君の立場からしたら君が正しい、僕の立場からしたら僕が正しい。
安保法案を巡り、賛成と反対意見が交差してたネットの中。
僕がtwitterやfacebookでフォローしてる人の多くは反対側ですが、賛成側もいる。
様々な立場からの見解や意見を持ち、発信、行動してたのを結果的に見てただけになった僕は一番卑怯なポジションにいたワケです。
原発の時、色々と政府のやり方をリアルタイムで見た限り、また今回も同じように政府政権主導のシナリオ通りに事が進むんだろうなと頭の片隅で思ってました。
結果、その通りになりました。
デモがこんなに全国各地で繰り広げられることになるとは震災前には全く思ってなかったし、
60年代安保闘争も結果的には一部の人間のみの運動だったとか言われてるし、本気出した国によってアッサリと一斉排除され、それをマスコミが一斉加熱報道し、反抗することへの無力感を植え付けたとか。
それ以降、民衆による大きな政府の動向に向けた反対運動など起きた記憶もなかった。だから原発再稼働反対運動の映像や写真、ネット上を賑わす個人の意見や見解を見て、随分と民衆による行動状況がリアルに変わってきたって実感してます。
そして、いざ民衆の目に見える形での反対意見や行動が出た時に、こんなにも我関せずな政府のワンマンなやり方で法案が決まっていくものかと恐ろしくもなった。
アメリカ、経団連、大企業、官僚の為の政治か?中国の脅威は冷戦時代のソ連と比べたら、全然実感ないとかも言われてる。
自分の周りで聞く中国人の印象。
仕事上、製品を中国生産してる会社に勤め、中国人相手にしてた人は口々に良い印象は持ってないようですが、中国でライブしたミュージシャン達は逆に全然良い印象を持っている。
僕も今年の初めにメキシコとキューバに行って来たんですが、行く前と、実際に現地行ってみた後では全く印象が違いました。
最近、アフリカ人女性作家のスピーチ記事をネットで読みました。
”ただ一つの物語”
アフリカと一口に言っても、アフリカには本当に多くの国があります。だけど、日本の僕たちが持つアフリカの印象って、
貧乏で、半裸で、水や食料不足で、疫病、エイズが氾濫し、医療も満足に受けられず、学校も無い、教育も受けられない、などなど。
恵まれた日本と比べてインパクトのある、ネガティヴイメージが先行し、その先入観でのみアフリカを判断しがちです。
それだけテレビや雑誌、ネットが与える影響は強い。
世界の隅々までリアルタイムに生見出来る人など居ない。たまたま目にした”ただ一つの物語”によって個人の思想や意見など簡単に影響を受けて偏る。
催眠術、洗脳、宗教、集団催眠…
いくら自分を強く持ち、絶対に曲げられないと思ってみても、
上に挙げた分野のプロからしたら余裕で個人の思想を覆せるはず。
脳には沢山の受け皿あって、自分だけでは動かせない部分を、他人のアシストで簡単に開いちゃう部分なんて沢山あるはず。
だから皆、自分一人で何かにつまずいた時には必ず他人や、他人の書いた本やニュースを見るでしょう。
多角的な思考や物の見方を持ってなきゃいけないのは確か。だけど一人の力じゃ限界がある。
同じ穴のムジナでの結束は早く、堅そうだ。
ネットによって誰もが簡単に自分のページを持ち、日本はおろか、世界にまで同時発信出来る時代だからこそ、凄まじいスピードで結束や阻害も生まれてる。
賛成意見、反対意見など、どちらの立場から個人的見解を述べようものなら、必ず他人の介入がある。
ポジティブなものからネガティヴなものまで、様々なストレスを生む。
そのストレスに耐え切れずに、ネットから離れる、そして自分の意見を持たない。
そんな具合に、議論から離れて傍観してる中間層が半数以上いるようです。
政治に興味ないと言ったって、生きてる限り、モノは買うし、各種税金は取られるし、病院にも行かなきゃならん時もあるし、まだまだ沢山ある。政治動向全て生活に直結してる問題なはずなのにね。
国民全員に番号付けられ、データ化されてしまいます。
凡ゆる分野でのデジタル化が進んで、国民一人一人の一挙手一投足が監視管理システムに組み込まれ、何をやろうとも筒抜けになるでしょう。
政治動向を知らない、知ろうとしない間にも、便利、簡単、スピーディーなんて言葉の裏で、スケルトン化も進行する。
何を信じ、何に従い、何を思い、何を買う、何を売る、何をしたい、何をする、何を守る、何を生みだす、何を作る。
自分の意見を持ち、発信するには強い意志が無いとダメになってきた。
だからこそ、最低限自分の意見は持ってたい。
ビビる必要ない。ハナっから皆を取り込むなんて無理だから。
”ただ一つの物語” に踊らされず、多角的なモノの見方で思考は柔軟に。
そして柔軟になればなるほど、中間的立場になりやすい。
賛成でも反対でも、どちらの意見も理解出来る部分がうまれるからね。
無関心によるどちらでもない、とはまた別のどちらとも言い辛い中間立場。
僕は今回まさにこの広く意見を見ようとした柔軟対応による思考の中間層にハマった気がします。
でも、コレは全く何も起きない。動けないのです。
何も考えず、フワフワダラダラニヤニヤしてるのと何ら変わりない。
そんなストレスが生まれます。
…
文字数制限きましたんで其の二に続く。