きのう、海青小→センガク→バナナカレー→そして小倉に戻り
ましたが、せっかくなので久しぶりに一生もんSHOP緑々に寄り
ました。ちょっと顔を出すだけでもいいんです。近くに来たから
ちょっと寄ってみようかな・・・そんなノリで。
喉からからだったのでアイスコーヒーを頂きながら気がついたら
一時間くらいおしゃべりしていました。
私、やっぱりちょこちょこブログに書いているように、
正直怖いんです。
周りが急ぐ姿が見えるから、でも急ぐことができない自分。
今は「急がなくて自分のペースでいいんだよ」と声をかけて
くださる方がいろいろといらっしゃるので、気持ちがずいぶん楽に
なりましたが、いじめ、引きこもりとどん底だったあの頃、
どれだけ落伍者のレッテルを貼られたことか…どん底だったという、
自殺未遂したという出来事としては過去のことだけど、今でも
フラッシュバックにうなされ、眠れぬ夜を過ごすことがあります。
それはまるで幻聴かと思うくらいです。
とにかくもがきましたし、今ももがいています。
何度も書いているように私にできるのは演奏としゃべることです。
そうしたところで人の心が劇的に変わるわけでも、いじめや
引きこもりをなくせるわけでもありません。
どんな成果を上げてきたのか?
活動を紹介した時によくたずねられますが、ぱっと見せ
られるような成果はありません。まさに見える人には見えて、見え
ない人には見えないものです。
しかも、活動(仕事)のプレゼン=自分の生き方のプレゼンです。
丸裸みたいなものです。だから客観的にプレゼンできる会社員を
羨ましく思うこともあります。
でも、緑々さんとお話ししていて、
「会社勤めの人は客観的に伝えられるかもしれないけど、会社の顔で
いなきゃいけないわけだから、自分はこうですとありのままを伝え
られることはなかなかできないから自分を責めなくていいんじゃない
かな」
そう声をかけられました。
行動的になったという意味では引きこもっていたあのときとは違い
ますが、今もある意味、めまぐるしく動き回る社会の中に身を
置いてどんと空いた時間があって、自分のペースを貫いて行かないと
いけないわけです。つい、自分に見えない刃を向けてしまうのです。
仕事とまでは行かないから自立のことも考えるし。
いじめを経験した人はいっぱいいらっしゃるだろうし、素晴らしい
演奏家もたくさんいらっしゃる。子育て関係の所に顔を出せば、
私は子育てしたことがないし、ましてや支援センターや学校などに
行けば福祉、教育、子育てのプロフェッショナルや学識経験者が
たくさんいらっしゃる。
それでもあえて、私が演奏としゃべりで伝えられる事ってなんだろう、
それはたとえそうであっても世界中に1人しかいない私の生き方を
伝えることで、こうして生きている姿を一人一人に音色を通して心に
刻んでいきたいから。決して自分を正当化するわけでも何でもなく、
私は5歳までしか生きられなかったはずで、いじめから自殺未遂まで
これでもかとのしかかってきて、世の中広いからそんな経験をした人
は私だけじゃないことは百も承知だけど、でも、私は苦しくて、
苦しくて、立ちあがって踏み出して活動立ち上げて7年もたって、
あちこち動き回っているからそう見えないかもしれないけど、今も
心の苦しさは続いていて、その苦しみの中でたどり着いたのが今の
社会のペースから外れる事だったのです。
何がやりたいの?何が言いたいの?とも言われますが、これが私の
すべてです。教育も、子育ても、福祉も、世界で起きてる戦争も、
環境問題も私の中では他人事ではなく、「やさしさ」でつながって
いるのです。道端で大声が聞こえただけでも怖いけど、テレビを
付けて遠く離れたどこかの国で銃弾の音を聞くだけで心が押しつぶ
されそうになります。
最近は人のつながりの縁もあり、ヒロシマ・ナガサキの式典に参列
していますが、私は広島の元安川に長く立っている事ができず、長崎
の爆心地公園に長く立っていられませんでした。私はもちろんその頃
は生まれてませんが、まるで焼け野原の姿が見えるようなのです。
叫びが聞こえるかのように私に迫ってくるのです。そして、私が
動いたところで戦争が無くなるわけではないけど、
じっとはしていられないのです。
リコーダー吹いて、しゃべって、
何がやりたいの?何が言いたいの?
