今日はすぱっと髪を切りに行きました。
もう、ぼさぼさでしたからね。

と言っても、
そう言えば、私、ずっと帽子かぶってますもんね。

失礼も承知の上でいつも帽子をかぶらせていただいています。

私は去年、改名した時点で、女性として生きる道を選択しました。
その中で髪は私にとって大変なコンプレックスであり、
それで申し訳ないですが、帽子をかぶっています。
すみません。

髪でおしゃれを楽しむように、私は帽子でおしゃれを楽しんでいます。

今日、着物着て花見に行こうと思ったけど、夕方、ものすごい雷と雨で、
明日に延ばしてよかったと思いました。



さて、私が抱える障害のことについて。
最近、ガングリオンの痛みはちょっと和らいできました。
長く歩くとやっぱり痛みますけどね。
皮肉なことに、パニック発作にも杖が役立ち、もはや杖は私のガイドヘルパー
のような役割をしてくれているので、どうやら東京・東北も杖とともにに
なりそうです。


発達障害ということで言えば、私はアスペルガー、ADHD、自閉症、
それぞれに首を突っ込み、また、それぞれに当てはまらないところもあります。

知的障害

なんてちょっと大仰なラベルが付いている私ですが、
幼少期の大病、脳が死んでいるような状態がずっと続いてたわけですし、
出来ないことだらけの私だけどぼちぼち行こうと思っています。

自分勝手、努力不足、親不孝、怠慢・・・

いろいろ非難されている私。これらを認めざるを得ない私。
仕事しようと努力もずいぶんしました。
でも、私の抱える障害と向き合うことは想像以上に大きな大きな壁でした。

ただリコーダー吹いているだけで、何にも出来てない。
それは私が一番分かっているし、一番悩んでいることです。
演奏しながら語ったところで、何か成し遂げてるとは到底言えないでしょう。
だけど、これが私に今できるすべてなんです。
情けないと思われるかもしれませんが、
演奏とともに語ると言うことが、命を振り絞って出来る私のすべて。


そしてまた、性別という壁と真正面から向き合うことにしました。
ラジオだと声だけなのでどうしても女性としてくくってもらえないですが、

改めて言わせて下さい。
私は去年改名した時点で、私は女性として生きる覚悟を決めました。

一番社会に受け入れられやすいのは、性別適合手術を受けることです。
手術を受ければ、戸籍の性別も変更できます。
社会から望みの性で認知してもらえます。

ただ、私は手術にはやはり踏み切れません。
手術には痛みを伴います。
ホルモン投与などをしたところで完全な望みの性になれるわけでもありません。
おまけに私は、点頭てんかんという大病を経験し、障害を抱えている身に、
性別適合手術というのはかなり大きなリスクです。

ただ、私が男性としてくくられるくらいなら手術でもしてきっぱり男性を
否定したい。そう言う思いもあります。

何度かブログにも書いてきたけど改めて言わせて下さい。
この思いのすべてをどうしても伝えたくて、三冊目の本に綴りました。
書店流通した二冊目の本の時に書ければよかったけどあのときは
未だ言えなかった。
三冊目はコスト面で自費出版できず、思いっきり手作りです。
それだけにちょっと設定価格も高めです。
だけど、なかなか口に出すには身を切るほど苦しい、私の思いのすべてを
綴ったので、一人でも多くの人に読んで頂きたいけど、
冷やかしでは読んでもらいたくない。

わがままだと言われるのは覚悟しています。
それでも私は女性として生きる。

それは趣味の問題ではないから。
先天性の性同一性障害とも違うから。

点頭てんかんによる後遺障害でホルモンバランスなどが崩れ、
成熟した体になれなかった。

私の身体はある意味、男性と女性とが混在しているのです。
だからどうなってるのと聞かれても、私自身が私の身体の事を
分かんないのです。

本当は温泉でのんびりしたい。
大の温泉好き。

9月には広島授業づくり研究会の合宿がある。
私自身、楽しみにしているイベント。
だけど、みんなで合宿となるとお風呂もむげに拒否できない。
汗流してさっぱりしたいけど、どうしたらいいんだろう…。

