今回は沈没してる期間が長いです・・・。
早く浮上したい・・・。

活動10年目の大きな節目を迎えたものの、何せ一人での活動ですし、
肩書きもなければ、知名度もない。

リコーダーの演奏活動が生業で、生活と直結しているので、
活動できないとなかなか大変なのですが、
こればかりは声かけてもらってなんぼで・・・。


リコーダー、しかも、一人ということで完全に敬遠されちゃってる
このごろです。


とりあえず生活のために、と仕事に就こうと思ったけど、
体が思うように動かない、パニック発作、そしてジェンダーも抱え、
就くことすらままならず。

できないことを嘆くより、今、できることをするしかない。

それが私のある意味ポリシーになりました。

できないことより今できることを。

確かにピアノや弦楽、吹奏楽、バンドのような見栄えのいいものではありません。
一人の演奏のどこが面白いのかと言われればおしまいです。

教育、福祉のエキスパートでもないくせに、専門職でもないくせに、
子育てしたこともないくせに、と言われればおしまいです。


それでも私にできること。

そのときそのときでコラボはできると思うけど、メンバーを編成しようにも、
私が発作を持っていることもあって、難しいのが現状です。
それこそ、寄り添える相方と出会えればそれが一番いいことなのですが・・・。
一人でやれることをやるしかないのです。


正直、私がネイチャーゲームの資格を取って環境教育に本腰を入れたのは、
今みたいにエコ、エコと叫ばれるずいぶん前のことです。
食育もジェンダーもインターネットの活用も、今ほど盛んに活動される前から
私なりに引き出しを作ってきました。
そのときは理解がなかなか得られませんでした。
ゲームで環境教育なんて・・・と半分笑いものでした。
いつの間にか取り組む人が多くなり、いまやかえって何のステータスも
ないくせにとあしらわれてしまっています。
先駆けて取り組んでもだめ、今は取り組む人が多くなって却って蹴られるという
現状です。


リコーダーの第一人者も東京まで出ればたくさんいる。
福祉や教育のエキスパートと呼ばれ講演活動をこなしている人も
たくさんいる。

ならば、私にできることは演奏しながら語ること。

性を例にとっても、男女共同参画や性教育に取り組んでいる人は多い。
でも、それは男性、女性と言うものがれっきとして存在していることが前提で、
女性の地位向上であったり、父親の子育て参画であったりする。

でも、私のように、性別意識が持てない、男性でもない女性でもない、
そもそも性と言うものがわからない。という視点で性が語られることは
なかなかない。
そこは私が経験から語れることがあると思う。
男性、女性に疑問を持たない人が多いからこそ、性をのけて、本当の自分らしい
を考えてみようと言うワークショップに意味がある。

これまで書いてきたように、子育て経験もないくせに、それなら結婚して、
子供をもうけて、自分で子育て経験してから語れ!と批判もよく浴びました。

だけど、こまで書いてきたように、ジェンダーの壁にぶち当たり、
世間一般、誰もが当たり前のようにしている結婚が私にはできないのです。

女性と出会い、女性として結ばれる。だけど同性愛ではない。
いうなれば友情結婚。
人間誰しも持っているといわれる性的欲求がもてない私。
それこそ、コウノトリが空から運んでくれるのなら話は別だけど、
そんなおとぎ話のようなことが私の抱えている現実なのです。
性別自体に?がついている以上、子供を持つことができる体か、
云々以前の話になってしまいます。
誤解を恐れず言えば、これも一種の「不妊」なのです。
多くのセクシュアルマイノリティがこれに悩んでいます。

性別がわからない。だから世間一般のような結婚ができない。
だけど人並みに家族をもちたいと思っている。
有性生殖できない自分は欠陥なんじゃないか。
性別わからないのに家族がほしいなんてわがままで自分は
だめな人間なんじゃないか、
たとえ、性がわからない、性的欲求がない人でも、人並みに
孤独は感じるし、誰かと寄り添いたい気持ちも同じ。
だけど、男性にも女性にもなれないといったとたんに
人間ではないみたいに揶揄される。

でもあえていいことをあげてみたいと思います。
世の中には男性、女性があって当たり前と言う、この当たり前がもてない
わけですから、裏を返せば、男らしくとか女らしくと言う先入観もありません。
そういうフィルターをかけずにその人らしさを見つめることができます。
それに私含めそういう人自身が周りから性別のフィルターをかけられ、
フィルターの前に本当の自分を出せず苦しんでいるのです。