そう問われる方にはあえて言えばこれがその答えです。
不器用かもしれないけど、懸命に生きている姿を見てほしい。
そして心に何か届けたい。のほほんとしている私だけど、流れている
時間はゆっくりだけど、実は毎日が命がけです。
もし、もうどうでもいいや!と投げやりになったり、どうしていいか
わからなくて、忙しさのあまりに心が壊れそうになったとき・・・
もし、私の姿を見て、心に何か灯がともるのなら。
だから心が潰れそうになったら私は迷惑な話かもしれないけど、
人に絡んでいきます(笑)
わたしにとってそれはある意味食べ物だから。
なんだかむしょうに心が寂しくなります。
パートナーと呼べるような人に巡り合えるかは分からないけど、
私は寂しがり屋でもいいと思ってます。人とのつながりが私に
とっては命綱になるわけだから。
逃げているんじゃなくて、自分のペースを守っているんだ。
最近よくそう励まされます。ありがとうございます。
なんだかとりとめのない事をごめんなさい。
ここのところすごく苦しくなることが多かったから。
オフシーズン、時間があって自分を見つめる時間ができるのはいい
けど、私の場合は見つめすぎて追い込んでることが多いから気を
つけないとね。それもあって、人に会うようにしています。逆に
お金かかってしまってもなるべく懐と相談しながら出向いていく
ようにしています。それが私の栄養になるから。
またぽつぽつとつまらない事を書くかもしれませんが、こうして
書いていると少し気持ちが軽くなります。
別にはけ口と言うわけではないんですけどね。
明日は大雨が心配ですが、音楽療法の活動をされている方と博多で
待ち合わせです。どんな時間、おしゃべりになりますか、楽しみです。
ましたが、せっかくなので久しぶりに一生もんSHOP緑々に寄り
ました。ちょっと顔を出すだけでもいいんです。近くに来たから
ちょっと寄ってみようかな・・・そんなノリで。
喉からからだったのでアイスコーヒーを頂きながら気がついたら
一時間くらいおしゃべりしていました。
私、やっぱりちょこちょこブログに書いているように、
正直怖いんです。
周りが急ぐ姿が見えるから、でも急ぐことができない自分。
今は「急がなくて自分のペースでいいんだよ」と声をかけて
くださる方がいろいろといらっしゃるので、気持ちがずいぶん楽に
なりましたが、いじめ、引きこもりとどん底だったあの頃、
どれだけ落伍者のレッテルを貼られたことか…どん底だったという、
自殺未遂したという出来事としては過去のことだけど、今でも
フラッシュバックにうなされ、眠れぬ夜を過ごすことがあります。
それはまるで幻聴かと思うくらいです。
とにかくもがきましたし、今ももがいています。
何度も書いているように私にできるのは演奏としゃべることです。
そうしたところで人の心が劇的に変わるわけでも、いじめや
引きこもりをなくせるわけでもありません。
どんな成果を上げてきたのか?
