硬筆と習字を習っていた。
この作品、結構な大きさで、用紙とともに筆もそれなりの大きさ。
過去一、大変めでたい賞をいただいた。
家族も、習字の先生も、誰もが喜んでくれた。

私は嬉しくなかった。

とてつもなく大変だったし、先生からはダメ出しばかりされていた。当時の思い出なんて「…どうだったっけ?」って感じだけど、言えることは、めでたい賞をもらえたけど、満足感とか充足感とか、そんなもの得られずにいたということは言える。

誰が満足したか、それは先生。
あいつだ。あいつしかいない。
受賞できるほどの書を書いたの小6の女の子でなく、すごいのは偉いのは教えた私なのです、とでも勝ち誇った顔をしたあいつだった。
私が受賞できると思ってなかったくせに。受賞したとたん、手のひら返して誉めてきたこと忘れてないからな。

今も尚、他人から字がお上手ですね、って言ってもらえるのは、先生のおかげ。マジでありがとう。そこは感謝する。
だが、先生のおかげで、
字がキレイな人は心もキレイとは言えない
ということを悟った小学生の頃の私、素晴らしい。
あの人、何してるんだろう。うちの母さんのことを悪く言ってたこと、許してないからな。私が辞めるって言ったのに、辞めてどうするのって鼻で笑ったこと許さんからな。

…私にとってはいい思い出じゃないんだけど、今だから言えることだし、当時小6の私を頑張ったねって誉めてあげたい。
私、頑張ったね。誰よりも頑張ったね。

因みに、この先生の性格や発言にぶちギレて息子を辞めさせた某兄弟のお母様がいたんだけど、あの先生にぶちギレて捨てゼリフ吐けたのはスゴいな、と今でも思ってる。
そのお母様、キレイなんだよね。おキレイな人が、ぶちギレて捨てゼリフ吐くのは余程のことだったんだと、今でも思ってる。



追記
過去のブログにも、某先生について触れていた…





 

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