{16BFB879-9665-4ED3-B129-C7EFB1D75AE8}ここ2週間ほどずっと考えることがあり、何となく頭の中でそれが整理されてきたので書き始めてみます。

2000年初頭にgraffitiに興味が湧き、色々な作品集や写真集を見て自分でも描いてみたいと描いたりするうちに、早々と限界点を自分の中で感じてしまいました。

その理由が、3Dが苦手という大問題。

算数の図形問題は苦手だったし、僕は今だに紐を結ぶとかいう、立体的な形を予測して作業することが苦手です。

保育園の発表会で、縄跳びの発表後に縄が結べずに恥をかいたこともあります。

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木工作業なども、サイズ測ってるのに、寸法を間違うなどはほぼ毎回です。

何とか仕上がりますが、毎度、脳の疲労度はハンパないです。

ステンシル作品のイメージをしてる時は
全く感じない脳の疲労度。

そして形をイメージすればするほど、数字を間違えます。たぶん右脳左脳の使用バランスが偏ってるからだと思います。

小さな頃から、立体的なイメージすると疲れるから、意図して逃げたまま40歳目前です。

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絵画の遠近法も全然解りません。

だから、14年前にgraffitiからステンシルに興味が移ったのは至極普通の流れだったのです。

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2色のシンプルな2Dの世界。

他にはパンクバンドのフライヤーやsex pistolsのアートワークに見られる、切貼りスタイルなどには思春期にドーンと衝撃受けました。

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だから、graffitiでもタギングと呼ばれる、マーカーで書いたカリグラフィーは大好きです。

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立体的な作品の憧れは常にあります。

ただ、イメージ出来ても、いざ作業すると2Dの方が好きだから3Dに仕上がっていかないんです。

以前のブログにも書いたステンシルの世界基準は、版を幾重にも重ねた、まるで写真のような作品。

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もしその流れに乗ると、恐らくステンシルを始めた当初の創作における楽しい気持ちが無くなり、辞めてしまうでしょう。

皆さん、素晴らしい技術だと思います。わざわざステンシルでアレをやってのけるんですから。完全にネクストレベルです。

でも、3Dより普通に2Dが好き〜な僕はそのネクストレベルに行く気が全く起きないのです。

このブログをマメに読んでくれてる稀有な人達にはお馴染みでしょうが、ここ数年の僕の興味は、江戸時代の浮世絵と、藍染古布の襤褸(ボロ)です。

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ナゼか?

浮世絵には、西洋画の影響受けた遠近法を取り入れたモノもありますが、基本は2Dです。屏風の絵なども、西洋絵画に見られる写実的風景じゃないモノばかり。

筆のラインも、リアルというよりは、人間臭さが全開の個性あるラインであり、

今の漫画みたいなモノです。

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風景画も、写実的なリアルよりは、表現を重視していますね。

それと、藍染古布のボロの美しさは、計算されてない、自然の赴くままに切り貼りされた布が、年月を経て結果的に色のグラデーションと深みが出たに過ぎず、ものスゴく2D的なベタ貼り作業の結果ですね。

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そして、凡ゆるものを削ぎ落とした白と黒の点と線のみで表現するアートとして、今は水墨画や書道に興味が出てます。

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コレらはずっと好きでしたが、やってみたいと思うまでにはならなかった。

だけど、今は手を出したくてウズウズしてる。けど、何から始めて良いか分からない状態。

始めは何だってそんなもんなので、タイミング見計らって今冬には第一歩を踏み出したいと思っています。

さて、そんなわけで色々考えてたのですが、

水墨画や書道などに見られる ”間”

すなわち ”構図” ってやつ。ネタと背景と余白のバランス。

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コレについてずっと考えてるのです。

テレビの鑑定団観ててもよく聞く”構図”

芸術関連の学校に行ったこともなく、ただ自分が好きなアートを見続けて、見様見真似で創作してたに過ぎない完全な芸術素人なので、そんな形式ばったモノを教えて貰ったこともないのです。

