過去、現在、また、未来に向けて介護に
向き合っている方々への批判的な意味合いでは
一切ありません。

あくまでも介護士だった当時の私の
思い出話だというだけです。
気を悪くされた方いましたらごめんなさい。













   
 
そしてタイトルからして
楽しくなるような内容ではないので
見たくない方は見ないでください。

めちゃめちゃ長いです。


































20代をほぼ費やした。


学生の頃から介護の仕事を始めるまで
アルバイトしかしてこなかった。

親は安定しろ、と就職を勧めるが
会社員という響きが、肩書きがどうにも嫌で。
囚われてしまうようで。

社会なんてまともに知らず、先輩もとい知人
(Aとしよう)の紹介で
なんとなく、勝手なゆるいイメージを
持ったまま介護の世界に入った。


周りが優しかったのは1週間足らずで、
それ以降、現場の人間は
知識と技術と根性、先輩を蹴落とすくらいの
向上心を常に態度で求めてきた。

そして
「教えてください」
「私にやらせて下さい」

こんなような言葉も求めていた。
体育会系な職場だった。

特にAは私に厳しかった。
紹介した手前もあるだろうが、とにかく
周りに見せつけるように常に私にダメ出しをした。
ダメ出しなんて言葉は甘いだろう


「アンタなんでそんなのも分かんないの?」
「お前これ何回め?」
「むしろあと何回あたしに
同じこと言わせんの?時間の無駄」
「いつになったら辞めてくれんの?
ねぇ早くしてくんないマジで」
「おはよー。ねぇ、いつ辞めんの?
いつ辞めんの?」

いざそんなそぶりでも見せようものなら

「辞めるってことは逃げるってことだよ」
「この程度で辞めちゃうわけ?私の時なんか
こんなもんじゃなかった」





無駄だから、と質問を無視されることも
しょっちゅうだった。


見かねて他の先輩が止める事もあった。

私もそう思うことも多々あったし
なんでそういう言い方しか出来ないんだ、と
当然苛立ったが

「出来ない私が悪いんだ、
だからそう言わせちゃってるんだ」

と全て自分のせいにしていた。
悔しかった。
泣いて帰る日もたくさんあった。
そんなことがあった次の出勤日は
いつも憂鬱だった。

顔色を伺って、ミスしないように気をはっていた。







下手をすると人が亡くなる。
本当に、簡単に。

大袈裟に聞こえるが、転んだだけで
そうなる。


昨日おしゃべりしてたお客様が
翌日亡くなってる、
そんな世界。こんな身近に。




だから頑張った。
求められるのも当然だと思った。
自分だったら、もし親を預けて
そんなことがあった時
「新人なんでわかんないです」なんて
言われたくない。
預けた私には新人もベテランも関係ないのだから。


休日でも調べたりメモ見返したり
できる限り吸収した。
とにかく見て、技を盗んだ。


2年くらいして、
アルバイトから契約社員になった。
何故そうなったか
よく分からなかったが、嬉しかった。
認めてもらえたと思った。


他の先輩達にはその頃には遊びに
誘ってもらえるようになった。

よくドライブやご飯やカラオケに行った。

誘いを断るなんて頭になくて、
自分の時間を割いて夜勤明けから翌日まで
寝ないでひたすら気を遣って遊んでいた。

その頃から、いやその前から
もうどうにかしていたけど
当時は分からなかった。

必死だった。



しばらくして
Aが結婚を機に辞めることになった。

正直言うと嬉しかった。
結婚がではなく、居なくなることが。

君は感受性が強いよねと出会った当初の頃から
見抜いていたにも関わらず、
確実に狙って傷つける言い方をして
見世物みたいにするその人が。
怒りながらも
私にだけ見える角度でニヤついていたその人が。



