分の生き方であることに変わりはない。
楽しいけど、気楽でも、道楽でも決してない…。
なんだか今夜も眠れそうにない。
無縁社会とか、老人漂流社会とかのニュースが身につまされる。
駅で突然倒れて野垂れ死にするんじゃないかとか、、、
また一つ年をとります。到底一人前の成人とは程遠い、
突然ホームに転落しかけたり、目が見えなくなったり、
男性としても女性としても生きられないどっちつかずの生き方だし、
この前もスーパーで小さい子が私を指さし、
「あの人男なの?女なの?」とお母さんに聞いていたけど、
お母さんは終始無言で、その子の手を引っ張り、叱りつけるような顔をその子にして、
私をにらみ、慌てて去って行った。
自分のペースで生きるって結構難しい…。
自分のブログすら袋小路に迷い込みそう。
ただはっきりしてるのは一つだけ。
目の前の一日一日を生ききるだけ。
私がむしょうに気になった本。
それは
「ロマンティックに生きようと決めた理由 」。
音は見るもの、絵は聴くもの
絵は描ける人が描くのではなく、描きたい人が描くものなんだと思うようになった。
あきらめること、飽きることは素晴らしいことだと思っている。
あきらめることで、出会えた大切なこともあるし、
飽きることで、飽きないものがあることも知ることができた。
それでもあきらめきれないことが僕の中にいくつもあって、
それをし続けることこそが教養なのだとも思う。
心にすーっと入っていく。心が消毒されていく感じ?!
じっくり読んでみたくなった。
とりあえず明日は朝が早いので寝なくちゃね。
2月。
私事で恐縮ですが、私の誕生月です。
もう30代も半ばにさしかかろうかとしています。
なのにきちっと仕事!ってことができず、こんなにもふわふわしてていいのか、
不安になりますが…
これまでブログに書いているように、営利で演奏してる訳じゃなく、有償無償関係なく
演奏していきたい、だけど、生活と言うリアルなものがかかっているだけに、完全に
無償ボランティアで言うのは難しい、、、みんなそれなりに苦労して生きてるのに、
のほほんとリコーダー吹いて自分の人生を語って同情されたいだけかという非難は
ずっと受けてきた、、、
でもそう言うことじゃない、、、
活動始めた10年前より、気持ちはどんなに前向きでも、身体の自由がきかなくなり、
何度となく発作やけいれんで倒れた。
それでも今の私にできる事はないわけじゃない。
仕事としてやっていけるか自信はないけど、それでも、私には今できることがある。
自分の体験をただ語るだけでなく、子育ての場、教育の場、福祉の場、企業として、
訴えかけたいことがある。伝えることで理解は進み、そして社会が動く。
思いを伝えなければ、理解も始まらない。
そんな思いで活動しています。
自分のペースで、と言うからには活動できてない時は休みなさいと言うことなんだと
割り切ればいいのだけど、一人で勝手に不安を感じ、もがいてしまう。
個人的アワードでも紹介した、Chocolat & Akitoの「扉」と言う曲を
最近よく聞いてます。
TBSラジオ「赤江珠緒&小林悠たまむすび」のテーマ曲に歌詞をつけて発売された曲。
♪閉じた扉は無理にこじ開けず 執着しないで
開かれた扉きっとその奥に 何かある
・・・怒り悩み恨みは ここで手放して
泣きっ面に蜂だって 少しでも前に進もう
・・・知れば知るほどなんで何も言えなくなるんだろう
まるで子供のように無邪気になりたい
・・・誰に笑われてもいい 後悔したくない
泣きっ面に蜂だって 少しでも前に進もう
今の私をすごくあらわしている気がする…。
ただいま、心のお掃除中です。
門司港の雑貨屋さんにまるでお姉さんのような、私にすごく似た、
まったりとした方がいらっしゃって、いっぱいおしゃべりして癒されたり。
年季の入った足踏みミシンがまたすてきなのです。
1週間前、門司港のこれまた別の雑貨屋さんに置いてあった本がむしょうに
気になり、ネットで注文してしまいました。改めてページをめくりたくなり、
絵本の集いの後門司港へ。
初めてお店で紅茶を頂きました。地中海のフルーツを使ったフレーバティー。
こちらのお店の方もまた、ゆったりとした可愛らしい方です。
このもやもや感はどこからやってくるのか。。。
リコーダーの活動で生きていくと覚悟できてるし、生きがいも感じてる。
私にしかできないものをすでに見つけている。
だけど、自分は生きていけないんじゃないかと恐怖が襲う。
焦ってもはじまらないのだけど、もっと頑張れ、もっと頑張れと鞭打たれている
ような怖さ。
こんな時は一人でも多くの人と出会い、空気の入れ替えをするしかない。
年の割に情けない生き方をしているかもしれないけど、
きちんと生きているとは到底言えないかもしれないけど、
それでも今の私をかなぶり捨てることはやっぱり私にはできない。
どんなに甘ったれと言われても、今の自分の生き方を貫くこと、
私はこの生き方に可能性を見い出している。
社会のペースに乗らないといけないと自分を鞭打ってきた。
でも、時にそれが情けない生き方だと指差されることがあったとしても、
悶絶しながら導きだした自分の生き方であることに変わりはない。
楽しいけど、気楽でも、道楽でも決してない…。
なんだか今夜も眠れそうにない。
無縁社会とか、老人漂流社会とかのニュースが身につまされる。
駅で突然倒れて野垂れ死にするんじゃないかとか、、、
また一つ年をとります。到底一人前の成人とは程遠い、
突然ホームに転落しかけたり、目が見えなくなったり、
男性としても女性としても生きられないどっちつかずの生き方だし、
この前もスーパーで小さい子が私を指さし、
「あの人男なの?女なの?」とお母さんに聞いていたけど、
お母さんは終始無言で、その子の手を引っ張り、叱りつけるような顔をその子にして、
私をにらみ、慌てて去って行った。
自分のペースで生きるって結構難しい…。
自分のブログすら袋小路に迷い込みそう。
ただはっきりしてるのは一つだけ。
目の前の一日一日を生ききるだけ。
私がむしょうに気になった本。
それは
「ロマンティックに生きようと決めた理由 」。
音は見るもの、絵は聴くもの
絵は描ける人が描くのではなく、描きたい人が描くものなんだと思うようになった。
あきらめること、飽きることは素晴らしいことだと思っている。
あきらめることで、出会えた大切なこともあるし、
飽きることで、飽きないものがあることも知ることができた。
それでもあきらめきれないことが僕の中にいくつもあって、
それをし続けることこそが教養なのだとも思う。
心にすーっと入っていく。心が消毒されていく感じ?!
じっくり読んでみたくなった。
とりあえず明日は朝が早いので寝なくちゃね。