活動を紹介した時によくたずねられますが、ぱっと見せ
られるような成果はありません。まさに見える人には見えて、見え
ない人には見えないものです。
しかも、活動(仕事)のプレゼン=自分の生き方のプレゼンです。
丸裸みたいなものです。だから客観的にプレゼンできる会社員を
羨ましく思うこともあります。
でも、緑々さんとお話ししていて、
「会社勤めの人は客観的に伝えられるかもしれないけど、会社の顔で
いなきゃいけないわけだから、自分はこうですとありのままを伝え
られることはなかなかできないから自分を責めなくていいんじゃない
かな」
そう声をかけられました。
行動的になったという意味では引きこもっていたあのときとは違い
ますが、今もある意味、めまぐるしく動き回る社会の中に身を
置いてどんと空いた時間があって、自分のペースを貫いて行かないと
いけないわけです。つい、自分に見えない刃を向けてしまうのです。
仕事とまでは行かないから自立のことも考えるし。
いじめを経験した人はいっぱいいらっしゃるだろうし、素晴らしい
演奏家もたくさんいらっしゃる。子育て関係の所に顔を出せば、
私は子育てしたことがないし、ましてや支援センターや学校などに
行けば福祉、教育、子育てのプロフェッショナルや学識経験者が
たくさんいらっしゃる。
それでもあえて、私が演奏としゃべりで伝えられる事ってなんだろう、
それはたとえそうであっても世界中に1人しかいない私の生き方を
伝えることで、こうして生きている姿を一人一人に音色を通して心に
刻んでいきたいから。決して自分を正当化するわけでも何でもなく、
私は5歳までしか生きられなかったはずで、いじめから自殺未遂まで
これでもかとのしかかってきて、世の中広いからそんな経験をした人
は私だけじゃないことは百も承知だけど、でも、私は苦しくて、
苦しくて、立ちあがって踏み出して活動立ち上げて7年もたって、
あちこち動き回っているからそう見えないかもしれないけど、今も
心の苦しさは続いていて、その苦しみの中でたどり着いたのが今の
社会のペースから外れる事だったのです。
何がやりたいの?何が言いたいの?とも言われますが、これが私の
すべてです。教育も、子育ても、福祉も、世界で起きてる戦争も、
環境問題も私の中では他人事ではなく、「やさしさ」でつながって
いるのです。道端で大声が聞こえただけでも怖いけど、テレビを
付けて遠く離れたどこかの国で銃弾の音を聞くだけで心が押しつぶ
されそうになります。
最近は人のつながりの縁もあり、ヒロシマ・ナガサキの式典に参列
していますが、私は広島の元安川に長く立っている事ができず、長崎
の爆心地公園に長く立っていられませんでした。私はもちろんその頃
は生まれてませんが、まるで焼け野原の姿が見えるようなのです。
叫びが聞こえるかのように私に迫ってくるのです。そして、私が
動いたところで戦争が無くなるわけではないけど、
じっとはしていられないのです。
リコーダー吹いて、しゃべって、
何がやりたいの?何が言いたいの?
そう問われる方にはあえて言えばこれがその答えです。
不器用かもしれないけど、懸命に生きている姿を見てほしい。
そして心に何か届けたい。のほほんとしている私だけど、流れている
時間はゆっくりだけど、実は毎日が命がけです。
もし、もうどうでもいいや!と投げやりになったり、どうしていいか
わからなくて、忙しさのあまりに心が壊れそうになったとき・・・
もし、私の姿を見て、心に何か灯がともるのなら。
だから心が潰れそうになったら私は迷惑な話かもしれないけど、
人に絡んでいきます(笑)
わたしにとってそれはある意味食べ物だから。
なんだかむしょうに心が寂しくなります。
パートナーと呼べるような人に巡り合えるかは分からないけど、
私は寂しがり屋でもいいと思ってます。人とのつながりが私に
とっては命綱になるわけだから。
逃げているんじゃなくて、自分のペースを守っているんだ。
最近よくそう励まされます。ありがとうございます。
なんだかとりとめのない事をごめんなさい。
ここのところすごく苦しくなることが多かったから。
オフシーズン、時間があって自分を見つめる時間ができるのはいい
けど、私の場合は見つめすぎて追い込んでることが多いから気を
つけないとね。それもあって、人に会うようにしています。逆に
お金かかってしまってもなるべく懐と相談しながら出向いていく
ようにしています。それが私の栄養になるから。
またぽつぽつとつまらない事を書くかもしれませんが、こうして
書いていると少し気持ちが軽くなります。
別にはけ口と言うわけではないんですけどね。
明日は大雨が心配ですが、音楽療法の活動をされている方と博多で
待ち合わせです。どんな時間、おしゃべりになりますか、楽しみです。