土曜日、今年初めてのパニック発作が出て、ようやく落ち着いてきましたが、
私のパニック発作のちょっと厄介なのが、その後の精神的ダメージがものすごいことです。
身体的なもののあと、次の日などにどかーんと精神的にやられます。
徐々に立ち直るしかありません。

私のしていることは無意味なのかもしれないし、単なる逃げなのかもしれない。
だけど、昨日書いたように、大したとりえもなく、仕事にも失敗した私は、
いや、こうなれば、誤解を恐れず言えば、私の生き方そのものを「売り」にしてみよう。
決して嬉しい経験ではないけれど、なかなか経験できない事を経験し、
私でしか伝えられないこと、私でしかできないことがきっとあるはず。
そう思って、活動を立ち上げて10年。

今年は真摯にこの10年と向き合い、活動の原点に立ち返ってみたいと思うのです。

もしかしたら10年と言う時間だけが過ぎていったのかもしれないけど、
この10年で私が学んだこと、得たことはなんだったのか。

パニック発作や体の自由の利かなさや突きつけられた性別の問題は
10年前よりもひどいかもしれないけど、それでも10年前は家族以外と話す人さえ
いないようなありさまでしたから、この10年で多くの人に出会わせていただきました。
何よりの財産です。


正直、リコーダーの活動で生きていけると断言できるほど安定してはいません。
そう言う意味では生きていく上でのセーフティネットはまだまだぐらぐらしていて、
その不安は尽きませんが、それでもこれで私は生きていきたい、という『生きがい』を
見つけたことに変わりはありません。
ぐらつくことのない柱、背骨が私の中に入りました。

もしかしたら、負け犬の遠吠えかもしれない。
愚痴ばかりこぼして、泣いてもらいたいだけだろが、と言う批判も受けました。
どれだけ自分をかわいそうと思ってもらいたいのかとも言われました。

昨日書いたようにそう言うことではありません。

自分の抱えている身体的な面、精神的な面、性別の面から、できないことが
山ほどあります。その中にはできて当たり前のこともあるでしょう。
沢山の挫折を経験してけれど、だからといって、ぼけーっと生きてきたわけでもない。
できないことだらけの私にもできることはあるでしょう、、、と行きついた先が、
自分の生きざまを正面からぶつけてみよう。
ということでした。
その中で多くの方と出会いました。

わが子がもう10年以上もひきこもっているという親御さん
就学前にお子さんを亡くされたお母さん
障害のあるお子さんを抱え、生きることに絶望されていたお母さん

あなたの話しと演奏を聴けてよかった。もう少し頑張って生きてみます、と
泣きながら話して下さったお母さん。私も一緒にわーわー泣きました。

こんな私でも誰かが生きる希望と思って下さる。

私は、傍目には分からないし、甘えだという人もいるけど、
まぎれもなく、生かされた命。
まぎれもなく、本当はとうに死んでいた命。
生きていることの方が不思議でしょうがないほどに、助からなかったはずの命。
そのうえ、そんな奇跡的に生かされた命を自分から捨てようとした自分。

私がリコーダー演奏と共に生きざまを語るのは、
生きていることへの感謝、皆さんへの感謝でもあり、恩返しでもあり、
誰かの希望であり、障害やマイノリティへの理解のためでもあり、
だけど、もう一つあるのは、
自分自身が生きている証を確認するため、でもあるのです。

今はいじめにも遭っていなければ、ひきこもりでもありません。
人はそれを「過去のこと」と言います。
だけど、新聞記事にもなったように「いじめ後遺症」の問題はその人の一生
つきまといます。
ふとした瞬間に、あっという間に「死んでしまいたい」に転がり落ちそうになること
だってあるのです。
私にとってそれはもう過ぎ去ったものではなく、ふとしたときに横を見ると、
暗黒面が忍び寄っている、そんな日々なのです。

ただあの時と違うのは、生きたい!と懸命に暗黒面の呼びかけにあらがう自分がいる
ということです。格闘です。
そして思うのです。
あ、私は生きたいと思っているんだ、と。

何もできない自分を嘆いていては、また暗黒面に引きずられるかもしれません。
いや、私は生きたいのだ。
私が生きていることで沢山の人に迷惑をかけている、厄介な人間かもしれないけど、
それでも私は生きたいと思っているのだ、と。