構図って言葉を制作前から意識したことが無いです。

単純にある版をココとココに配置したらカッコイイかなっての連続です。

恐らく、今まで見てきたカッコイイと思うモノ、それらの絵や写真や文字の配置の記憶を無意識に出しては繋げてるだけ。

僕は、町の壁に無作為に描かれたgraffitiによる色やスタイルの重なりや、風化した剥げを見ると堪らなく興奮します。あとはライブハウスの落書きとフライヤーのベタ貼りだらけの壁とか。

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制限の無いリアルな自由世界と捉えてます。

だけど、世の中に溢れる作品には枠があります。

フレームやキャンバス、壁、紙などなど。

限られた空間の中で、如何に見る人達にアートを感じさせ、意識の拡がりや想像を与えることが出来るか?

その為に先に”構図”を考えてから作業するようですね。

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検索すると、何やら黄金比やら白銀比やら色々出てきました。

葛飾北斎の富嶽三十六景シリーズは、黄金比を取り入れて、めちゃくちゃ構図を計算したようです。

何処にどう富士山を配置したら良いかを物凄く計算したとか。

北斎は積極的に西洋絵画の技法も取り入れ、定規やコンパスも使用して描いてた。

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一方の今までの僕はというと、

ステンシルでTシャツを作りたいってのが最初のキッカケでもあったので、

先ずは何をメインにステンシル版を作るかって始まり、ネタをチョイス。大きさもTシャツに合わせて決定。

そのネタの大きさに合わせて文字をチョイス。

完全に主張する為のTシャツなので、重ね着しても真ん中にドーンとメインネタが見えるように配置するのが基本。

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その他の追加ネタや追加文字などは、その時の気分でチョイチョイと。

まあ、そんな感じでやってました。

それが逆に良かったタイミングもあったでしょう。しかし、

Tシャツのように着るもの、つまりファッションなるものには流行り廃りがありますんでね。

あと、僕自身が着たいかどうかってのが基本なので、

年齢を経て、使用する色は減り、ゴチャゴチャしながらも、フィーリングでまとめてた何年か前によく制作していた感じは今や全く作ってない。

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それもやはり、個展なるものをやらせて貰ってから徐々に減っていったと思います。

個展はTシャツ展ではなく、ステンシル作品展ですんで、大きさの決まった紙や板やキャンバスの様々な大きさにペイントする。

今まで作ってきた版は、それらの大きさにハメ込む用には作っておらず、稀にどハマりする時もあるけど、やはりそこは追加する文字などではバランス取ろうとする。

いかんせん、Tシャツばかり作ってきたから、メインネタを真ん中ドーンってのが多い。

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だけど、今までのTシャツの出来で個展まで漕ぎ着けた部分もあるので、その雰囲気を壊さずにライブペイントだったり、個展用作品を作り、それなりに結果も出ました。

皆さんのおかげです。ありがたいです。

だから続けてこられた。

だがしかし満たされない、何か。

創る度に増す、不安と不満。

40歳目前となりながらも創作意欲に関しては衰え知らず。

では、何を創りたいのか?

ただ、自分の作品を創りたいのです。

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自分の内面から、満たされずにモヤモヤ滲み出てくる欲望を満たしてくれる作品を。

明確な答えなんてずっと出てないし、瞬間瞬間では見えたような気がしても、また結局見えなくなる。

創作に対する欲は止まらないです。

自分の脳を刺激してくるモノを素直に受け止めて、自分のステンシルという技術フィルターを通して、そのモノを手に入れたかのような感覚をずっと続けてきましたが、

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自分の作品の質を高めるという点において、新たな試みや仕掛けをしなければならないと、好奇心と同時に底知れぬ不安も出現しているのです、この何年か。