だからこそ私なりに子育てを、福祉を、ジェンダーを語りたいのです。

だけど、人は見た目で判断するので、子育てサークルなどに顔を出せないのが
悲しい現実です。

リコーダーの音色は胎児からご年配の方まで楽しんでいただけます。
伝えたいことは大人の方はもちろん、思春期の子達にもこういった視点の
性を伝えたい。

子供たちに自身の体験を語るのも、ただ私の昔を知ってほしい
だけではないのです。

命があることがどれほど尊いことなのか、
いじめがどれほど苦しいことなのか、
大人になった今でも苦しんでいること、

みんなで考える時間を作りたい。

そのためにワークショップも展開しています。

私のしていることはラジオに似たようなものです。

耳を閉ざす人はスイッチを切るし、チューニングを変えるでしょう。
チューニングをあわせなければ聞いてもらえません。
一人でも聞いてる方がいることを信じてしゃべり続ける。

スピタルマーケットとか、グランマーケットとか、
ムーブフェスタとか、ポポラートとか、メルカートとか、
このところ北九州はイベント目白押し。
リコーダーで参加したいけど、華がないとか何とかでうまくいきません。
しかもこれが仕事、生活に直結しているので出展料を払う余裕すら
ないのが現状で、にぎわう町を横目にどこかむなしい・・・。
それに、がんばってるみんなの前に、がんばってない私が顔出すだけで
お邪魔虫かもしれないと思うと、怖くて・・・。

声さえかけていただければTPOといません。
路上ライブから、バーなどでのライブ、フォーク酒場でのライブも
敢行したことがあります。
子育てサークルなどで、幼保育園から小中高大学まで、
演奏から出前授業まで、教員研修の講師も勤めさせていただきました。
経験から語れることとして伝えられることがたくさんあります。
市の環境イベントからも音楽とエコは無関係と、蹴られたことがありますが、
環境教育プログラムも用意しています。
ネイチャーゲームリーダー(指導員)、自然案内、
私の持っている唯一の資格です。

特にムーブフェスタは男女共同参画センターですから、
セクシュアルマイノリティを身近に感じてもらうワークショップとか、
展開してみたかった。だけど、CDかけるのはいいけどリコーダーはだめと言う
ちょっと首を傾げたくなる理由で断られ・・・。

と、自分に言い聞かせてはいるけど、
やっぱり私にできることは何もないのかな・・・。
もし、私にできることはないのだとしたら、演奏と語りを軸に立ち上げ、
10年活動してきたけど、無意味なのであれば、
それはもう、私が生きている価値はないということになってしまいます。

リコーダー・アース・ブリッジの看板を下ろすときは、
店じまいのときではありません。
死ぬときです。

私の活動に意味がないのだとしたら、それはもう、私がこの世に存在する価値がない、
死ぬしかありません。

往生際が悪いかもしれないけど、もうちょっと生きていたい。

教えるなんてそんなおこがましいものではなく、
リコーダー演奏とともにメッセージを伝えながら、私自身が生きている意味を確認する。
みんなで生きているよねと言うことを確認しあう。

私にできることがきっとあると信じたい。

そのためなら私は日本全国を駆け回りたい。
すでに日本の3分の1を駆け回りました。

私にできることがきっとあると信じたい。

独りよがりと言われたとしても、
普通にご飯を食べることすらいっぱいいっぱいな私だからこそ、
生きている証を刻むことは私にできる最大限のできること。

こういう生き方もあるんだよ!と見せることは、
ただ同情引きたいだけでは決してないと私は信じてる。

派手なパフォーマンスはできないけど。
注目も浴びないけど。

演奏と語り時にワークショップと簡単に一言で言うけど、実は
TPOにあわせてさまざまなプログラムを用意しています。
ぜひ声をかけてください。
よろしくお願いします。


私はもう生きる価値がないと最後通告を突きつけられるのは
もうちょっと待って・・・。悪あがきだけど、私は生きていきたい。
孤独死のニュースを聞くたびにもしかして私もと背筋が凍るけど、
私は生きたい。

どんなに馬鹿にされても、門前払いを食らっても、聖域に踏み込むなと
蹴られても、

私がリコーダーを奏でなくなり、口を閉ざすときは私が命を閉じるとき・・・。

私は今、生きたい。