昨日は絵本選びに図書館へ。
そして、しんみりが続いていたので、行きつけのカフェのまったり。4人が座れるだけの小さなカフェ。でも入ったとたんとってもかわいらしいカフェ。ココナツカフェオレを頂きました。一人で切り盛りされている、ほんわかしたパティシエさんとまったりおしゃべり。大型連休の喧騒から離れた静かな時間。その方も5年前くらいに熊野古道に行かれた事があるそうで、話が盛り上がりました。
私は気分が沈んでいる時、お世話になっている人などに手紙を書く事があります。そのパティシエさんに
「いつもおいしく、ゆったりしたひとときをありがとう」。
魚町のアーケードは怖かったけど、これまた行きつけの楽器屋さんへ。ちょっとおしゃべり。私よりも一回りも下なんですが、ひたむきで、へこむ事があっても前向きで、パニックになったらお店でゆっくり…などと声をかけてくれます。元気をもらえました。感謝!
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私は強いのか、弱いのか分からない。不器用でもグダグダでも、とにかく一生懸命。活動を立ち上げて6年。立ち上げと言うと聞こえがいいけど、とにかく引きこもりから脱したかった。これからも一人で活動をがんばっていける!という根拠のない自信だけはなぜかある。そういう意味では強いのかもしれない。
教育界のエリートがズラリ並ぶような学校の研修にだってもぐりこみ、いいと思ったら出かけ、自分の生き方はこれでいいのかと思いながらも、これが私の生き方!と胸を張る。自慢でも何でもなく・・・。
だけど、寂しいやら悲しいやら情けないやらで潰れてしまいそうになる。例のエスカレーターパニックなんてあった日には情けなくて消えたくなる。実は最近、一人でがんばっていける!と思う一方で、一人の限界を感じている。精神的にも体力的にも。矛盾しているみたいだけどね。でも、それを人に話したところで、
「よくパニックになるんだったら学習しろ」
「自分の事は自分がわかっているんだから外に出るな」
「30なんて体力的にもこれからなのに情けない。限界とは何だ」
これまでこんな言葉しか返って来なかった。歳の問題でもないし、学習して分析してパニックが治るわけではないんだけどね・・・。
何度も書いて来たようにパートナーができたら素敵だけど、支え合える友人でもいい。映画行かない?などと気軽に声をかけられる人がいるだけでもうれしいと思う。人との付き合いが怖いものなしの一方で怖い。思えばいじめられている時からそうだった。親友だからね!と言ってくれてたのに突然手のひらを返される。まるでそれは私の空耳だと・・・。何度も経験してきた。その度に、親友ってそんなに薄っぺらなもの?って・・・。
自分の中で納められずに、つい誰かに話したくなるのが私のいいところでもあり、悪いところ。でも、自分の足でしっかり立って生きていける自信はなぜかある。人生を振り返るにはまだ30の若輩だけど、何度も地獄だと思った。だからある意味怖いものはない。たとえ今、死んだとしても、悔いはない。やってみたいことはあるから心残りが無いと言えばウソだけど、これまでの生き方を振り返った時、いつ死が訪れても、悔いはない。
ま、開き直りに近いんだけど、そんな私を強いと言ってくれる人もいる。微々たる私にはもったいないくらいありがたい。だけど、ちょっと限界を感じてます。パートナーまで行かなくても、素敵な親友にであえたらいいなあ。のんびりおしゃべりしたり、感動を共有したり、活動でなにかコラボできたりしたら幸せ。だから、今、出会えている人々を大切に、これからも人に出会っていきたい。暑苦しく思うかもしれないけど、一つ一つの出会いに感動したい。だから、こんな私ですが、これからも宜しくお願いします。
ちなみに今、海峡ドラマシップで「なつかしのリカちゃん」展があっているみたい。妹とよく遊んだなあ。気になっているんだけど一人で行くにはちょっとさびしいかも・・・。