私は、日頃の選択基準

 

「幸せかどうか」

で考えることが多いのですが、

 

最近、その「幸せ」の基準がなんなのかを

見直す機会がありました。

 

なぜなら、「幸せ」って漠然としてて抽象的で

人によって意味が違うものだから、

 

家族や友人、同僚たちの「幸せ」と

同じかどうかわからないものです。

 

私は、私自身の「幸せ」を

自分の中では、わかっているつもりでした。

 

でも、最近 迷っていたことがあり

 

「私はどうしたいんだろう?」

「どうなるのが幸せなんだろう?」

 

と考えていたんです。

 

その時、「幸せ」の思い込み

気付いたんです。

 

社会から見たら幸せに見えること

他人から見て幸せそうに思えること

 

私の思っていた「幸せ」が、

 

社会や他人の価値基準だったことが

見えてきたのです。

 

これはホント思い込んでいたので

笑ってしまうほどだったのですが、

 

自分の価値観が

 

いかに、社会通念や他人の価値観で

つくられているかを痛感しました。

 

裕福であること

結婚すること

子供を持つこと

家を持つこと

車を持つこと

etc

 

社会では、幸福のイメージすら

刷り込まれたものであることが多いのです。

 

幸せの定義は、人それぞれでいいのです。

 

誰かの幸せは、自分の幸せとは限らない。

 

私なりの幸せの定義、

そして選択の基準は

 

「後悔しないこと」

 

これなら、

 

自分は本当はどうしたいのか

わかるような気がするので。

 

それでも、迷うことはあります。

 

でも、どんな答えであっても

正解などなく、

 

後悔しない選択を

納得して選べばいいだけ。

 

自分の幸せは、

自分で決めていいのですから。

 

 

 

 

 

=本日のおたわごと=

 

掃除スイッチ、入ったー