ご心配おかけしました。
暖かいメッセージを寄せてくださった皆様、ありがとうございます。
助成金審査も無事終わり、昨日はまた一日ずっと横になっていました。
熱も一日ずっと36度台でしたから、今日ようやく起き上がることが
できました。

39度、40度と言う熱ではありませんでしたが、それでも38度台が
2,3日続いて、まさかの気管支炎になりかけと言うことで、もう一日
病院へ行くのが遅かったら肺炎か何かになっていたかもしれません。
今、振り返ればちょうど1週間前の金曜日、小学校の公開授業とサポセン
に行った日ですが、朝起きた時から喉が痛かったですから、その時から
サインは出ていたんですね。

いつもは「こりゃ大変、風邪やね~」と言うお医者さんが、
「こりゃひどいよ。大至急、検査!」と言われたのでいつもと違うなと
思いました。

採血だけでなく、レントゲンを撮られ、肩に注射まで打たれました。
これがまた痛いこと。

気管支炎一歩手前。
思えば六年前、風邪をこじらせて3週間入院した時、病院の先生から
今後覚悟するように言われました。
というのも、この時ももうちょっと遅かったら大変という事態でした。
喉がかなり痛くて、この時は40度の熱が一日下がらなかったので、
病院へ行くと、喉に膿がたまっていてもう一日病院に来るのが遅かった
ら、喉を切り開いて手術して膿を取らないといけないほど、もう食道を
少しふさいでいるからそりゃきついはずだ、と。

かなり悪化した扁桃炎でした。
これだけ悪化させると慢性化して今後抵抗力が落ちるよ、と。
確かにそれ以降、よく風邪でダウンするようになりました。
ノロとか、新型インフルとかにはかかってないですし、家族がインフル
になってもうつらないそこのところは抵抗力あるみたいですけど、
風邪引くとこじれるみたいです。

前は3年間全く風邪引かないと言う時もあった私なので、これは年のせい
なのかな、やっぱり30代ってもう若くないのかな、選手は引退を考える
年だしね・・・なんて思ってました。


助成金の審査の方ですが、日ごろの訓練がこう言う時に発揮されるんです
ねえ。
こんな体調でしたから、事前に準備もできずに会場に行き、プレゼンの
10分が与えられました。でも、ラジオでしゃべっているからでしょうか、
時間を見ながら、まだあと3分なるから、あれを話そうかなと、余裕が
ありました。結果がどうなるか、私の活動に意味があるのか、それが
伝わったかは分かりませんが、全部出し切った、あれを言えばよかったと
いう後悔が無かったのですっきりしました。時間も8分。2分残して
ばっちりでした。

逃げと言われようと、30代のいい大人がと言われようと、苦しいのは
君だけじゃないのにと言われようと、5歳までしか生きられなかった命を
つないでいるのは紛れもない事実で、それは決して過去の話ではなく、
その分のリスクを背負っていて、自分の障害ともこれはうまく付き合わない
といけません。

体内バランスも悪いみたいで。
ややこしいことに身体的にはどこからどう見ても、身体的構造も男性
なのですが、大病の後遺症でホルモンバランスが崩れて、体質は
女性の体質なのです。家族に相談したら、女性の為の薬だけど「命の母」
を飲むといいんじゃないかと言われるほどです…。


のほほんとしゃべって演奏しているだけのように見えるかもしれませんが、
数字に表れるような眼に見える実績のかつどうではないですが、「語る」
ということが今の時代にどれだけ必要とされているか…

子育て経験も、教職経験もありませんが、子育て中のお母さんたち、
学校の先生たちに伝えたいこと、いっぱいあります。
一人でも多くの人に、当たり前ではなく、必死に実は生きている私の生き
ざまをありのままぶつけて、やさしさってなんだろう、みんなで考える
時間を作り出したいのです。

できない事だらけの私にできること。
それは、今、私が生きている証を公衆の面前で刻み、残していくこと。

人に言われなくても自分が一番分かっています。
思えば、知らず知らずのうちに私は自分を追い込んでいたのかも
しれません。目に見えない何かに追いかけられている、「君は結局
今の社会に乗ろうとしない、努力しない人間、落伍者だ」と、活動を
立ち上げたばかりの時、出向いた小学校の校長先生などから浴びた言葉
の数々が強迫観念となって私に襲いかかるのです。
私には銃を突きつけられているような思いさえするのです。
夜中にうなされることもよくあります。

だから一歩ずつ。
こんな私ですが、ようやく今日から起き上がれるようになったので、
またよろしくお願いします。
今日が最終日で何とか間に合うかな?一年待ちわびたエコテクノを
ちょっと覗いてきます。