天才の定義も難しいですが、

 

「才能があるね」

「能力が高いね」

 

と言われるのは

誰しも嬉しいことです。

 

意識高く、ストイックに

取り組んでいるように見える人なんかは

 

「すごいですね」

「尊敬します」

 

などと言われることも多いでしょう。

 

そんな人を見聞きすると、

 

私なんかは、凡人だなーと

しみじみ思います(笑)

 

でも、才能がある、能力が高い

と言われる人たちは、

 

「こうなりたいと思ってやっているだけ」

「そのための努力をしているだけ」

 

というような感じなんですよね。

 

本人は、特別ストイックに

してるつもりもない。

 

「そうなりたいなら、

努力すればいいんじゃない?」

 

と言われそうです。

 

ごもっとも、ですよね。

 

でも、才能があろうがなかろうが

能力が高かろうが低かろうが、

 

その人の幸せというのは

その人にしかわかりません。

 

幸せや喜びを感じないのに

能力を無理やり高めてしまった

 

なんて場合もあるかもしれません。

 

だから、一般的には

能力が高いことが良いとされますが、

 

万人がそれを目指す必要はないですよね。

 

それに、才能や能力、天才性というものも

 

目に見えてわかりやすいものの方が

評価されやすいですから、

 

じゃ、人から評価されにくいことでも

才能だと思えれば、それが才能だと言えます。

 

スポーツや勉強、ビジネスなどの能力は

社会的に認められやすいので評価されます。

 

芸術や芸能なども人気で評価されます。

 

でも、例えば

 

誰にでも優しくできるとか

歯をピカピカにできるとか

動物と遊ぶことができるとか

 

こういうことだって、才能です。

 

もしかすると、1ヶ月何もせず

ゴロゴロ過ごせる、なんていうのも

ある意味、才能かもしれません。

 

ただ、どうせなら

社会に役立てることや、お金になることの方が

より便利な才能だよね、というだけです。

 

社会的に役に立つ才能と

特に役にも立たたない才能があるだけだし、

 

それがあるかないかで

自分を評価する必要はありません。

 

ただの社会の尺度なので。

 

誰かの才能や能力を羨みたくなりますが

自分と比較する必要はありません。

 

他人は他人、自分は自分なので。

 

誰にでも、才能はあると言えばあります。

 

でも、そこに固執する必要はないのかな。

 

本来、自分は自分である

だけでいいのかもしれません。

 

 

 

 

 

=本日のおたわごと=

 

雨って、嫌いじゃないな~