私の意識の中では「女性」の部分が大きいし、
そもそも私の中の「男性」は抹殺したし、日ごろ、私は自分のことを
男性と思ってないのです。
だけど、身体のパーツ的には…。
お風呂で服を全部脱いだ時に「仮の姿」を突きつけられる…。
だけど、女性として生きる道を選んだ私は男湯には入れない。
周囲の目は何もないかもしれないけど、私は顔から火が出るほど
恥ずかしく、怖く、とうていくつろげない。
だけど適合手術を受けてない私は女湯にも入れない。
はぁ・・・。


もう私のなかで「性別」というものがさっぱり分からなくなりました。
世の中に優しい男性もいると分かっていながらも、男性を前にすると、
過呼吸起こすほど拒絶反応を起こす…。
ありのままの私でいられるのは女性相手であり、
ある意味私にとって男性は「異性」、というより、
命の覚悟をして向き合わないといけない、最大限の警戒で臨む
相手なのです。
とうてい、「同性」なんて思えない…。
そんな私ですから、「男性」と「女性」どちらかを選べと究極の選択を
迫られたら、私は「女性」を選ぶ。
だから友達になれるのも「女性」。

学生のころから父親に女の子と友達になったら色々誤解を招くから、
男の友達を作れと言われたが、これは拷問以外何物でもなかった。

いまや、男性トイレや男湯に入ろうとするだけで発作おこす始末。

おまけに厄介なことに、結婚に憧れている私。
ま、結婚といっても、単純にパートナーと寄り添って生きて生きたい。

一般の結婚からも生物学的にも外れている、
なんだかすごく私が倫理を犯しているような気がして、自己嫌悪になる。

町を歩いているカップルや家族を見るとすごく苦しくなる私。

わが子がいたらとってもかわいいんだろうなぁ…とか、
寄り添う人がいてカップルっていいなぁ…とか、
思うけど、私には許されない。

人として人を好きになるけど、生物学的にはずれた欠陥な私に、
パートナーなんて現れるのだろうか…。

私は人を好きになっちゃいけない人間なのか、とか思ってたら、
それを通り越して、私は存在しちゃいけない人間なんだと思ってしまうの。

だって多くの人は、ひかれあって、結婚し、子供ができるでしょ。
彼氏彼女ができたと行ったら喜び、結婚を祝い、妊娠・出産を祝う。
こうして命は継がれる。
私もそうやって生を受けた。
それは分かっているのに、わがことになると、それを受け止められない。

人は好きになるのに、
さびしくてぎゅっと手を握ってもらいたかったり、
ハグしてもらいたい日もある。
だけど、性的なことを絡めることができない。

私は女性、といったところで多くの女性は私に線を引くかもしれない。
かといって私は男性に対して拒絶反応を起こしている。

私は男性にも女性にもなれず、男性とも女性とも友達すらできない。

詳しくは本に思いっきりすべて書いたけど、
性別の意識がないなんて神様でもあるまいし、そんなばかなことが・・・
とさんざん言われるけど、本当に本当なんです。
自分が欠陥人間に思えるほど。

この前書いたように私が男性と識別される事は、
死ね!とののしられるのと同じなんです。

今日こそはすっきりまとめて書こうと思ったけど、結局脈絡なく
ごめんなさい。

それでも私は私。リコーダー好き、絵本好き、
なにより、人が好き。
それでも私は人と出会いたい。
空青いね、お花きれいだねっておしゃべりしたい。
嬉しい事を一緒に喜んで、
泣きたい時、一緒に泣きたい。
ただそれだけなの。
願い事をかなえてくれると言われたら、ただそれだけをお願いしたい。
今日もつまらないことを長々書いてごめんね。
すっきり書いてすっきりして眠るつもりだったけど、
ごめんね。心が苦しくなったので、ちょっとだけ泣いて、眠ります。
本当にごめんなさい。