辞めた後は、電話は度々あったが仕事に関しては
ダメ出しはほぼほぼ聞かなくなった。



枠が空き、正社員になった。
新人が入れば、私が教えることも増えた。

その頃には仕事で傷ついたり大きく
引きずるようなことはほとんど無かった。



どれくらい経ったか覚えていないが、
上司達の不倫が発覚した。

パソコンに写真が残っていた。

発見した子は、泣きながらそれを私に
教えてくれた。


関わりたくなかったから証拠だけ残して
後は上の人達に任せた。


上司2人は異動だけで終わった。

空席に新たにおじさんが入ってきたが未経験。
先輩達は呆れて辞めた。

私の上にいた先輩達みんな辞めた。
前の職場に紹介するから一緒に行かないか、と
何度か誘われたが断った。

本当によく考えて、と言われた。

しばらくすると先輩達は
「残る」選択をした私たちを
「残される」人かわいそうじゃん、と言った。




まとめる人間がいなくなったこともあり
介護主任になった。

毎月シフトを作った。

月曜日はごみの日だから
夜勤入れられると困るのよね、と
後出しで文句言われるのなんてザラだった。

現状維持でいっぱいいっぱいだった。


社員の若い子達は20歳そこそこで
パートさん達はもっと年上。

必要以上に萎縮し
必要以上に偉そうで。

立場だけは逆転していた。


もう自分の趣味なんて分からなかったし
人員不足で休日出勤、電話は当たり前。



時間が経ち、不倫上司の1人が
管理者として戻ってきた。

クビにしなかったのもそうだけど、
この会社は容認したってこと。


引っ掻き回しておいて
悪びれる様子もなく
「久しぶりじゃーん」なんて言葉。

職員は私にばかりあの上司の不倫について
尋ねてくる。

もううんざりだったけど、
辞める=逃げ
と刷り込まれてた私にとっては
退職は許されないことだった。

耐えることが良いことだと思っていた。


私も不倫なんかなかった顔して

また何もなかった顔して
合わせてた






そんな中、
Aが戻ってくることになった。

現場の人間としてではなかったものの、
よく現場に顔を出す。

そして基本的に全て
主任となった私に情報を聞く。

タメ口で話す程度にはなっていたが
事務職としての苦情は全て私に来た。




理詰めのネチネチとした言い方は健在で
意見を全く聞かず理不尽な八つ当たりも多々あり
それについての苛立ちはもちろんあったが


立場上、仕方ない。
社員やパートさん達を把握できてない私が
いけないんだ。
その分、込みの手当てなんだ。


現場の苦情=全部私が悪いし、全部私の落ち度

と思ってた。

理解できる部分とできない部分が
混在してて、もう投げやりだった。



Aは現場の人間ではないからこそ、
時間を作って執拗に私を探しにきた。

個室で介助中でも入浴介助中でも
構わず、中に入ってくる。
じっと見る。

排泄介助中だということを知ってるくせに
中に入ってきて大事な書類を渡しにくる。

入居者のプライバシーどうたら言ってる人が。


グローブもしてるしどのみち
今受け取れないのを
わかっていて。

この場合、受け取っても受け取らなくても
Aの気分を害すのは知っている。
けど無言だけは一番やってはいけない。
あとが一番面倒なのだ。
どちらかを選ばなくてはならず、
そしてどのみち怒られる。


こんな嫌がらせが毎日。

休みの日でもメールも電話もくる。


「暇でしょ?
ご新規さんの家行かなきゃなんだけど
ドライブしない?」

そんなようなことを言う。
Aは免許を持っていない。
車を出せと、そういうことだ。


夜中でも構わず。
「〜さんがコケて受診今終わったー。
帰りの足ないよー。」


状況はどうあれコカしたのは現場の人間。
現場のミス=私が悪い
の方程式。

そして現場の代わりに勤務時間外でも
受診の対応に行ってくれているのだ。



休日だった私は悪くないのに
休日だった私は悪くないのに罪悪感がある
だった。

Aもそれを分かっているからこそ言うのだ
つけ込まれていた



こんなのをひたすら数年。
受診は行ったことないから分からないけど
おそらく鬱だったと思う。

今は完全にない、とはいえないけど
当時よりは全然いい。
なにより今はしにたいと思わない。


毎日憂鬱で憂鬱で。怖くて怖くて。
好きでやってるんじゃないのは分かってるんだけど、
夜中に周りを大声で叩き起こして
手や足が出て暴言当たり前で徘徊してしまう
入居者さん達の事を考えると本当本当に仕事に
行きたくなかった。

殴られる、つば吐かれる、毎回青痣つけられる
血は出る、メガネ壊される
髪の毛掴んで頭ぶん回そうとする
他の入居者の服を着まくってびしょびしょになる
生理痛酷くたってお靴はいたままお腹に蹴りが来る
極め付けに転んでしまう。事故報。



HSP気質なこともあり、こういったことでも
もちろんそうでなくても多かれ少なかれ
ショックを受ける。
こちらも人間なのだから。痛みはある。

物音には余計過敏になり、転んだんじゃないかと
ヒヤヒヤする。突然の大声の寝言に動悸がする。
自分が別階に行ってる間に聞き逃した、
見逃した何かがあるかもしれない。
落ち着かない。ザワザワする。自分の体が冷たい。
目を閉じて耳を塞いでしまいたい。
早く1人になれる所へ、すぐにでも家に帰りたい。
気を張っていたくない。
真っ暗な無音の部屋で布団にくるまってたい。