僕の個展作品群を見て、全体的に固いといった奴がいましてね。一瞬イラついたものの、まぁそう思う人もいるだろうと、笑い流しました。

ネタのチョイスや組み合わせの柔軟性はあると思ってたし、別にそんなこと無いだろうと思ってましたが、

やはり僕の好きな先人たち、浮世絵師の作品を見ると気付かされました。

ネタが枠の中で柔軟性を持って生き生きしてる。

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僕の作品群は、Tシャツのデザインを紙や板やキャンバスに落としこんだモノであり、それはデザイン画であって、アート作品とはまた別モノでは?と。

Tシャツデザイン画としては優れてるかもしれないが、後世に至るまで尚、影響を与え続けられる芸術としてまではまだ何か足りない。

表現の振り幅がまだ狭いかも?!

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個展をやるに当たって、かなり多くの枠に収める作品を制作しました。

中には自分でも上手く、イイ意味でハズせたモノもあり、それらはやはり買い手が付きました。

ありがとうございます。

うっすらとキッカケが見え隠れしてますが、確信まではいってません。

そのうっすらを鍛えなきゃいかんのですが、それこそ構図だと思ってます。

意外性、創造性、未来性。

ただ、形式ばった構図ではなく、自分だからこその構図を出すにはどうしたらよいか。

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例えば、目の前に広がる美しい景色、それを写真という枠に収めたらツマラなくなることがよくある。

何でこの素晴らしい景色が写真に映らない?!

パノラマ景色をそのまま写真にはできない。どこかで切り取らなきゃならない。じゃあどこを切り取れば美しさが伝わるのか?って試行錯誤するのが構図判断力を高めるんじゃないかと今思ってます。

便利な時代ですんで、携帯でピッピやれますしね。

メインネタの配置、視線の流れ、想像を掻き立てる余白やサブネタの配置など。

視線の流れに柔軟性を持たせられたら固いイメージも流れるかも。

作品から受ける固いイメージってのが恐らくメインネタの真ん中ドーンの構図によるものだと無意識に感じてたからこそ、

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せめて作品下地だけはと、いつも色や文字が幾重にも重なってる、まるでストリートのgraffitiで埋められた壁のように掴めない、無作為な雰囲気を出そうとしてたのかもしれません。

襤褸ボロに関しても同じ。

今後、更に意識しなきゃならないのは、限られたフィールド(枠)とルール(形式)の中で創造性を発揮できるかどうか。

例えば、サッカーコートの中でプレーする。決められたルールがある。

同じ条件下の22人、その中でも輝きを放つファンタジスタがいる。

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それは、誰も思いつかないような動きや、いい意味の裏切り、騙し、そして根底にある確かな技術。閃きと大胆さ。

その流れから生まれるゴールは正に芸術であり、観る人に更なる興奮と創造性を与える。

ゴールに繋がるスペースとボールと人の流れ、それを追う観客の視線、その結果生まれるゴールというメインな出来事。その先にある興奮と、衝撃という思い出。未来に繋がる希望や展望。

それが構図の正体ではないのか?と、今朝思いついた次第です。

芸術素人なのに欲望が治まらないもんで、いちいち回りくどくて面倒くさくなりますが、すみません。

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そんな気持ちにさせる”枠作品”を制作するのを意識しながら、これからの10年やっていきたいと思います。

20代中盤にステンシルを始め、30代は凡ゆる可能性に挑戦することにより技術も磨けました。次の40代は身につけた技術を活かし、伸ばしながら、表現の質を高めていきたいですね。そして次の50代、60代とどう進化できるか?!楽しみしかありません。

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葛飾北斎の富嶽三十六景シリーズは、北斎が70代で描いたものです。50代に旅して見た風景を練りに練って70代で打ち出した。

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90目前まで生き、晩年頃は”画狂老人卍”と名乗り、死ぬまで技術の高みを望み、90代になればまた凄いの描けるのになぁ〜無念や〜 って死んでいった。

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やはり、先人に学ぶことはまだまだたくさんありますね。

バイバイ、またね。