授業や講演と言うと、偉そうに何を言うんだと言われるかもしれないけど、
人に語ることで私は懸命に自分に言い聞かせています。
生きなきゃ。生きなきゃよ、と。

だからこそ私は、何も生み出せないかもしれないけど、
自立しているかは皆目わからないけど、
どんなに逃げだとか甘えだとか同情を買いたいだけだと言われても、
リコーダーの音色と共に生きざまを伝えることが、
私にできるすべて、そして、私でしかできないこと、私だからできること。
そう思っています。

例えば、自殺のニュースを聞いて、自殺するなんてもっと命を大事にしろよ!
と言うのは簡単かもしれません。
だけど、その中にある背景、心の闇に目が向けられなければ、
その一言でともすれば片付けられてしまう。
だからと言って私が語ったことで無力に等しいですが、それでも、
死にたいと思う気持ちってどういうことなのか、伝えることができる。

性別の問題も、今振り返れば、学生の時から今に至るまで思い当たる
出来事がいろいろありました。

体育の時間の着替えが苦痛だったこと、誰にも見られないで着替えたかったこと。

温泉など公衆浴場で裸になることが苦痛だったこと。

まだ普通に何の疑問も持たずに男湯に入っていたのに、
自分が裸であることに恥ずかしさと苦痛を覚えてくつろぐはずの温泉で
ストレスを感じていたこと。




体罰のニュースを聞いて、この前書いたように、中学の先生から
さらしものにされたことがよみがえってきました。

こういうケースもあるのよ、とか、私の経験から福祉の場、教育の場で
伝えたいことがあります。

とりあえず一歩踏み出してみよう。
全てはそこから始まりました。

ルーツをたどりながら、点を線で結びながら、性別や障害と向き合うことで
学んだこと、気付いたこと、伝えたいことを語って生きたいと思っています。

そして何より、数々の挫折の中でみつけた私の柱であり、背骨。
だからこそより輝ける、光を放つことができる。
できないことは山ほどあるけれど、リコーダー吹いている時、語っている時、
こんなにもまぶしい顔をしているのね、とそう思っていただけるように、
命の光を輝かせ続けたい。

一人の人がどんなに大声で叫んでも、雑踏にかき消されてしまう。
それではあまりに悲しすぎる。でも叫び続ければ、誰かの耳に届くかもしれない。
雑踏にいる大勢の中の一人でもいい、二人でもいい、
誰かの耳に届けば、それが何かにつながっていくかもしれない。

だからこそ私は、リコーダーと共に語り続けたいのです。


「語る」活動をしていると、命について思い、命と向き合いたいという気持ちが強くなり、
それがなにかを引き寄せるのでしょうか。
様々な出会いがありました。
その中の一つ、まもなく1月17日がやってきます。
二年前、やっと神戸を訪れることができました。
経験は違っていても、「命と向き合う」ことで繋がっている、寄り添える、そう思って、
神戸を訪れました。

東日本大震災の時、阪神大震災と比べると~という表現が見受けられました。
たしかに単純に見れば犠牲者の数は上回っているかもしれません。
しかし、それでネット上では『阪神クラスで「大震災」なんて大げさだ」と言う声も
あったようです。

地震学的に、学術的に比較することはあるかもしれないけど、
障害も、被害も、苦難も、悩みも、比較するものではありません。

どんなに年月がたっても、忘れてはいけないと私は思います。

神戸の街は驚くほどにきれいになりました。
あと二年で神戸の街もあの1・17から「成人」を迎えます。
だけど、愛する人を亡くした悲しみは消えませんし、まだ復興したと言いきれない問題も
あると思います。

東日本にも目を向けながら、今こそ1.17の神戸に改めて目を向けたいと思います。

まもなくあの日から18年です。
高校生の大半が震災以降に産まれたことになります。
あと二年もすると、未成年の人は皆、震災以降に生まれたことになります。

あらためて神戸のことを思いたいと思います。
そしてその1.17の思いを3.11につなげていけたらと思います。

まもなく1月17日が今年もやってきます。
私は神戸の慰霊碑にかかれていたあの言葉を忘れられませんし、
子供たちや多くの方に伝えたいと思います。

震災が奪ったもの…

命、仕事、だんらん、街並み、思い出

震災が残してくれたもの…

やさしさ、思いやり、絆、仲間