時間が取れたらゆっくり話が出来るのに。

こんなに余裕ない顔見せたくないのに。

身の回りのことが出来るあの入居者さんが
〜が難しいんだよね、ちょっと見てくれない?
って私のところへ来るのは
話し相手が欲しいからだって分かってるのに。

裸足で出て来てるのを知ってるから
寒いところで待たせたくないのに。


全部、自分を責めていた。
分かってるのになんで出来ないんだろう、って。



身体的にも精神的にもDV受けに行くのと同義だった




対応が良くなかったんじゃないの?と
思われるかもしれないが、夜中に起きたかなと
思い見に行くと既にこの状態なのだ。


言い方が良くないが、
何かトラブルを起こして退居してほしいと
思うことがあるくらいだった。

そして1人じゃなかった
日に日に増えていった。


これもAの嫌がらせの一つ。
他の職員が蹴られたり暴言浴びせられる
様子を見て
「うーわw」で終わり。

相談でもしようものなら

対応するスキルがないだけ
腕落ちたんじゃない?
他の職員もそうだけどさ、
ちょっとああなっただけで文句多くない?
そんなんじゃどこ行ってもダメだよ



いつもいつも否定ばかり。
説教タイム入るとより人格否定。

機嫌が悪いとゴミ箱蹴り飛ばす
メスゴリラと化す。







1人で1人見るのでもう目が離せない
集めてしまうとケンカになる
なのに各階5.6人は当たり前
休憩なんて当然ない
夜勤は2人しかいない
何が1:3だ


お客さん取らないと回らないって
分かってるけど
皆、陰では事務所に文句ばっかりになっていった


だからパートさんの苦情多くなって
でもまとめられない私が悪いってなってて

何をしても
何もしてなくても
私が悪い作りだった

もうどうにもならなかった。





いつからだったか
彼氏ができたが、そいつもAに
じわじわと洗脳され
しまいには私の言うことより
Aの言うことを信じるようになった。

私が言っていたことをチクり
一緒になって責め立てる。

身近だった人なのに分からなくなっちゃって
本当に思っていることを話せなくて
もう信じれなかった









年末近く。
数年ぶりに中学からの同級生らと会うことに。

自分じゃ分からなかったけど
やつれたし、やせたね
ちゃんと食べてるの?
としつこく言われた。
そういえば白髪染めも回数が増えていた。




みんなの近況報告しつつ
実はさ、と今の状況をざっくりと説明。

は!?
それただのパワハラモラハラじゃん!
なんで転職しないの?



なんで?とびっくりした。
現場のミスは私のミス
自分が悪いから言われてるだけだし、
辞める=逃げ
だと言われてる

と言うと


いやいや関係ないでしょ
仮に辞めるってことが逃げだったとしても
そんな状況ならむしろ逃げるべきだよ
実際見てないから分からないけどさ、
でもそこまで言われる筋合いないでしょ


とかなんとか至極真っ当なことをいって
くれたお陰でようやく疑問が確信になった


それと、人格否定されなかったことが
なにより嬉しかった


退職は抵抗あるけど、やんなきゃだよね
ってなれた


緊張しながら退職願を書いた

破られる可能性のあったので
念のためもう一つ用意した、出来上がった
封筒を見て、少しほっとした










稼働が落ち続け
別店舗と合併につき
現店舗は閉鎖の知らせ

急な知らせだった
既に閉鎖まで1ヶ月はきっていた

距離があるけど必要ならアパート用意するし
別店舗に来てくれないか?と
本部の人間。




介護の業界は狭い。
ケアマネさんとかもそうだけど、職員も
あちこち行き来してる。
情報は行き交ってて、知らない人たちの
噂話なんかもよく聞く。
飲み屋で業界の人とばったりなんて
よくあることだ。


大人な辞め方ではないかも知れないが
私にはもうこの世界には入ることは
ないだろうと

上司の不倫の話をした。
ついでにAのハラスメントも話した。


ハラスメントする人と同じ店舗に
行きたくないし、もう関わりたくない
不倫を容認する会社にもいられない
別店舗でも不倫話された
またみんな私に尋ねるのか?



震え声でそんなこと言った気がする。


エリアマネージャー、笑ってた


あぁ、やっぱりどこにでもあるような話なんだな
やっぱり相手にされてない
無かったことにされてるみたい
なんだったんだろ、今まで

そう思ったら、少し、どうでも良くなった



そのあと上司に退職のことをなんとか話して

あぁそっか、いよいよ辞めるんだなって思った

急に現実味を帯びた。





Aもその頃には私が信用してないってことを
気にしだした頃で
「ねぇ行こうよ一緒に◯◯の店舗〜」
「ほら言えよ、ともだち、って」とか
言い出してた

友達、って言葉でこれからも
繋ぎ止めておきたかったようだ

私はやっと鼻で笑ってスルーした




謎権限でAは私のシフトをいじり、
突然休みの連続になった

1ヶ月、辞めるのが早まった。


辞める気持ちで仕事しにこられたくない

とか言いそうだ
まぁでもそういう意味合いだったんだろうな


お陰で職員には全員挨拶出来なかった。
有休消化日なのに来られると迷惑、と。


なんかもういいか、となって。
無理して顔見に行く必要もないし、
ちょうど良かったのかも




次の仕事とかまったく決まってない状態で
どうすんだ

という不安はもちろんあったけど
辞めれたことの
終わったー!
の解放感と安心感と嬉しさは
忘れられないと思う。


辞めれて嬉しかったんだな、私は。
辞めたいと思ってたのは間違ってなかったんだな。
安心できたんだな。
やっと。






良かった。


そう思ってもうあの施設には行かなかった。





20代をほぼ費やした。
出来うる限りの全力だった。
介護以外で覚えてることがないくらい
本当にあっという間で
燃やし尽くした。


そして逃げるように介護士を辞めた。